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モーニング

 清々しい朝を迎えたいならば、喫茶店でモーニングを食べるに限る。
 通い慣れた店に行くもよし、新規開拓するもよし。夜、「明日の朝はモーニングから始めよう」と決めて寝床に入るだけで、いつもよりぐっすり眠れる。

 喫茶店では、本を読む。持っていくのは、短篇集や詩集が多い。
 トーストで程よくお腹を満たしたあと、コーヒーを啜りながらする読書は、格別だ。情報の定着力が高まる感覚もある。「この本、喫茶店の〇〇で読んだな」と、空間とセットで覚えていることが多い。

 ここ数回の喫茶店通いで、印象に残っている本の話をしよう。
 リチャード・ブローティガンの『芝生の復讐』(新潮文庫)。自宅の文庫棚にささったまま、おそらく三年ぐらい放置されていた本をようやく手に取った。
 本書に収録されている「習作・カリフォルニアの花」は、コーヒーの店が舞台となっている。次に、冒頭の部分を引用してみよう。

「ああ、にわかに、そこへ到る道もただ空しく、そこへ着いてもひたすら空しい、そして、わたしはコーヒー店にいて、わたしの財産いっさいがっさい集めても買えないような服装をした女性が喋るのを盗み聞きしている。」
リチャード・ブローティガン著、藤本和子訳『芝生の復讐』新潮文庫、P197)

 注目したのは、文末の「盗み聞き」。
 声高に公言することではないが、私もしばしば「盗み聞き」をする。正確に言えば、あとで振り返れば、結果的に「盗み聞き」と見做せる行為をしていることがある。
 コーヒーを啜っていると、ふと隣の席の会話が耳に入り込んでくる。断片的にキャッチしたワードが、興味をそそられるものであったりすると、どうしても詳細が気になって、会話に意識を向けざるをえなくなる。

「彼女は黄色と宝石とわたしには理解できない言語で身を飾っている。なんらの重要性もないことがらについて喋っているが、頑固に話題を変えない。どうしてわたしにそれがわかるかというと、彼女の連れの男がまったく彼女にとりあわず、ただ宇宙をぼおっと眺めているからである。」
リチャード・ブローティガン著、藤本和子訳『芝生の復讐』新潮文庫、P197)

 作品中で描かれる店内の客の様子は、何とも殺伐としている。
 私は喫茶店で、こういう客を見かけたことはない。店にもよるのだろうが、私がよく行く喫茶店の客層は、50代後半から60代前半の夫婦が多い。派手さはないがお洒落な服に身を包み、コーヒーやケーキを口にする姿が様になっている。適度な言葉のキャッチボールがあり、時折笑みがこぼれる。
 自分がいくら背伸びをしても、手に入らなそうな人間関係が、そこにはある。時折憧れの眼差しを向けつつ、私は本の世界に戻っていく。



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