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まつのことのはのたのしみ その五

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。
 以前にも書きましたが、「まつのことのはのたのしみ」シリーズは和歌(やまとうた)の作り方について、手短に書いたものです。おほよそ、「その二十」まで続ける予定です。どうかお楽しみに。
 また、以前のものと合はせてお読みいただければ幸甚です。どうか、最後までお付き合ひください。

 前回は暗記についてお話ししました。歌を覚えるといふことは、「歌の言葉」すなはち歌詞(うたことば)を覚えることです。和歌で使へる言葉は限られてをり、表現方法も通常の文語文や口語とも異なります(例へば、鶴=つるならば、たづ等)。さうした必要な知識や言葉は和歌を通じて覚える、その方が楽です。なので、歌の暗記から始めることを勧めました。


 ところで、私ども日本人ならば必ず誰でも知つてゐる和歌があります。よほどの共産党員や偏つた思想に毒されてゐなければ、必ずわかります。なんでせう。

 さう、「君が代」です。

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

松村遥流先生に書いていただきました。


 「君が代」の由来は、様々な書物に明らかなのでここでは省略しますが、明治時代のはじめにはほとんどの国民が知る歌だつたこと、そして、大変素敵な歌だつたことが国歌になつた理由の一つでせう。

 「あなたの年が、永遠に続いて。もろくて弱いさざれ石が、固まつて大きな岩となり、さらに苔が生すくらゐ長く長く」

 『万葉集』の相聞歌(恋慕、親愛の情を述べた歌)のやうに解釈するとかうなりませう。つまり、女性から男性を思ふ歌なのです(万葉の時代、君とは女性から男性を呼ぶ言葉でした)。そして、いつしか君は即ち天皇陛下を示す言葉となりました。

 「天皇陛下の御代が、永遠に続きますやうに

 どちらも素敵な意味です。日本人として、これほど心を揺さぶられる歌は他にさうないでせう。
 以前、和歌の遺伝子のお話しを書かせていただきました。私どもは、「君が代」に見るやうに、和歌が日常にあり、難しいものであつてもなんとなく理解できる素地をもつてゐます。ことのはを通じていにしへと陸続きなのです。そして、心もつながつてゐるのです。
 国歌を大切にすることも、和歌の遺伝子を目覚めさせる上でとても大切なことと思ひ、このことを書きました。

 和歌はとても暗記がしやすいものです。五・七・五・七・七の独特のリズムが理解を助けてくれるからでせうか。読むのに慣れてきたら、自由に節を付けて歌つてみても良いかも知れませんね。私が尊敬する大阪大学の犬養孝名誉教授は、自由に歌つて良いと言つてゐました。さうすると、より歌を覚えやすくなるでせう。

 最後に、国歌を歌ふ時は、胸に手を置かず、隣の方と肩を組まず、直立不動の姿勢で歌ひませう。私どもはアメリカ人ではありませんから。そして、決して「さざれ、石の」とならないやうに「さざれ石の」と切らないで一息に歌ひませう。私の願ひです。

 なほ、私の卒業した大学の教授に、「君が代」は侵略戦争の歌だと述べてゐる者がゐました。教育学関係の教授でしたが、愚かなことです。「日本」平成三十年八月から九月号に掲載された松村太樹さんの「女子高生に語った大東亜戦争」をよく読んで勉強してほしいものです。

 もし、「君が代」が侵略戦争の歌なら、与謝野晶子の

 水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍に行く たけく戦へ

などの方がよほど「侵略戦争」の歌でせう。大東亜戦争は侵略戦争ではありませんが。

 後にまた詳しく記しますが、和歌、すなはちやまとうたを学ぶといふことは、国体(わが国の国柄)を学ぶことに通じてゐるのです。国体を学ぶとは、究極的にはわが国の歴史を正しく学ぶといふことです。

追記
 悪魔でもこのやうに見事に歌ふのに、国歌に反対する日教組をはじめとする反日団体は悪魔以下ですね。

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