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Banality of Evil Ⅲ

〈悪の凡庸さ〉は、ハンナ・アーレントが著書『エルサレムのアイヒマン ー悪の陳腐さについての報告』(原著は1963年の傍聴記録)の中で、アドルフ・アイヒマンを形容した概念として広く知られる言葉です。

ナチス親衛隊の高官で、ホロコーストに関与し、数百万の人々を強制収容所に移送する指揮的役割を担った人物。冷血な極悪人という世間のイメージに反し、法廷に現れたのは小柄で気の弱そうな普通の人、上司の命令に逆らえない、どこにでもいる小役人でした。

ごく普通の人間でも、自ら考えることを停止し、上から言われるがまま命令に従えば、巨大な悪を成し遂げてしまう。

このような"アイヒマン=普通の人"の印象を私も持っていたのですが、どうやら専門家の間では、随分前から"アイヒマン=極悪人"なんだそうです。

ベッティーナ・シュタングネト著『エルサレム〈以前〉のアイヒマンー大量殺戮者の平穏な生活』(2011年)によると、アイヒマンがナチズムの世界観に熱い共感を寄せ、自らが主体的に加担したことを十分自覚していたことは、「サッセン・インタヴュー」から誤解の余地がなく読み取れるのだそうで。

その話題を含む識者達の論考と対話記録が、田野大輔・小野寺拓也編著『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』にまとめられています。共著者にシュタングネトの著書の翻訳者、香月絵里が含まれている点も注目すべきところ。

「真実は1つじゃない」「2つや3つでもない」
「真実は 人の数だけあるんですよ」

『ミステリと言う勿れ』田村由美

アーレントがアイヒマンの本質を見抜けなかったのか、それとも見抜いていた上で〈悪の凡庸さ〉と示したのか。個人的に納得のいく"真実"がこちら。

盲目的服従ではなく、どんな方法であれ、どんな手段を使ってでも出世するという考えに取り憑かれた人間。彼を動機づけたのは昇進人事によって優越感を得て自らの仕事をうまく効率的に処理できることを証明するという、もっともありきたりのささやかなものである。この意味で、アイヒマンの動機は凡庸であると同時に、あまりにも人間的である。

凡庸さとは、浅薄さ。薄っぺらさ。昇進に役立ちさえすれば、移送させた人がどうなろうとまったく関心がなかった。他者への無関心さ。

『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』田野大輔・小野寺拓也

〈悪の凡庸さ〉と並んで使われる〈陳腐な悪〉。"陳腐"とは"ありふれてつまらないもの"という意味です。

"凡庸"と"陳腐"が指すアイヒマン像。アーレントの問いは深いですね。



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