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19-2.科学,権力,そして心理学

(特集 伊藤絵美先生との対話)
伊藤絵美(洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長)
下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.19

1.対談の企画意図

[下山]それでは,「心理職の専門性は何か」という本題に入ります。私がこのことを真剣に考えるきっかけは,公認心理師ができたこと。公認心理師の試験やカリキュラムの中身を見ると,それは専門職を目指したものではない。何を目指しているか。それは,まず行政の中で使える実務者。もう1つは,医師の指示の下で働く技術者。専門職は,主体性をもち,専門的な判断をして活動を展開していくもの。実務者や技術者だけだと,心理職の主体性,そして専門性が失われてしまう。今,日本の心理職はその危機に直面している。

そのような状況を伊藤先生がどのように考えているかについてお話を伺いたい。伊藤先生と藤山直樹先生の対談で構成されている書籍※を読んで,特にそう思った。伊藤先生は,「精神分析家は精神分析家になる。落語家は落語家になるように」という藤山先生のあり方に対して,「自分は認知行動療法家を生きている感覚はない。アイデンティティはサイコロジストであり,認知行動療法はツールなのだ」という主旨のことを述べられていた。私は,伊藤先生のその感覚はよくわかった。それで,この対談を企画しました。

※藤山直樹・伊藤絵美(2016)『認知行動療法と精神分析が出会ったら:こころの臨床達人対談』(岩崎学術出版社刊行),該当箇所は同書123頁
http://www.iwasaki-ap.co.jp/book/b245375.html

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2.心理職のアイデンティティを巡って

[下山]今の日本の心理職は,専門性という点では非常に危うい状況に置かれています。しかし,ピンチはチャンスにもなる。つまり,危ういからこそ我々心理職の専門性は何かを真剣に考えるチャンスでもある。混乱している状況の中でどうするか。問題は,心理職がどのような専門性のモデルを目指すのかが見えないこと。それは,本題の前置きとして話した「心理職の仲間割れ」によく顕れている。そのような現状認識,そして危機感についてはどう考えますか?

[伊藤]私は,心理職がアイデンティティを置くべき学問は,心理学だと思っている。心理学の場合,基礎系の,サイエンスの世界で積み重ねた知見やモデルがある。それを基礎として現場で実践をするのが心理職と考える。しかし,“心理臨床”ということを主張する人たちは,それは違うと言う。私は,心理職は心理学を基礎とするということがあまりにも当たり前に思っていて,違うと言われること自体が衝撃。

臨床心理士でも公認心理師でも,“心理”の名前が資格についている。一般の人は,「心理」がついている職名は,心理学の専門家だとみなすはず。一般の人だけでなく,他職種の医師,看護師,ソーシャルワーカーもそうだと思う。“心理”職って,心理学の専門家とみなすに違いない。となると,心理学の知識や方法論を学んで,現場で用いる人と思っていた。

ところが,一方でそうではないと言う声も大きい。そう思っていたところに,『現代思想』誌における東畑開人先生と斎藤環先生の対談※があり,その記事が絶賛されていた。読んでみて驚いた。東畑先生は,“心理臨床”を主張する若手だが,その彼の意見に賛同する心理職が大勢いる。心理職の基礎は心理学でないと考える人が日本に大勢いる。「それは何なんだろう」という気持ちがある。

※斎藤環+東畑開人(2021)「討議:セルフケア時代の精神療法と臨床心理」in 『現代思想』2月号「精神医療の最前線─コロナ時代の心のゆくえ─」青土社
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3529&status=published

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3.専門性の基盤としての心理学を巡って

[伊藤]もちろん心理学が単体としてあるわけではなく,社会学や医学や文化・芸術など近接領域を学ばないといけないとは思う。しかし,まず心理職,つまりサイコロジストとしては,心理学の知見を学んで,それを使って援助するのはあまりにも当然のことではないか。それについてどう思われますか?

[下山]私も基本的にはそう思う。特に臨床心理学や心理職の活動を社会に位置づけていくためには,戦略的に心理学を基礎とするのがよいと考える。現代社会は,よくも悪くも科学が価値観として重要。科学的であることが,社会制度の中に位置づくための条件。その点で科学的心理学を尊重することは必要というのが私の意見です。

科学に限界があるというのは,それはそれで正しい。しかし,社会の仕組みが科学に価値を置いてできているので,それを無視できない。たとえば,医療職とチームを組むときは,科学的であることが前提になる。それでエビデンスが重要となる。その点で心理職の活動が心理学という学問の上に成り立つ活動であってこそ,専門職として社会制度の中に位置づけられる。

医療が社会において特別な権威が与えられているのは,治療効果のエビデンスをそれなりに示しているからです。それと同様に心理職が専門職として認められるためには,それなりにエビデンスを示すことが必要と考える。エビデンスが必要なのは,臨床的な観点からではなく,行政的な,あるいは政治的な観点から専門職として認可され,採用されるためです。

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4.科学 vs 権力,あるいは認知行動療法 vs 治療共同体

[下山]斎藤先生も東畑先生も,そのような科学的研究の意義をあまり評価していない。東畑先生は,文化人類学なども含めて論を展開しているので,近代社会の論理である“科学”には価値を置かないということはあると思う。私自身も科学に価値をおいているわけではない。現代社会の価値システムを構成する装置として科学は重要な基準となっているので,そのことは無視できないし,重視しないといけないと考えている。当然,社会システムなので,そこには価値とともに権力の問題が関わってくる。

[伊藤]東畑先生は,政治というワードもよく使う。信田さよ子先生の著書の見解に共感を示している※。そこでは,「家庭と国家は同じ権力構造だ」ということで,心理学がむしろそこで闘っていかないといけないという見解が示されている。
※信田さよ子(2021)『家族と国家は共謀する:サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA刊行)
https://www.bookbang.jp/review/article/669093

ところで,「プリズンサークル」(https://prison-circle.com)という映画ご存知ですか。

[下山]知りませんでした。

[伊藤]島根県浜田市旭町に「島根あさひ社会復帰センター」という半官半民の刑務所がある※。通常刑務所では,認知行動療法による再犯防止プログラムをやっている。そこでは,治療共同体(therapeutic community)を中心としたプログラムを実施しており,藤岡淳子先生たちが開発した再犯防止プログラムをやっている。それを坂上香さんが監督で映画化した。それは素晴らしい試みで,映画も素晴らしかった。
http://www.shimaneasahi-rpc.go.jp

映画の試写会に行ったときに,信田先生がトークイベントで出ていらした。そこで「日本の刑務所では,認知行動療法が主体となっているが,それはいただけないことだ」という主旨のことを言っておられた。そして,「だから刑務所も治療共同体をやりましょうよ」と述べられた。別のところでも,これは信田先生ではないが,「認知行動療法が新自由主義の手先になっている」「社会適応を促すための道具としての認知行動療法だ」と言われるのを聞くことがある。そのように認知行動療法がディスられる。「人が社会適応ではなくて,主体的に生きていくための力をつけるには認知行動療法ではダメだ」,そして「権力構造を考えて戦っていく」となる。そのような点で東畑先生の見解とも重なる。

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5.認知行動療法は適応の道具なのか?

[伊藤]でも,私は,そこは心理職の専門性と一線を引きたいと思っている。それこそ下山先生も言われているようにサイエンスである必要があると思う。ただ一方で,私の考え方も古いのかなとも思ったりする。確かに上記の認知行動療法への批判は一理あるとは考えている。とはいえ,認知行動療法を実践するのは主体性を持つ一人の人間であり,自分が生きるために認知行動療法に取り組むのであって,「新自由主義」とかそういう思想の話ではなく,もっと生々しい「生きた人間の営み」である。上記の批判にはそういう視点が欠けているといつも思う。

[下山]伊藤先生の問題提起は,今回の対談のテーマの本質に関わる。それは,心理職の専門性における科学や心理学の位置づけのテーマです。また,心理学と認知行動療法,さらにはスキーマ療法との関連性も重要なテーマです。

さきほど言及した伊藤先生と藤山先生の対談本において藤山先生は,心理学を基礎として伊藤先生が実践しているスキーマ療法に共感を示されている。藤山先生は,スキーマ療法だからこそ伊藤先生に共感したという面もあったと思う。心理学を基礎として認知行動療法を実践している人は比較的多い。でも,通常の認知行動療法から,さらにスキーマ療法まで進んでいく人は少ないと思う。その点は,どう思いますか?

[伊藤]それは,どういう意味ですか?

[下山]通常の認知行動療法は,確かに現実適応が目的となっている面がある。でも,スキーマ療法はそれを超えて,心の深いレベルに関わっていく。だからこそ,伊藤先生は,精神分析の藤山先生とディスカッションができるのだと思う。

[伊藤]確かにそういう面があるかもしれませんね。

[下山]その点でスキーマ療法,つまり伊藤先生がされていることは,信田先生や東畑先生が認知行動療法として想定していることとは異なったレベルの事柄なのではないかと思います。伊藤先生にとっては,認知行動療法もスキーマ療法も心理学がベースにある点は共通しているのかもしれません。しかし,スキーマ療法は,単に現実的に適応を目指すだけのものではないし,単純に治療共同体と対立するものでないと思ったりしています。このようなスキーマ療法が切り開いている地平については,改めて対談の後半で扱いたいと思います。

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6.社会権力と向き合った心理職を巡る昔話

[下山]ところで,さきほどの信田先生との関連で言及された「権力構造を考えて戦っていく」ということで思い出すのは,安保闘争とも関連して起きた1960年代後半~1970年代前半の日本臨床心理学会の分裂騒動です。1976年に私が大学に入学した頃は,まだ学生運動の影響が残っていた。大学院に進学して臨床心理学を専攻し始めた頃も,日本臨床心理学会は反権力の社会運動組織として活動していた。だから,「心理職の活動と社会権力」との関係というテーマの危うさは身に沁みて感じている。

日本臨床心理学会の分裂騒動では,私の出身大学の心理学の先輩たちが反権力ということで積極的に活動していた。個人的にもよく知っている先輩たちであったので,彼らのどのような理屈で闘争に関わっていたかは身近で見ていたし,話も聴いていた。第二次世界大戦後に米国から民主主義の文化とともにクライエント中心療法が日本に紹介された。当時の心理学関係者は,敗戦のショックを乗り越える希望としてクライエント中心療法,特に“共感”という概念を積極的に受け入れた。その頃,米国では心理職の国家資格が成立した。それで,当時の心理学のリーダーの人たちは,日本でも心理職の国家資格を作ろうとなった。

それに対して若手心理職が「国家は弱者を抑圧する権力である。そのような国家の資格を作るということは心理職が権力の手下になることである。患者やクライエントは弱者であり,社会的に虐げられた人たちだ。だから,そのような虐げられた人々に“共感”し,支援するのが心理職である。国家資格は権力側につくことであるので断固反対する」ということで,反権力の立場を鮮明に出していった。それとともに日本臨床心理学会の主導権を握り,反権力的な社会運動組織となっていったという歴史があります。

その結果,心理職の活動を反権力の社会運動とするグループと,それには賛成しないグループに別れ,心理職の,悲惨な分裂(“仲間割れ”)が進んだ。

7.河合隼雄先生の位置づけ

[下山]このように「心理職の活動と社会権力」というテーマを巡って,心理職の団体は分裂し,専門活動は混迷を極めることとなった。そのような混乱状況にあった時代に,河合隼雄先生は,そのような心理職の”仲間割れ”からは距離をとっていたのではないかと思う。1960年代半ばにユング研究所留学から帰国した河合先生は臨床心理学会の分裂に深く関わることはなかった。しかし,その後1982年に,新たに日本心理臨床学会が設立されたときには中心的な役割を果たしている。

河合先生は,物事の本質を見通す,鋭い直感力で,「心理職の活動と社会権力」の関係は非常に危険なテーマであることは感じ取っており,社会と心理支援を切り離す”心の内界”方略をとったのだと,私は思います。新たに設立された日本心理臨床学会では,心理職が扱うのは個人の内的世界であるという考えが主流となっていた。そこでは深層心理やイメージが重視された。社会変革を目指して社会運動を重視するようになっていった日本臨床心理学会とは逆に,日本心理臨床学会は社会を外的世界として,内的世界から切り離すというスタンスが強かった。

河合先生は,外的な社会とは切り離された内的な深層世界に関わっていくことに心理職の専門性を置くということを徹底して行った。心の問題と社会を切り離し,心理職を“心の専門家”として位置づけた。そして,それは大成功だった。当時の心理職の大多数は,「心理職の活動と社会権力」を巡っての心理職内での”仲間割れ”(当時は内ゲバと言ったりした)を経験して傷ついていた。そこで,河合先生の“心の内界”路線に大いに魅力と安心を感じて,その門下に入っていった。

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8.社会権力を巡る心理職の“仲間割れ”

[下山]私は,河合先生の方略は,「心理職の活動と社会権力」との関係で生じた心理職の混乱を収めたという点ではとても意味があったと思う。多くの心理職が深層心理モデルを理想モデルとして集うことができた。私もその一人であった。心理職も,人気職業となった。しかし,私は,“心の内界”路線は,「心理職の活動と社会権力」というテーマを回避しただけであったのではないかと思う。だから,国家資格問題をクリアできなかった。そのため,公認心理師という国家資格ができた今日も「心理職の活動と社会権力」を巡って,心理職の,悲惨な“仲間割れ”が起きている。

結局,本マガジンの前号(19-1)でテーマとした“心理職の仲間割れ”は,“社会権力”に翻弄されている心理職の残念な結末とみることができる。河合先生は,最後は文化庁長官になられ,そのような要職に在職中にも心理職の国家資格化のために頑張っておられた。そのような河合先生の手中に長いこと収まっていた心理職は,河合先生というカリスマを失った後では“社会権力”に対してあまりに素朴な対応しかできない。逆に医療,特に医師会は,日本の社会権力としては最たるものであり,行政と密接な連携をとって権力を行使する老練な戦略をもっている。

前号の記事で,医療との関連で心理職の“仲間割れ”が起きた経緯を書いた。もちろん前号で書いた心理職の“仲間割れ”の根底には、1970年代に遡る心理職の分裂の歴史があるといえる。公認心理師を巡っての“仲間割れ”は、その心理職の仲間割れ体質に加えて「医療」という社会的権威が深く介在してきている。その点で,心理職の“仲間割れ”は,「心理職の活動と社会権力」のテーマを巡って起きていると見ることができる。だからこそ,私は,心理職にとって「心理職の活動と社会権力」のテーマは避けて通れないものであると考える。ただし,極めて慎重に,そして戦略的に扱わなければいけないテーマであるとも思っている。

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9.社会システムの中で専門性を考える

[下山]心理職の活動は社会活動であるので社会システムとは関わらざるを得ない。ましてや専門職となれば,当然ながら社会権力と関わってくる。その点で心理職は,科学という上位の社会的価値を戦略的に活用して,自らの専門性と専門活動を社会に位置づけていく努力をしなければならない。このような理由で私は,科学やエビデンスが必要だと思っており,伊藤先生の意見に賛成です。

そこで,伊藤先生としては,日本の心理職の専門性を,今後どのようにしていくのがよいと思いますか?

(以下,次号に続く)
■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)
■記録作成 by 北原祐理(東京大学 特任助教)

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◇編集長・発行人:下山晴彦
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