花輪を於くる言葉 菊 池 與 志 夫 あらゆる世の惰眠をむさぼる群 小飜譯家だち――諸君は、半歳の 全生活をあげてエドガァ・アラン・ ポオ・の心魂をかれ自らの心魂と した、わが兄弟品川力君の情熱の 炬火をあびまさに慚愧すべきであ る。若し世の偏狭なる人、彼のこ の宇宙に燦たる譯詩の完成に際し なほ滿腔の感謝と至上なる讚仰の 花輪とをおくるに吝かなるものあ らば、僕は敢然として彼らに言ふ。 汝はこの崇高至純の精神に充てる 藝術家の人格そのもの
一錢亭文庫、いつもご覧いただきありがとうございます。 函館時代編はこれにて終了です。 次回からは大正11年から昭和18年までの再々々掲載です。 越後タイムスへ寄稿したものと、王子製紙の社内雑誌だった、「王友」 に掲載されたものが中心です。(一錢亭文庫、運営者、記)
□ 蘇 生 へ る 魂 草 川 義 英 いまはただきみばかりなるわが心もえてあはねばかくも悲しむ ものはみな秋の冷氣にしづもりてかくも淋しきおとづれになく はろばろとゆくへもわかぬ澄空を見つゝ密林の細道にいる ゆるされぬ罪をおかせしひと時のわがくちびるを君よせむるな 雨ぐものひくくもおりて密林のおぐらきあなたはや雨のあし 密林のしぐれの昔よなつかしとふたりのこゝろいやもえまさる さつさつとしぐれの音よ密林の秋の細みち濡れ遠く見ゆ しぐれ遠く
□草川 義英 きみがふす夏の敷布のみだれより わが遠ざくを今はかなしむ かくわれの遠ざくことを恕らずに なほ病みはてしきみのみこゝろ 大いなる雲をつかみて死にゆける きみがゆくゑのはるかなるかも (函館毎日新聞 大正七年一月十九日 十八日夕刊 一面より) ※丘二郎こと竹岡次郎さんへの追悼歌。 ※草川義英は與志夫の函館商業学校時代のペンネーム、同学校の生徒 を中心に結成された夜光詩社という短歌クラブに所属していた。 ※[解説]夜光詩社について #函館毎日新聞 #
暮笛集 (二) 草川 義英 うつとりと鹿に見入りしこころにて三 笠の山を仰ぎてゐたれ 春日なるこれやいこひのなつかし さ奈良戀ふ子らに小鹿きて鳴く 春日野に順禮の子といこふれば小 鹿きて鳴く秋の夕暮 はるかなる奈良をかこめる山の峰 霧にぬれつゝ遠ざかる見ゆ 小鹿なく春日の森の旅いこひ日の ふるままに心つかれぬ ほの暗き春日野あたり夕さりて鹿 鳴く森に啄木鳥のゐる 秋を寒み雨のはれまの山路をば鹿 に鳴かれてくるよしもがな 旅につかれきてもむかしを戀ふも の
暮笛集(一) 草川 義英 午さがり雲ほの見ゆる空のべを鳶の さかしく飛べるなりけりさ □ 春日なる朱塗の宮のさびしさは奈良 をいとしむ心となりはつ □ 午さがり旅の身ながらゆくりなく御 苑の空に舞ふ鳶を見つ □ 奈良はよし都を遠くきて見たる三笠 の山の綠草よな □ ゆくりなく春日の夕のいこひより奈 良のむかしを泣けるなりけり □ 草笛にゆかしき奈良の偲ばれて身も うちふるふ夕なりにけり (函館毎日新聞 大正七年一月九日 八日夕刊
夜光詩社短歌(下) □草川 義英 (一点) 大鳥居石の鳥居を仰ぐさに去年も 見たるあかつきの月 ひとりゐの冬のあらし夜向ふ山を 雪がとぶかや空の明るさ (函館毎日新聞 大正七年一月八日 七日夕刊 一面より) ※草川義英は與志夫の函館商業学校時代のペンネーム、同学校の生徒 を中心に結成された夜光詩社という短歌クラブに所属していた。 ※[解説]夜光詩社について #函館毎日新聞 #大正時代 #夕刊 #短歌 #函館 #夜光詩社 #函館商業高校 函館市中央
京の河霧 (B) 草 川 義 英 草の穂のさやさやゆれて光る秋小道 に瀧の音ききにけり 遠つきしわがなつかしき初旅に暁空 寒き小村なりけり 夜の空にひそまり見江しやまつづきこ の暁の雞鳴く空に 故郷の幻想 あめりかの國旗を被へる轉宅の馬車 のしづかに軋るはつ冬 露西亞人三人ならびてたからかに街 ゆく瞳に見江し秋かな 海燕とぶも床しや春宵のまばゆき雪 のふりいでにけり 京極のまばゆきなかをねりゆける木 履は悲し振袖悲し ―晩秋雲脚記から― (この
京の河霧 (A) 草 川 義 英 あゝ京の雨夜の街の重き色一夜明く れば霧たちにけり 京の空あけぼのゝ雲鴨川の瀬々の流 れにつれ走る見ゆ 流れ星一つ流れて京の夜の祇園の空 は雪降る白さ なみなみと杯酒に映つる弓月を霧た つ夜に飲む男はも うすぐらき秋の東雲霧の街京の目覺 めをなぜで嘆かむ 旅 愁 あゝ旅は明石のはてにつきぬれば破 れし心を抱きかへあむ 夜の雨に松の綠も重おもし淡路にそ ひて筑紫にゆかむ さむざむと海邊の月に浪白く滿潮の 音の身に
晩秋雲脚記(下) 夜光詩社 草川 義英 悲しげにまたなつかしく波にうきうれい もなげに吾が船のいづ 海鳥のうけるも小さししづやけき秋の夕 を悲しみてなく 火にも江てかぎらう□づく陽のごとく雲 の走せゆく/\へしれずに 奈良の暮れ路に 土の匂もとろける如き夕の森に朱に黑に 浮彫きれし春日を拜せし時、三々伍々に群 れて絕江ず行人を恍惚たらしめし神鹿の床 しき眼を見入りたりし時、秋月の森をざわ /\と渡るが聞江ぬ、猿澤の池の哀話を 知り、遥か錦繪の如く空に映れる五
晩秋雲脚記(上) 夜光詩社 草川義英 雨霽れの土の匂もなつかしや旅にあひぬ る時雨なりけり 旅にきて蛇使ひの眼を見てありぬかはき し心して見てありぬ ぐつたりとい寢んねがひもさもしけれ京 の祇園の灯のいろよ 浪路はるかの岩の黑さに月も出よこのま ゝ秋の夜は更けゆくを 夢に泣きすずろに夢をなげかへし秋のつ めたき旅のめざめよ 秋の雨淋しくながし土にしみ吾の心を濡 す都を しらじらと夜の渚の黑土に咲ける秋草ひ そかなりけむ 運命にもまることさへたゞならず流離の 人
(函館毎日新聞 大正六年十一月十二日 十一日夕刊 第一万一千五百九十三號 一面より) ※「坊ちゃんの歌集」 ※[解説]夜光詩社について ※草川義英は與志夫の函館商業学校時代のペンネーム、同学校の生徒 を中心に結成された夜光詩社という短歌クラブに所属していた。 #函館毎日新聞 #短歌 #夜光詩社 #保坂哀鳥 #函館 #大正時代 函館市中央図書館、国立国会図書館、所蔵
夢 夜光詩社 草川義英 ゆくりなく眠りさびしむ心にて昔お もふにた江がたき日よ 雨の音秋の夜の雨ふける思こゝろに 泌みし人も忘れず 君にしてしみじみ偲ぶ雨のおとわが み思ふにた江がたき夜は □病みだれ□ 病室にやむ人びとの心なれ野なかし きりて蟋蟀なくなり ほそぼそとはぎの毛悲し病むともを 偲びつ泣ける病院の雨よ □秋□ 大いなるちからも強きひそやかな雲 にのりくる秋を悲しむ 冬きたれ冬ともならばわが愁凍りて 心やすくなるらむ
□童貞の日よ 麥の穂のはたはたとしてなつかしく 光りし夕よ童貞の日よ 夕しろく古里の空に見ゆる星わが童 貞を偲ぶ淋しさ たそがれの秋空寒し星のひかりわが 童貞のかよはきあはれ 心すませばあまりに淋し蟋蟀なき秋 空ひそか夕ざりにけり 麥の穂のこの秋小みちひらりひらり 銀紙のごとく光る鍬さき □思ひで□ ゆるやけくたけし秋夜のしづ風に星 降りやがて虫鳴きにけり 夏きぬと黍の畑に汗びたり男の子す やかに冬待ちにけり くみすればわれの心のもどかしさは なれつあ
秋の思出から 夜光詩社 草川 義英 哀鳥さんへ―― た江久しかれんだめくらず暮しゆくわがみ 淋しむ秋木立かな そとしづむほこりの小さきかれんだをめく る心も秋の悲しみ はつ秋日かの友おもひたかぶりて虫ちろち ろの野にいでしかな 三日三夜の月悲しめる友なればしみじみ思 へこの良き月に ぬすみ寢も職にしあればといふ友の頬白じ ろと夜に浮きけり ぬすみ寢の夜の窓ぬちに悲しかんっし秋たち ぬれば星の冷たさ そのかみの瞳うるみし男の子なれその泣き ぬれし銀杏偲ばゆ
夜 光 貝 (上) 沖の島は世のおち人のいねる土夜はさめざ めと冷遇に泣く 草川 義英 ほたるぐさぽつちりしぼみ夜となればこの 川邊にをみなごも見ゆ 仝 人 (函館毎日新聞 大正六年九月十三日 第一万一千五百三十六號 三面より) (函館毎日新聞 大正六年九月二十一日 第一万一千五百四十四號 一面より) ※草川義英は與志夫の函館商業学校時代のペンネーム、同学校の生徒 を中心に結成された夜光詩社という短歌クラブに所属していた。 ※[解説]夜