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愛しき名前~ある特定失踪者少女の運命(13)

第四章(二)

 ぼんやりとした意識の中で声が聞こえてきた。
“…いいか、よ~く聞け。俺は日本で一番有名な俳優なんだ。俺がいなくなったら、世間は大騒ぎさ。そしたら警察が動いてお前たちなんかすぐ捕まってしまうさ。日本の警察の検挙率は世界一なんだぞ…”
―どこかで聞いたことのある声…。あ、コメディアンのジンちゃんだ。先生は彼の演技はまだまだなんておっしゃっていたけど、今の演技は真に迫っているわ…。
 コメディアンの声がするということは居間にいるのだろうか。テレビを見ながらねむってしまったようね。そろそろ起きなくては。
 その時、何かが水に放り込まれた音がした。と同時に星香の意識は遠退いていった。

 鉄扉が開く音と共に彼女は目を醒ました。
「気がついたようだな」
 作業着を身につけた屈強な男が現われ声を掛けた。彼女は身体を起こした。幸い縛られてはいなかった。
「まもなく、この船は共和国へ到着する」
「キョウワコク?! そこは地獄ですか、天国ですか?」
 予想外の応えに彼は内心おどろいた。
「う~ん、地上の楽園だな」
 男が苦笑しながら答えると星香は
「そうですか」
と淡々とした口調で言った。男はその言葉を聞くと出て行った。
「大した娘だ!」
 外に控えていた青年に男は言った。彼も作業着姿だ。
「はい、普通ですと大声で叫んだり、殴りかかったりするのですが」
「ああ、以前連れてきた少女などは泣き叫んでドアを叩き付けて手を血だらけにしたもんだがな」
 二人は甲板に上っていった。
 一人残された星香は壁に寄りかかって座っていた。
「やはり、私は平穏な生活をしてはいけないんだ」
 彼女の脳裏に一年前の出来事が甦った。

 あの日、全国高校演劇大会本選に参加するため、星香が所属する演劇部のメンバーは東京にいた。地方予選の時から彼女の学校の作品の評判は良く入賞が予想されていた。また、星香については個人での受賞の可能性が高かった。
 予想に違わず、彼女の高校は一位に選ばれ、星香は最優秀演技賞を受賞した。
 仲間たちと晴れやかな気持ちで賞状を受け取った直後、彼女の耳に恐ろしい報せが届いた。
「今朝、家族全員が殺害されました…」
 彼女は何と言われたのか分からなかった。呆然する星香に演劇部特別顧問をしていた蒜田監督が
「すぐに帰ろう。私がついて行く」
と言ってくれた。
 ちょうど夏休みだったため、大会終了後は、東京見物と蒜田監督が所属している劇団でのワークショップが予定されていた。星香以外の生徒は、そのまま残ってスケジュールをこなしたが、やはり今ひとつ楽しめなかった。
 地元に着いた二人はそのまま県警に行き、そこで変わり果てた姿の家族と対面した。
 製パン店を経営していた星香の家は、その日もいつものように両親および障害を持つ姉の三人が開店準備をしていた。そこに若い男が乱入し、三人を次々と包丁で刺していった。すぐに警官が駆け付け、犯人はその場で逮捕された。
 星香に一方的に思いを寄せていた他校の男子学生だった。彼女はその男子高生と全く面識が無かった。
―自分のせいで家族が殺されてしまった…。
 家族の遺体を前に彼女は泣くことすら出来ないほど強い衝撃を受けていた。
 そんな彼女の姿に監督は、警察と話し合って今日はこのまま帰してもらうようにした。詳細は明日改めてということになった。
 彼女は監督の家に身を寄せた。
 翌朝、監督と二人で県警に行くと追い討ちを掛けるような事態になっていた。犯人が自殺してしまったのである。事件の真相は分からないまま、彼女は自分自身を責め続けた。
 星香は蒜田監督の家に身を寄せた。監督及び妻のはるこ女史、監督の家を訪れる劇団関係者たちは、星香を慰め、励ましてくれた。
 2学期が始まり登校した彼女をクラスメートや先生方は暖かく迎えてくれた。
 反面、世間には心無い言葉を投げつける者もいた。
「魔性の女子高生」
「清純そうな顔したあばずれ女」
等々。
 こうした言葉が飛んでくるたびにクラスメートたちは抗議してくれた。
 このように周囲が見守る中で、彼女は少しづつ心身ともに癒されていった。
 監督夫妻は星香を養女にするつもりだった。それは女優として育てたいという欲心もあったが、彼女の境遇が悲惨すぎるためそのままにして置けなかったからである。
 親代わりになってくれた監督夫妻のお陰で彼女は普通の高校生同様、将来の夢を描くことが出来るようになった。演劇が好きな彼女も女優を目指していたが、監督夫妻は若いうちは多くのことを学んだ方がいいと言って大学進学を勧めた。
「はるこさんは、実は薬剤師の資格を持っているんだよ」
 進路について星香が監督夫婦と話している時、監督がこう言うと
「監督だって日商の簿記検定1級に合格しているのよ」
とはるこ女史は応えた。
 二人は星香に、役者馬鹿にならないように、広い視野を持つようにと助言したのだった。女優になるにしろ、別の道を歩むにしろ、このことは彼女の将来にプラスになるのだから。
 星香はアドバイスに従い、社会系の学部を目指すことにした。
 それに備え、大学に進学する他のクラスメートと一緒に受験勉強に励み、夏休みに行なわれる臨海補習学校にも参加申し込みをしたのだった。
「先生、はるこさん行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。勉強も大切だけど、高校最後の夏休みだから楽しい思い出をたくさん作っておいで」
 こう言いながら夫妻は、笑顔で発って行く娘に手をふって見送った。
「あれから一年経つが、辛かっただろうがよく立ち直ったなぁ」
「ええ。あの子がこれからの長い人生、幸福に送れるよう出来る限り支援していきましょう」
 だが、その後数十年間、星香は二人の前に姿を見せなかった。

 鉄扉が再び開き、星香は外に出された。船を降りると黒塗りの乗用車に乗せられた。車窓から外を見たが、人影も家も全くなく遠くに山並みが見えるばかりだった。車は間もなく林の中に入っていった。そして、2階建ての家屋の前で降ろされた。後日知ったのだが、ここが招待所という場所だった。
 家屋の前では、高齢の男女二人が星香たちを出迎えた。男たちは彼女を二人に託すと、そのまま車に乗って去っていった。
「今日からここで暮らすことになります」
 男性がこう言いながら、星香を屋内に入れた。日本語が分かるようだ。
建物の中には食堂や浴室の他、何部屋かありその中の一室が星香に割当てられた。
 翌日から、この建物内の講義室のような部屋で、朝鮮語を始めとして、朝鮮史や社会主義について等々、北朝鮮についての事柄をそれぞれの担当教官から個人教授を受けた。
 家族を失い、未来も奪われた彼女は、空っぽの心で機械的に話を聞き、内容を覚えていった。
 そんななかでも、演劇だけは彼女から離れなかった。時々、思想教育の一環として北の劇映画を見せられることがあった。星香は夕食後や休日など“授業”の無い時、自室で映画の登場人物の台詞や振り付けを再現していた。日本にいた時のようにTVや雑誌等、暇つぶしになる娯楽が全く無く、外に出ても木々以外には何も無いこの場所で空白の時間を過ごす方法は他に思いつかなかった。
 この様子をたまたま招待所で家政婦をしている女性が目撃し、その上手さに感心した。このことは、招待所に出入りする教官たちにも伝わり、彼らの前でもやらされる羽目になってしまった。
「上手いものだ。ここに来てから日が浅いというのに言葉は完璧で登場人物の描写も優れている」
 教官たちは一様に感嘆した。そして「次はこれをやってくれ」とリクエストを出すようになり、しまいには「春香伝」や「洪吉童」等、本来の目的とは無関係の朝鮮の古典作品を映画化したものを彼女に見せてやらせるようになった。彼らにしても思想教育や体制賛美映画よりも活劇や恋愛物の方が見ていて楽しいのであった。もちろん星香も同じことだった。
 この招待所で過ごしたのは一年くらいだっただろう。関係者たちとはそれなりに親しくなっていた。そのため、星香がここを去る時には互いに寂しく感じたのだった。

 何の前触れもなく突然連れて行かれたのは、八田繁子や荷田勲たちが暮らす建物だった。
 自分と同じような境遇の人々との生活は僅かだが星香の気持ちを安らげた。
 ここでも彼女の演技力は発揮された。泣き虫だったドナちゃんこと太刀川希枝を慰めるため、彼女は自分が好きな日本の俳優やコメディアンの‘ものまね’をしたのである。
 このことについて、監視役の職員たちは何も言わなかった。特に北を批判したり、現状の不満を表わさなかったためのようだ。それどころか、その内容を知ると一緒に笑ったり面白がったりした。
 この時、その頃日本で人気のあったコメディアンのジンちゃんこと荻枝仁のものもやった。後日、日本に来た時分かったのだが、あの時、彼女と一緒に船内にいたのはジンちゃんだった。海中に投げ込まれた彼は、何とか日本に辿り着いたが、芸能界を去ってしまった。表向きには、釣りをしていた時に波に攫われたショックで精神を患ったためとされているが、実際は、始終、北の人間に監視されていたために心身ともに病んでしまったのであった。彼が拉致被害者であることは、未だに日本では知られていないままである。

 星香の演技力は、親愛なる指導者同志に伝わり、彼の意向により、この国最高の芸術団体である中央芸術団に入ることになった。彼女のいた部署は全員日本からの帰国者で、時たま日本語で会話することもあった。
 彼女にとって有り難かったのは、ここでは演劇に専念できたことだ。そして、林哲男という助監督が何かと支援してくれた。彼といる時、彼女は蒜田監督と過ごしているような気がした。助監督は蒜田よりずっと若く、容貌も性格も全く違っているのに。
 助監督のお陰で憧れだった香港スター・ウォーリー=ラウにも会えた。彼女の半生で最も幸運な出来事だった。

 だが、その後は坂を下るように自分の運命が堕ちて行くのを感じた。
 37号室への移動はまだ良かった。ここでは、観客が限られているとはいえ、シェークスピアや欧米の作品を演じ、韓国や日本の歌だけを歌っていればよかったのだから。この時は林助監督もそばにいてくれた。
 その後は、再び招待所に行き、今度は工作員教育を受けさせられた。
 彼女は工作員という役を、現実世界を舞台に演じるのだと思うようにした。そうしないと恐ろしくて堪らないからだ。彼女は、北朝鮮から外に出て各地で“工作活動”に従事したが、それらについては心の奥に埋めた。
 久し振りに母国の地を踏んだ時、彼女は養父母のもとには行かなかった。監視の目があったせいもあるが、かつての純真な女子高生ではなくなった自分は監督夫妻のもとに行く資格がないように思ったからだった。
 彼女が“女優”を辞めようと決心したのは、外川拉致担当大臣の家の家政婦になった時だ。そして、日本に正規に帰国していた東大生さんこと荷田勲講師のもとに相談をしに行ったのだが、荷田講師と細江会長の努力の甲斐なく、彼女は“舞台”から降りることが出来なかった。
 韓国の空港で入国審査の際、安全院職員に捕まった時、彼女はほっとした。これでやっと“舞台”から降りることが出来るのだから。


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