見出し画像

【読書日記】11/7 寛大な√に導かれ。「博士の愛した数式/小川洋子」

博士の愛した数式
小川洋子 著 新潮社

記憶障害を持つ元数学者の「博士」
「博士」のもとに派遣された家政婦の「私」
「私」の10歳の息子「ルート」

数学の神様の恩寵のような三人の時間を綴る物語。

物語は1992年3月、「私」が「博士」のところに家政婦として派遣された日から始まります。
64歳の「博士」は、脳の損傷が原因で交通事故にあった1975年までの記憶しかなく、新たな記憶を積み重ねることが出来ません。
かつては将来を嘱望される数学者であったのに、兄の未亡人の家のみすぼらしい離れでひっそりと暮らしています。
博士のくたびれた背広には、クリップでとめられたたくさんのメモ。
その一番重要なものは「僕の記憶は80分しかもたない」

記憶力を失った博士にとって「私」は、常に初対面の家政婦。
だから、博士は「初対面の者に対して抱く遠慮」を毎朝示します。
新しい家政婦に対して「名前」ではなく「靴のサイズ」や「電話番号」等を問い、その答の数について数学的意義を見出すという玄関先で繰り返される毎朝の儀式。

靴のサイズの24は、「実に潔い数字である4の階乗」であり、電話番号の5761455は「1億までの間に存在する素数の個数」となります。
博士は、何を喋っていいか混乱した時、言葉の代わりに数字を持ち出すのが癖であり、コミュニケーションの手段なのです。

博士が数字や数式について語るとき、それは無味乾燥な記号ではなく、宇宙の深淵を示す美しい静けさに満ちた姿をあらわします。
最初は面食らっていた「私」も少しずつ博士に数の神秘を教わり、自らも学び、数字の会話を楽しむようになっていくのです。

ある日、「私」に10歳の息子がいると知った博士は、子どもが一人で留守番をしているのはよくないと主張し、放課後はこちらに来るように、と勧めます。
そして現れた息子の平らな形の頭を見て、博士は言います。

君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ

そしてルートが生れた

そこから「博士」と「ルート」と「私」の時折調子はずれでちぐはぐでも穏やかで温かい交流が始まりました。

ルート(平方根)は、根っこ。大地に足をつけて踏ん張るための根っこ。
ルートの形は、屋根。身と心をその庇護のもとに安らげる屋根。

「ルート」は10歳の少年であり、自分自身が守られるべき稚きものでありながら、その存在は、18歳で未婚の母となり他人の家の家事を請け負うことで生きてきた寄る辺なき「私」と、記憶力を失い数字のみを縁として心細く漂う「博士」の心を満たし確かな生きる力となりました。

多少の波風がありつつも、博士の「80分」が崩れさってしまう時までの、淡雪のように繊細で美しく静かで幸せな記録が本書の物語です。

数字と人の奇跡のようなご縁の物語ですが、人と本との出会いもご縁。

実は、本書は10年ほど前に手に取り途中で読めなくなって放棄した本です。
理由は、博士が、「私」の息子が一人で留守番をしていると知ったときに言った台詞「母親なら自分の子供のために食事を作ってやるべきだ」「子供が学校から帰ってくる時には、母親が出迎えてやらなければならん」などが、その当時の私が一番言われたくなかった言葉だったから。

その頃、保育所に預けられて喉が枯れるまで泣き続けたかめくんも今は中学生となりました。
先日、√の計算プリントを目にしたとき、不意に放りっぱなしの本書を思い出し、再度読んでみることにしました。

今でも上記の台詞は胸に痛いです。
しかし、今の私には、博士自身が両親に早く死に別れていて自らの寂しさから出た言葉なのだろうと慮り、博士の言動から「こどもは、全力で守らねばならないもの」という信念と真心を感じる余裕もあって、博士が初対面のルートを包容して歓迎する場面ではじんわりとこみあげてくるものがありました。

こうして、√のご縁で、またひとつ、好きな作品が増えました。

余談ですが、本書では、阪神タイガースと完全数28を背負った江夏豊選手が大きな役割を果たします。
38年ぶりの日本一に沸くタイミングで本書を手に取ったのは、面白いご縁だな、と思った次第です。

この記事が参加している募集

数学がすき