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夜の温泉街の酒場にて パリッコ(酒場ライター、漫画家、イラストレーター)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2024年2月号「そして旅へ」より)

 珍しく「温泉旅館に泊まって豪華夕食を堪能し、そのリポートを記事にまとめる」という夢のような依頼を受け、福井県の温泉街「あわら湯のまち」に一泊したことがある。

 実際、旬の越前がにをフルコースで堪能し、そのあとは温泉三昧というぜいたくな時間を過ごして、本来ならあとはばたんと眠るのみ。となるんだけれど、全取材を終え、ついに到来したつかの間の自由時間。僕は、宿の夕食で重くなった体をなんとか起こし、夜の街に出た。旅の最大の目的はいつだって、偶然の出会い。なるべく地元に古くから根付いているような酒場へふらりと入って飲むこと。それだけは、やらないで帰れない。

 駅前にあるいくつかの小さな飲み屋が集まった横丁は、近年観光客のために作られた施設のようだ。楽しそうだけど、せっかくだからもう少しディープな店はないだろうか。と、どんどん寂しくなる通りを歩いていたら「すみれ」という店が目に留まった。いかにも古そうな、こぢんまりとした外観で、ちょうちんや「ラーメン」ののれんがかかる気取らなさがいい。よし、ここだ。

 からりと引き戸を開けると、小上がり2席とカウンター数席のみの店内。全体が木目調に統一され、カウンター内の女将さんの趣味か、所々に花が飾られているのがとてもいい。先客はなし。

 上品な和装の女将さんは、僕の母と同世代くらいだろうか。さっそく頼んだチューハイを飲みはじめると、「こちらは初めてよね。どちらから?」と話しかけてくれ、すぐに緊張感がやわらいだ。

 黒板メニューを見上げる。地物であろう魚介類を中心に、やっぱり僕の住む東京とは趣の違う部分が多々あって興味深い。一部に「カレーサモサ」「ハットドック」(ホットドッグのことだろう。それとも韓国のハットグ?)などが並ぶのは女将さんの好みか、はたまた常連さんのリクエストか。なかでも気になったのが、お造りの「ガサエビ」。どこかで聞いたことがあるようなないような?

「東京からいらしたなら珍しいでしょう。足が早いから地元以外ではほとんど出回らないんですよ」と、出してもらった7尾の生エビ。甘エビに似ているけれどもっと身が大きく、野性味がある感じ。

 さっそく醤油をちょんとつけてぱくり。おぉ、身にぷりんと弾力があり、それでいてむっちりねっとりとした舌ざわりで、ものすごく甘い。あとで調べてみたところ、日本海側で水揚げされ、地域によって「ガサエビ」や「ガスエビ」などと呼ばれる、別名“幻の海老”なんだそうだ。

 あぁ、越前がには当然うまかったけど、ガサエビも負けじとうまい。そしてこの、あらかじめ予定していたわけではなく、偶然に出会った店で、地元ならではのつまみを食べ、酒を飲んでいるというシチュエーションの楽しさ。初めて会う女将さんとの、心癒やされる静かな会話。僕にとっての旅の醍醐味って、やっぱりこういう時間につきるんだよなぁ。こうして各地に好きな街、店が増えていくのは、なんとも幸せなことだ。

文=パリッコ イラストレーション=駿高泰子

パリッコ(ぱりっこ)
酒場ライター、漫画家、イラストレーター。1978年、東京都生まれ。酒好きが高じて、2000年代後半から酒や酒場に関する記事の執筆を始める。主な著書に『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『天国酒場』(柏書房)、『酒・つまみ日和「ひとり飲み」の小さな幸せ』(光文社)など。

出典:ひととき2024年2月号

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