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平和扇動者・チャップリンが放ったファシズムへの一撃

先日読んだ
『ディズニーとチャップリン』から
チャップリンの話を書いてきました。

私が過去に挙げた
「芸術の三要素」に
照らし合わせ、

芸術性の三要素
・普遍性がある
・言葉で表現できないもの
・哲学的な題材

チャップリンの「普遍性」
「言葉で表現できない部分」に
ついて書いてきました。

最後にチャップリンが取り上げた
「哲学的な題材」について
ご紹介します。

ここで取り上げたいのは、
1940年に公開された
『独裁者』です。

『独裁者』(1940)

本作では当時ドイツで台頭した
ヒトラーによるファシズム政権を
取り上げており、

チャップリンには、
この作品を通して、
これを批判する意図がありました。

こうやって文字で書くと、
なんでもないことのように、
感じられるかもしれませんが、

チャップリンが
このような作品を送り出したのは、
並大抵のことではありません。

というのも、映画産業では、
国内だけでなく、
世界中に配給されてはじめて、
まともな収益が見込めるので、

他国、ましてや、
勢力を伸ばしつつあった

ドイツを敵に回すような
作品を発表するのは
自殺行為でもありました。

しかし、チャップリンの意志は固く、
本作は公開され、
しかもこれが大ヒットしたのです。

もともと、チャップリンは
経済論文を発表するほど、
社会に対して関心が高く、

ヨーロッパの惨状も
その目で見たうえで、
ファシズム政権の危険性を
批判していたんですよね。

そして、この映画は、
周りが想定する以上の
影響力を持ちました。

ヒトラーといえば、
その演説力の高さで
民衆を扇動したことで
有名ですが、

『独裁者』が公開されてから、
その影響力がみるみる
落ちたそうなんです。

その影響力はヒトラーの
演説の回数にも影響しました。

ヒトラーは国民に対して
多い時には、1日に3回も
演説を行なっていたのですが、

『独裁者』が公開された翌年には、
その回数が年に7回、
さらにその翌年には、
年に5回にまで激減したのです。

つまり、チャップリンが
ヒトラーの演説を
パロディー化したことで、

その影響力が急速に
陳腐化したわけですね。

これはとてつもなく
すごいことです。

本書には

「チャップリンは、
 笑いこそ全体主義の恐怖への
 大きな武器となることを証明した」

『ディズニーとチャップリン』大野裕之(2021)p.185

と書かれています。

そうです。きっとチャップリンは
このことを知っていたのでしょう。

著しく客観性を失わせる
恐怖政治は「笑い」の力によって、
無力化できることを。

かくして、民衆の英雄のような
立場になったチャップリンですが、
その後も順風満帆だった
とは言えません。

というのも、チャップリンの
あまりにもすさまじい影響力が
国内でも問題視され、

彼は FBI からも目をつけられる
存在となってしまったのです。

FBI はチャップリンを
引きずり下ろすために、
でっちあげのスキャンダルを吹聴し、
彼を追い込んでいきました。

(実質的には国外追放)

その結果、チャップリンは、
ヨーロッパに移住し、
二度とアメリカに住むことは
なくなるのです。

もちろん、クリエーターとしての
チャップリンは衰えることを
知りません。

その後も多くの作品を残し、
ヨーロッパでも賞賛されました。

アメリカでも、
彼がその地を去ったあとも、
テレビで著作権の切れていた
彼の過去の作品が放送されると、

若い世代にもチャップリンの
作品がリバイバルし、
またしてもブームとなります。

(テレビが台頭した当時、
 映画業界とテレビ業界が対立し、
 映画や映画俳優を使った
 コンテンツを放送することができず、
 過去のチャップリン作品が
 放送されるにいたった)

'72年にはチャップリンが
アカデミー賞特別栄誉賞に輝き、
20年振りにアメリカの地に
降り立ちました。

本書では以下のように
書かれています。

授賞式では史上最長の
12分間のスタンディング・
オヴェイションで迎えられた。
それは決してチャップリンの
名誉回復などではない。
世界中に楽しみを与えた人物を
石もて追い出したアメリカによる、
せめてもの謝罪だった。

『ディズニーとチャップリン』大野裕之(2021)p.250-251

これを読んで、
私は一つの信念を
改めて深く心に刻みました。

笑いは不滅であるということを。


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