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[小説] 愛しき名前 ~ある特定失踪者少女の運命(6)

第三章(三)

 巡回公演に参加せず平壌に残っていた金輝星に子供向けのTV番組の出演依頼が来た。既に“上”の許可を得ていたようで話は簡単に決まった。
 彼女が出演する番組は、子供向けのドラマで「少年 田禹治」というタイトルである。以前、彼女が出演した映画「洪吉童」と同じく活劇時代劇で、子供たちの喜びそうな特撮やアクションシーンの多い内容だった。また、この国特有の体制賛美等々が全く無い単純な勧善懲悪のドラマでもあった。日本では別に珍しくないが、この国でこうした作品は初めてではないだろうか。
 輝星はもちろん主人公の少年道士役だ。「洪吉童」の少年役が好評だったためのようだ。
 例の如く、さっそく役作りに取り組んだ輝星だが、今回はアクションシーンが多いため苦労しているようである。稽古場で文字通り飛んだり跳ねたりしていたが今一つ納得がいかない表情である。
 その時、平壌では国際映画祭が行われていた。あまり知られていないことだが、北でも二年に一度海外の映画を上映する国際映画祭が行われていた。参加国は、ソ連、中国、東欧諸国等の社会主義国家と当時、第三世界と呼ばれていたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々である。だが、西欧や日本等の資本主義国の映画も上映されることもあり、その際は関係者も平壌入りする。
 今回は何と香港のアクション俳優もゲストとして来ていた。俺は、団長に彼に輝星の指導をしてもらえないかと相談してみた。団長はすぐに関係部門に掛け合ってくれたようで、翌日、香港俳優は夫人と共に芸術団に来てくれた。
 彼に会った途端、輝星の表情は明るくなった。それは、これまで見たことの無いものだった。
「ウォーリー=ラウさんですね、ファンです」
 通訳された輝星の言葉にラウは目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。まさか北朝鮮に自分のファンが存在するとは夢にも思わなかったようだ。彼は嬉しそうに手を差し出すと輝星と握手をした。
 そして、二人はすっかり意気投合し、アクション指導は順調に進んだ。
 指導が始まって4、5日経った頃のことだ。
 いつも同行して来るラウ夫人が休憩中、通訳(兼見張り役)の女性が離れた隙に、輝星にそっと声を掛けた。
「あなた日本人でしょ?」
 日本語の問いに輝星の表情は一瞬強張ったように見えた。
「いえ、日本で生まれ育った朝鮮人です」
 俺は輝星が答える前に何故か日本語で言ってしまった。
「マリコサンハ、日本人デス。ダカラ、ヒソンチャンニ、日本的ナモノヲ感じたノデショウ」
 ラウはたどたどしいが正確な日本語で応じた。
 ラウ夫妻が日本語を理解出来ることを知った俺は通訳員を断りたいと思った。駄目もとで団長に言って見たところ、あっさりと受け入れてもらえた。以後、俺たちは通訳を通さず日本語で会話をするようになった。
 ウォーリーは話すのは苦手なようだが、聞き取りは完璧だった。輝星が質問するとマリコ夫人の助けを借りながら正しく答えてくれた。
 ウォーリーは指導者としても優秀なようで輝星のアクションの上達はめざましかった。
そのことをウォーリーに言うと
「ヒソンチャンハ、最高ノ生徒デス。才能モアルガ、熱心ニ努力モスル。トテモ素晴ラシイ俳優ニナルデショウ」
と、輝星をべた褒めした。
 ウォーリーといる時の輝星は本当に楽しそうだった。ある日、二人は練習を兼ねてウォーリーが出演した映画の一シーンを演じた。カンフーの場面だったが、その時の輝星の表情は友人と戯れているように見えた。日本の学校でクラスメートたちと休み時間、こうやって過ごしていたのではないだろうか。彼女は昔のことを思い出しているのかも知れなかった。

 この様子を見ながらマリコ夫人は呟いた。
「ヒソンちゃんは、どうしても日本人としか思えないのよね」
 隣にいた俺は応えた。
「両親の一方が日本人で日本の学校に通い、日本社会で暮らしていたのだから日本人と変わらないでしょう」
「でも、あなたは在日だったと言われれば納得出来るけど、あの子はそうじゃないのよ」
 マリコ夫人と俺は何度となく、こうした会話を繰り返した。
 映画祭が終わり、ラウ夫妻も帰国することになった。
 帰国前日、俺は団長の許可を得てラウ夫妻と輝星と俺の4人で会食をすることにした。場所は平壌市内のホテル内の中華料理店だった。
 会食中、輝星はとても寂しがった。それはラウ夫妻も俺も同じだった。
「ヒソンチャン、イツカ、イッショニエイガヲトリマショウ。ニホンノサムライ、ニンジャガイイデスネ」
 ラウは明るい調子で言うと輝星が頷く。北朝鮮と香港で合作映画など出来るだろうか。いや、もしかすると出来るのでは…。
 何も知らなかった当時の俺は能天気にもこんなことを考えていた。
 夫妻が平壌を発った後、輝星はドラマスタッフたちと合流して撮影を始めた。今回も鄭光男、宋彗星と一緒だった。鄭は主人公の親友役、宋は師匠役である。
 このドラマの見せ場は輝星のアクションと共に最新の特撮シーンである。例の国際映画祭の時、日本の特撮チームも来ていて特撮の指導も受けていたそうである。
 第1回分の撮影が終わり、さっそくTVで放映された。
 俺と輝星、その他の団員たちは、芸術団の食堂のTVでドラマを視聴した。
「これ、日本で放送しても十分いけるんじゃないか」
 俺がこういうと他の団員も
「うん、このドラマ日本の放送局に売って稼ごうぜ」
と言って皆で笑った。
 だが、このドラマは日本で放映されるどころか、北朝鮮国内でもこの時以来、放映されることはなかった。
 取り敢えず、この時点では子供向けドラマ「少年・田禹治」も大成功し、聞くところによると、子供たちの間では“田禹治ごっこ”が大流行したそうだ。

「独唱会…ですか?!」
 思いがけない団長の言葉に俺と輝星は顔を見合わせた。
 何と、輝星に単独コンサートをせよという通達が来たそうだ。
 これまで舞台や映画、TVドラマの中で歌うことはあったが、金輝星はあくまで女優であって歌手ではない。そんな彼女にコンサートとは…。
 俺のこうした気掛かりをよそに本人は、
「やってみます」
 と、いつもと同じように力強い声で応じた。
 これまで、彼女はどんな仕事でも引き受け~もっとも断ることは出来ないのだが~そして予想以上の成果を出してきた。
 おそらく今回も大丈夫であろう、裏方の俺たちはそう確信した。
 さっそく公演のためのスタッフが集められ、その準備が始まった。
 まず曲目の選定だった。これまで、輝星が舞台や映画等で歌った曲は全て行う。その他に民謡やよく知られている北のオリジナル曲も歌うことにした。演奏は第一交響楽団が担当することになっている。
 衣裳は軍歌調の曲の時は軍服を身に付け、映画やドラマの主題歌や劇中歌の時は出演した時に身に着けていた衣裳、その他の曲はこの国の女性歌手たち同様、民族服にした。
 輝星は、専門家の指導のもと歌の練習を始めた。
 公演まで一ヶ月余り。この間に全てを仕上げなくてはならない。主役の輝星はもちろんのこと、裏方の衣裳や大道具、小道具の担当者そして第一交響楽団メンバーも公演の成功を目指して力を尽くした。
 間もなく公演の日がやって来た。
 一回きりの公演で席も限られていたため、一般の人々はこのチケットを入手するのが困難だった。
幸いTVで生中継されることになった。
後日聞いた話によると、公演が始まる時間になると通りが無人になったそうだ。
 輝星はいつになく緊張しているようだった。それは、俺を含めたスタッフ全員も同じだった。
 開演時間となり幕が上がった。
 スカートの北式女性用軍服を身につけた断髪姿の輝星が舞台中央に立ち、さっと敬礼をした。この颯爽とした女性兵士の挨拶は映画の一場面だった。
 オープニングは、「偉大なる元帥同志のうた」、続いて「親愛なる指導者同志に捧げる」。この二曲はこの国の国歌以上の存在で音楽公演の際は、必ず一番最初に演奏されるものである。
 前奏が始まり、輝星が歌い始めると客席から感嘆の声が上がった。これまでうんざりするほど聞かされていた歌とは同じ歌とは思えなかったのである。輝星はこの曲の世界を人々の前に描き出したのだ。それは体制側が押し付けようとする思想ではなく革命に生涯を捧げた人々の純粋な物語の世界だった。
 続いて映画「金剛山のこだま」の主題歌及び挿入歌。主人公の思いを込めた歌声は映画の様々なシーンを見る者の前に描き出した。その後、「労農軍は行く」等、軍歌スタイルのテンポのよい歌を二、三曲歌った後、いったん舞台袖に引き上げた。
 素早く民族服に着替えた輝星は、今度は「アリラン」、「焼栗打令」、「桑の葉打令」等の民謡を数曲披露した。これまでの彼女が着たことの無いドレスのような民族服は在日のデザイナーによって特別に仕立てられたものだ。それに合わせてヘアースタイルも結髪にして花を挿した。まさに歌姫である。観客はその華麗さに見とれていた。
 人々に余韻を残しつつ、公演第一部は終了となった。
 控え室に入った輝星は少し疲れた顔をしていたが、とても充実しているように見えた。
 第二部では、輝星が出演した映画やドラマの主題歌、挿入歌を中心に構成した。輝星は映画の時の衣裳で登場した。
 ゲストとして彼女と共演した鄭光男、宋彗星もステージに上がり、映画の名場面を再現したり、主題曲や挿入歌を合唱したりした。こうしたスタイルはこれまでなかったようで、観客は大喜びした。
 コンサートも終盤に近付き、最後の一曲を残すのみになった。エンディングはお決まりの「労農党賛歌」である。普通だと観客はこのあたりで帰りの準備を始めるのだが、輝星の力強く元気な歌声はそうはさせなかった。歌い終えた彼女は民族服の下裳を広げながら優雅な礼をした。
 幕は降りたが拍手は鳴り止まなかった。輝星は再びステージに姿を現し、民謡「焼栗打令」を歌った。そして手を振って幕後に去った。しかし拍手は鳴り止まず、彼女は再度幕前に出て歌う。これを何と三回も繰り返したのである。最後の曲「少年・田禹治」の主題歌の時には、観客が共に歌い始め、会場は大合唱となった。前代未聞のことだったそうだ。
 公演中、俺は舞台の袖から客席を眺めていた。老若男女、皆が幸福そうな表情で輝星を見ていた。
 公演終了後、関係者たちだけで総括を兼ねた慰労会をしたが、その席で俺は輝星にこのことを告げた。彼女はとても喜んだ。自分でもステージ上で観客たちの反応を感じていたと言った。これまで、出る作品、出る作品全て好評だったと言われても今一つ実感がわかなかったそうだ。それは俺も同じだった。だが、今日は実際にそれを確認出来た。
 俺はこの時、この国に来て初めてこの仕事をしていてよかったと思ったのだった。
 この独唱会は女優・金輝星の実質的な引退公演となった。これを最後に彼女は表舞台から姿を消したのであった。


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