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失恋オムニバス【0903】

放課後に染め上げて


「あー。なにか良いことないかな」

 そう言って机に突っ伏す姿勢となったのは逢川愛衣あいかわあい

 俺は毎日、逢川とふたり。

 放課後の教室にて、しがないトークに花を咲かせるのが日課となっていた。

岳井たけいくんー。わたしは、どうしたらいいかなー」

 こちらを向かず、姿勢も変えず。

 逢川は俺に対する敬意のようなものを全く感じさせない態度で、独り言のように呟く。

 それくらいの距離感が心地良い。

「なんかこう。心を締め付けられるような感動を味わいたいよー」

 なんじゃそりゃ。

 ようするに刺激が欲しいということだろうか。

 そこで俺は、

「じゃあ俺と付き合えば?」

と発言した。

 逢川は、バッと顔を上げ、目を丸くしてこちらを見る。心なしか、その顔は赤く染まっているようだった——

——なんてことはなく、

「……え、無理」

 一蹴されて終わるのだった。

 いつもの掛け合い。いつものパターン。

 こういったぐらいの親密さが、俺は気に入っている。

 気に入ってはいるのだが、もう一歩・・・・という気持ちがないでもない。

「なんでだよー。放課後こうして話すようになって、もうけっこうたつだろー? 俺らけっこういい雰囲気じゃん! 『もうそろそろだ』って期待してたのは俺だけかよー」

「なんと言うかさー。わたしと岳井くんじゃ、つり合わないでしょー」

 そう言って笑う逢川。

 いや、ひどくねえ?

「うぐ。たしかに逢川は美人だけどもよぉ……」

「いや、そうじゃなくて」

 岳井くん、かっこ良いし……わたしなんかとじゃ、つりあわないというか……。と、聞こえるか聞こえないかくらいの声量でモゴモゴ言う逢川。

 ただ俺は、そんな逢川の言葉が——

——めっちゃ、聞こえてた!

わざと聞こえるように言っているのだろうか。

俺は、どう反応するのが正解なのか。その都度、頭を悩ませ、結局

「そうかなー? 俺ってー、そんなにイケメンかなー。自分じゃわかんねーなー」

と、おどけてみせる。

「でも、そういうふうにスグ調子に乗るとこは、正直にウザいよ」

 冷淡な逢川の返しだった。

「岳井くんはいないの? クラスで気になる子とか」

「逢川」

「……そういうのいいから。他には?」

「他の女子なんて興味ねぇよ。逢川以外の女子とか、みんな同じ顔に見えるし」

 これは正直な気持ちだった。

「はいはい、ありがとね。そう言ってくれるの岳井くんだけだよー」

 そう言って立ち上がる逢川。

 午後5時15分。帰りのバスの時間。

 逢川との別れの時間だった。

「じゃあ、そろそろ帰るね。また明日。ふたりきり・・・・・でね」

「……おう」

そう言って逢川は教室を出る。

「…………本気なのになぁ」

 ふと彼女に机を見ると、ペンケースが忘れられていた。

 そっと机の中にしまうことも出来たのだが、俺はこれを持ち帰り、明日の朝に逢川へ直接わたそうと考えた。

 少しでも話す口実が欲しかったのだ。

 翌日、校門あたりで逢川を見つけた。

 逢川は友人と二人で登校しているようだ。

「おーい、逢川―」

 俺は後ろから、逢川を予呼び止める。

「……岳井くん。……なにか用?」

「ほら、ペンケース。昨日、あのあと忘れてたぞ」

 そう言ってペンケースを逢川に差し出す。

「…………」

「ん?」

「……あのあと・・・・ってなに? それ、わたしのじゃないし。ていうか昨日、岳井くんと喋った記憶とかないんだけど」

「……え」

 あ。しまった。

 失念していた。

 なぜか逢川は、放課後のことを隠したがるのだった。

 そんなに、俺と噂になったりするのが嫌なのかな。

 そう不安になるほどに、逢川は俺を執拗に避ける。

 放課後だけの関係。

 不満があるわけではないが、満足かと聞かれればノー。

 そのとき以外での、逢川の冷たい態度に、多少なりともショックを受ける自分が存在していた。

「ねーねー。岳井くん」

 授業と授業の間の休み時間。

 神聖なる憩いの時に、クラスの女子に話しかけられる。

 逢川じゃない女子だ。

 逢川じゃない、その他大勢と同じ顔をした女子。

「岳井くんってさぁ。逢川さんのこと好きなの?」

「…………そうだけど。なんで知ってるの?」

「岳井くんって分かりやすいもん。見てればわかるよ」

 その女子は答える。

 判別のつかない声で。

「そう。でもキミには関係ないだろう。ていうかキミ、誰?」

 比喩ではないのだ。

 俺には比喩ではなく、その女子の顔が真っ黒に塗りつぶされているかのように見える。

 その女子だけじゃない。世界中の――――相川以外の――――人間は真っ黒だ。

 「…………」
 
 真っ黒の彼女が、一瞬固まったが、俺にその表情を視認する術はない。

 理由もない。

「わたし、同じクラスの御宇良みうらって言うんだけど。覚えてくれてないのかな?」

 覚えるもなにも。誰もかれも。

 区別なんてつかにんだってば。

「岳井くんって本当、逢川さん以外見えないんだね」

 ほんのわずかな怒気を込めての発言だったが、俺は「わかってんじゃん」とだけ思った。

 はあ。と、溜息を吐く。

少し間をおいて。意地悪く彼女は、こう言った。

「でも逢川さん。C組のコータローくんと付き合ってるらしいよ」




 放課後がやってくる。

 教室からは生徒が消え、俺と逢川だけが残された。

 俺は「はい、これ」と、彼女に筆箱を手渡す。

「あ、ありがとう! 持っててくれたんだ。悪いねー」

 朝のことなど、何もなかったかのような態度にも慣れたものだった。

「こっちこそ、ごめんな。あれほど放課後以外に話しかけるなって言われてたのに」

「え……。あ、うん。それこそ、こちらこそ」

逢川は少しだけ、バツが悪そうに眼を背けた。

「じゃあ、お互いさまってことで」

 逢川が他の男と付き合っている。

 それに対して、俺がどうこう言う筋合いはないんだけど

「そういえば今日、体育のゴリ先生がねー……」

 じゃあ、どうして逢川は。

 俺と放課後に、こうして話をするのだろうか?

「それでね……」

「なあ、逢川」

 俺は彼女の話を遮った。

 普段のおちゃらけた雰囲気を捨てて言う。

 心地よい日常を捨てる覚悟で言う。

「真剣にさ……俺と付き合ってくれないか?」

 一瞬だけの静止と真顔。

 すぐさま逢川は「また、その話?」と笑った。

「冗談でも、そう言われると嬉しいけどさー……」

「冗談じゃねえよ。なんでいつも、そう、はぐらかすんだよ」

 スゥーっと、息を吐くように。吸う。

「逢川にとって、俺ってなんなの? 友達? それとも彼氏と別れたときのキープ君ってわけ?」

「…………」

 逢川は少しの間、黙り込んだ。

 そのときの彼女の表情を俺は、捉えることが出来なかった。

「……そっか。そのこと、岳井くんに、口を滑らしちゃったんだっけか?」

「ちげーよ。お前からじゃなくて、クラスの女子から聞いたんだ。別の男と付き合ってるなんて、お前自身は匂わせてすらいなかったよ」

 まったくもって、大したもんだ。

「……ちがうの」

 逢川は、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた。

「なにが違うんだよ」

 ああ、逢川が同じになっていく。

「そうだよな。逢川、ずっと言ってたもんな……。『付き合うのは無理だ』って」

 黒く。黒く。

 他の奴らと同じく、黒く塗りつぶされていく。

「俺の気持ちなんて、無視し続けてたもんな……」

「……ちがう」

 俺の世界から逢川が消え、どうでもいい周囲の女子となっていく。

「……馬鹿だな、わたし。放課後だけの、こんな関係だけでも良いって思ってたのに……。全部自分で壊しちゃった」

「……俺は良かったよ。逢川との関係を、ここでケリ付けられてさ」

「ちがうの……」

「だから何がだよ」

 黒く塗りつぶされた、どこかの誰かさんは。

 震えた声で、なにかを否定するが、もう俺には露ほども興味が湧かった。

「わたしもね……。岳井くんのこと好きだったんだよ」

 ふーん。

 どの口が言うんだ、と思った。

「だから言ったの。放課後ふたりだけで、お話しようって……。でも、岳井くん――

――わたしのこと、逢川って呼ぶんだもん」

「……は?」

「ずっと……ずっと、そう呼ぶんだもん」

「なに、お前。苗字で呼ばれるの、そんなに嫌だったの?」

「ちがうの……」

 一体、なにを言っているのだ。この女は。

 俺はフツフツと、頭に血が上り始めるのを感じた。

「わけわかんねーよ。さっきから『ちがう、ちがう』って。なんかお前おかしいよ」

 次第に言葉が乱暴になっていくのを理解していたが、それを止めてることは出来ない。

「結局さ。お前は俺のことなんて、なんとも思ってなかったんだろ!?」

「ちがうんだよ。岳井くん……」

 彼女の頬に涙が伝うのを捉える。

 真っ黒に塗りつぶされた顔だったが、その雫だけは嫌にはっきりと見えた

「わたし……。逢川さんじゃないんだよ?」

「……?」

 彼女・・の顔から黒塗りが消え、パッと表情が浮かび上がる。

 ……誰だ? こいつ。

 その顔は、どこかで見たことがあるような。

 ないような。

「……もう、放課後の関係も終わりにしよう?」

 あれ、でもこの声には聞き覚えがある。

 休み時間のときに話しかけてきた御宇良みうらだ。

 へー。

 なんだ、けっこう可愛い顔してるじゃん。

「おかしいのは、岳井くんのほうだったんだよ……。ずっと」

 そう言って、彼女は教室を立ち去った。

 そういえば逢川に告白したのは半年くらい前になるのだろうか。

 結果は惨敗。

 そのときに励ましてくれたのが御宇良という女子だった。

 そこまでは覚えている。

 それから御宇良と放課後に話をするのが日課になったのだろう。

 ただ俺は、『その相手が御宇良ではなく逢川だったら、どんなによかっただろうか』などと恥知らずなことを考え――

 ――彼女のことを逢川だと思い込んだ。

「……そう。それでさ、やっぱ宿題とかやる時間なくてさー」

「は? そりゃそうだろ。急に何言い出すんだよ」

「冗談じゃねぇって。なんだよー。俺らけっこういい雰囲気じゃん! 『もうそろそろだ!』って期待してたのは俺だけかよー」

「俺は、お前以外見えねえよ。……御宇良」

 誰もいない放課後の教室に、俺の声だけがこだました。


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