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嵐の日々に負けないように

なんて酷い有り様だろう。
鏡に映る自分を見るたび、しみじみと思う。

シミなのかそばかすなのか、肌は全体的にもやーっとしていてツヤがない。
唇は血色が悪い上にパサパサに乾き、あちこちが剥けて赤くなっている。
眉はボサボサ、うっすらと口髭すら生えている。

最後に美容室に行ったのはもう半年以上前のこと。
短めのショートだったはずが、結べるくらいのミディアムになり、当たり障りないブラウンだった髪色は根元から半分近くまですっかり黒くなっている。
毛量が人よりかなり多いせいで、頭部全体がこんもりと大きく膨張して見える。

本当に酷いな。

もう一度まじまじと鏡を見つめる。
どうしてここまで自分をほったらかしてしまったんだろう。

子供を産んで、去年の春に職場復帰してから、嵐のような日々が始まった。

ごはん、着替え、オムツ替え。
検温して連絡帳を書きバッグを詰め、無数のイヤイヤをかわしつつなんとか登園。
在宅勤務の昼休憩で夕食の準備や洗濯をしつつ、定時にスパッと仕事を終える。

降園イヤイヤから四苦八苦しつつ、子を家の中まで誘導する。
風呂掃除に入浴、風呂上がりには逃げ回る子を保湿し(息子は軽いアトピーだ)服を着せ、ごはんを食べさせてオムツを替える(彼は決まって夕食の最中に大が出る)。

息子の相手をしながら台所を片付け、大騒ぎの歯磨き、そしてベッドに入ってエンドレス絵本読み聞かせ。寝かしつけながら大体は自分も寝落ちしてしまう。

夫が帰宅するのは大抵その後で、土曜日の朝に「久しぶり」なんて会話をすることも珍しくない。


それはもう、日めくりがパラパラ漫画になったかと思うようなスピードで、一日一日が吹き飛んでいった。

夫の仕事は忙しく、出張や接待が重なり土日の不在も珍しくない。とはいえ美容室くらい、夫に子どもを預けて行きたいもの。

それに加えて1LDKが手狭になり、夫婦が揃う週末には家探しが優先された。打ち合わせや内見をすると半日は潰れる。

予定の合間には息子を公園に連れて行き、図書館に行って絵本を借り、スーパーで週末のまとめ買いをする。

テトリスのように予定を詰めても、息子の体調によっては全てが一から組み直しになる。
月曜からまた保育園に行ってもらうため、週末の最優先事項はつねに息子の体調を整えさせることだから。

そんなドタバタの中にいてさらに、望んで妊活し授かった。
初期から血腫があるので安静にと言われ、血腫が無くなった頃にはすこし歩けば息がきれた。座っているだけでお腹が張った。
切迫早産の診断で「安静に」と言われたものの、業務の引き継ぎもあれば、夫の仕事が減るわけでも、2歳の息子が急に大人しくなるわけでもない。

このままじゃダメだと思いつつ、何も大きくは変えられないまま、次の妊婦検診でレッドカード。

即日入院することになったのが、今から3週間前のことだった。

入院して、最初は置いてきた夫と息子の生活が気が気ではなかった。
あれこれ連絡しては気を揉み、夜は寂しくなって涙した。
Wi-Fiのない病棟ではあっという間に携帯の速度制限がかかり、ぼんやりするしかなくなった。

1週間すぎ、2週間すぎ、徐々に入院生活にも慣れていった。

ひたすら点滴をうち横たわるしかない時間の中で、だんだん「子育ての嵐の中にいた自分」から「ただの自分」に戻ってきた頃。
ついに私は鏡ごしに、自分の現状に気づいてしまったのだった。


そういえば、夫にも何度も「美容室に行きなよ」「今すぐ予約しなよ」と言われた気がする。

でも美容室に行くよりも、優先したい予定がいくつもあった。
予定がないならないで、ゆっくりした時間を過ごしたかった。
美容室なら産休に入ってから、平日の昼間にいくらでも行けると思っていた。


部屋に備え付けのトイレに立つたび、鏡の中の自分をまじまじと見る。

「酷いなぁ」

と、そればかり、日に8回ほども繰り返し思う。
自分を見るたびにテンションが下がる。なんて酷い話だろう。

これはまるで、顔ごと水に濡らされて、元気が出ないアンパンマンだ。
もう丸ごと取り替えたい。
ピッカピカの新しい顔で、もりもり力を漲らせたい。

退院予定は36週0日と決まった。

すぐにでも美容室に行きたいけれど、カラー中に陣痛や破水の心配もしたくないので産後、お宮参り前に行くのが現実的だ。

でも次に行けたら、そのときは。

髪を切りたい。とにかく量を減らしたい。
髪を染めたい。強くて元気になるように。

会社もないから、今は誰の目も気にしないでいい。
ちょっと明るすぎるくらいでもいいし、敢えて明るくしないでも、いつものアッシュブラウンより少しだけ冒険した色を試してみたい。

つるっつるんにトリートメントして、なんならヘッドスパもつけてやる。
その頃にはもう、仰向けでも苦しくないはずだ。

美容室帰りに街のガラスに自分を映し、思わず何度も見返したくなるくらい別人になりたい。

ピカピカの自分になったその夜に。
また私は喜んで嵐の中に戻るだろう。
それは大好きな家族に囲まれた、幸せな嵐なのだから。

ただその嵐に心まで吹き飛ばされないよう、ちょっとしたお守りを身につけたい。

一体、どんな髪になろうか。

ひとりきりの病室で、私は今日も考えている。
この時間だけでさえ、少し元気になるなと思いながら。


私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。