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「現代文講師」の限界

中学・高校の国語の先生は、現代文・古文・漢文のうち複数を担当する場合が多かったと記憶する。

それに対し大手予備校の国語の先生は、上記三科目のいずれか一つだけを担当することが多いようだ。


現代文の予備校講師は、しばしばカリスマ視される。

現代文講師は思想や哲学のことも話すので、知的な感じに見られやすいからだろう。

だが現代文しか担当しないと、必然的に古文や漢文には疎くなるものと考えられる。


そうした事情も手伝ってか、現代文講師は実に偏った文学観を開陳したりする。

曰く、「明治になって西洋文学が流入するまでは、日本文学は因果応報と勧善懲悪だけがテーマだった」云々。

あたかも西洋文学に比べ、近代以前の日本文学全てがワンパターンで無味乾燥であるかのような主張だ。


近代以降の文学や評論しか扱わないと、西洋コンプレックスが強まるらしい。

だとしても、授業中に自国の古典文学を過小評価するのは教育上よろしくないので、やめるべきだ。

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