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雑誌「世界」4月号「トランプふたたび」を読んで

この鼎談(遠藤乾氏、渡辺将人氏、三牧聖子氏)で述べられている「もしトラ」は文字通りもしもトランプが当選したらであるが、「ほぼトラ」とは、バイデンが当選してもほぼトランプとおなじような政策しか取れない(社会情勢や有権者の動向によって)可能性があるということだ。例えば、メキシコ国境からの移民で溢れかえるテキサス州やフロリダ州の共和党の知事が移民をニューヨークやシカゴにバスで送りつけたりするようなことがあった。また、穏健派を固持できない世界情勢に対処せざるを得ないことがある。

ここで、古き良き時代のアメリカの建国の理念はどこへ行ってしまったのか?という疑問が湧き起こる。私が思いついたのは、七十年代からの新自由主義による民主主義と理念の破壊が一つ、もう一つは移民の増加によりアメリカの理念をよく理解していない人びともいる可能性があるが、大半はアメリカの理念を夢みて来た人だろう。トランプ支持者は従来からアメリカに生まれ育った人が多く、既得権益を守ろうという人びとだ。それでも「法の支配」を逃れようとしている。

ここで私が思い出したのは「民主主義の死に方」という本で、詳細は忘れたが、選挙人が選挙の候補者を決める限定的な民主主義の時のほうが理念は守られ民主主義が機能していたが、完全な民主主義を求めて選挙人を廃止したら選挙を巡って争いが起き過度な相手候補者への攻撃が生じ、民主主義が死にそうだという深刻な話であった。

民主主義陣営の主とも言えるアメリカで民主主義が死んだら、と考えるだに恐ろしいが、その時は日本が憲法を後ろ盾に民主主義の先鋒に立ってほしい。いえ、決して非民主主義国家と争うという事ではなく、民主主義の伝道師になればいいなと思ったのである。

これに対して三牧氏はこう述べる。「ノスタルジーは捨て、アメリカと新しい関係を結び、ともに国際秩序を作っていく、こうした発想に転換すべきです」。

そして、遠藤氏は日本は「暴力」をアメリカに外部化してきた、と言った。それが私にはショックだった。なぜなら日本は自ら非戦を選び、アメリカは日本が再び軍事大国にならないように牙を抜いたはずだったからである。
稚拙な考えを述べれば、遠藤氏の見方は自己疎外ではないかと思う。

渡辺氏はアメリカの一連の紛争・戦争に対する対処に際して「経済階級とアイデンティティ政治の優先対立も癒えない中、侵略、テロ、民間人犠牲やヘイト問題での人権の二重基準や錯綜が忍び寄る余地があったわけです」という。

三牧氏は「『アラブ・バロメーター』の調査によれば、アメリカと中国のどちらが信頼できるかという問いに対し、九ヶ国のうち八ヶ国で中国のほうが信頼できると回答する人が多かった」・・・G7が掲げてきた「人権」や「法の支配」がまったくの詭弁だったとはいいません。しかしその普遍性を守り、発展させていくためにも、ガザ危機が突きつける道義的な問いに真剣に向き合わなければなりません。と結論づけた。

遠藤氏は、三牧さんには外政上の、渡辺さんには内政上の、それぞれ重要な問題提起をいただきました。アメリカの分断が深まり、「正しさ」という羅針盤が狂うなか、国際・国内双方でいかに暴発を防ぐのか、難題です。いずれも簡単に答えの出る問題ではありませんが、ディストピアが迫りくる局面で、粘って考え続けていかねばなりません。と締めくくった。

アメリカの大統領選挙は日本にも多大な影響を及ぼすため、これからも注視していかなければならないと思う。本音を言えば私は「トランプだけは嫌」である。


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