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濱田秀伯Drの仮説

濱田秀伯はまだ ひでみちDrいわく:

「生きる意味が分からない」という「自己存在の否定」の根底には、「親に可愛がってもらえなかった」など、親から愛情を受けた実感がなく、親への否定的な思い込みがあることが少なくない。
「親の否定」は「神の否定」に繋がる。
自身と神との「タテの関係」が途切れてしまった場合、その穴を埋めるために「有名校に入る」「成績で一番になる」など、この世的な「ヨコの関係」を肥大させようとする。だが、満たされることはない。

こうした「人間の根源的な痛み(spiritual pain)」は、神との関係を正しく建て直せなければ回復できず、この霊的ケアは教会が担うべきものです。

人間は神の似姿につくられ、一人ひとりの中に「神」が宿っているのだから、自分が「神に生かされ愛されている存在」だと気付き、自己を肯定する必要があります。
霊的ケアとは、人に寄り添い、共に祈りながら患者さんが「この世の過剰な自助努力を放棄」し、視点を「水平」から「垂直」方向へ転換できるように導くことです。

一方、教会では、薬物治療が必要であるにもかかわらず、すべてを信仰や罪の問題で片付けてしまい、病気を悪化させることもある。
まずは信徒が各精神疾患について正しい知識を得ることが重要になる。

次に、司祭、そして霊的なことに関心を寄せる精神科医や臨床心理士、精神保健福祉士らが協働し、問題を整理して優先順位を決め、適切な支援につなげることが大切だ。

その上で、家庭にも社会にも居場所がない人のために、教会が無条件に居場所をつくり、「一緒に教会生活を送りましょう」という姿勢で関わることです。
私たちは教会に救いを求める人々の姿を見て、神の存在がなければ人間は生きられないということを教えられ、病気を通して神を知ることになるのです。

(引用元がわからなくなってしまいました)

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