鞆 隼人

大阪の特別養護老人ホームで働く介護福祉士。 介護の世界は楽しい。それを伝えていくために…

鞆 隼人

大阪の特別養護老人ホームで働く介護福祉士。 介護の世界は楽しい。それを伝えていくために。 日々のエピソードから、感じたこと、考えたことを積み重ねるnote

マガジン

最近の記事

否定すること

認知症のあるお年寄りには、否定しないで話を聞くことが大切、といったことをよく耳にする。 もちろんそれは大切なスタンスだ。認知症の方に限らず、誰だって否定してきた人の話は聞く気になれないものだ。まずはその人の味方とならなければ、こちらの話は聞いてもらえない。 ⁡ とある認知症のあるおばあさんは間違えて人のコップを持っていってしまう。この時、「それおばあさんのじゃないですよ!」と間違いを指摘すると、おばあさんは途端に怒りだしてしまう。自分が間違っているはずがない、となかなか修正

    • 「問題」が「問題」じゃなくなる時

      ⁡ ガチャン……ガチャン……ガチャン…… ⁡ 「あぁ、またおばあさん起きて来ちゃったなぁ…」 その音は、夜中眠れずにフロア内を歩き回る、おばあさんが杖をつく音だった。普段から杖をついて歩かれるが、特に夜間は転倒してしまう可能性が高く、迅速な対応を迫られる。 ⁡ 「家に帰る~!」 夕方、決まってそう言うとおばあさんは、所在なさげにフロアを行ったり来たり歩き回る。時に役割として様々な用事を一緒にしたり、横に寄り沿ってゆっくり歩いたりと、なんとかその場をしのぐ日々が続いていた。

      • 僕らの仕事

        ⁡ この時期どこの事業所も研修に躍起になっているだろう。食事介助の学びとして実際にご飯を食べさせてもらったり、オムツ交換を交代で行ってみたり、認知症ケアについて学んだり。そのレパートリーは様々である。だが、肝心要であるその事業所の理念について語られることは少ない。 理念といえば仰々しい感じがするが、つまりうちはこのことを目的に、このような目標を掲げ、こんな方針でやっていきます、という方向性を示すものである。 ⁡ なんだそんなこと当たり前ではないか、と思うかもしれない。しかし、

        • 暮らす場所

          老人ホームと聞けば、まだどこかうしろめたさの残る選択肢、という声があるだろう。 僕は特別養護老人ホームで働いている。そこに入居してくる方たちは、確かにもう在宅生活が限界で、いわゆる「最後の手段」として覚悟を決めてやってくる。いや、正確には大いなる諦めをもって、家族のために入居してくるのだ。 ⁡ そこではもう自分らしく生活することはできないと思っている人が多い。もちろん様々な制限があり、自宅と同じように、ということは難しいかもしれない。しかし、施設への入居は悪いことばかりではな

        否定すること

        マガジン

        • 介護の世界
          54本
        • とある介護施設
          3本

        記事

          助けてもらうこと

          ⁡ 介護施設の朝は最も荒れている時間だ。それぞれが決まった時間、決まった順番で起きてくるなんてことはなく、想定外の出来事に追われ、夜勤者は右往左往のきりきり舞いだ。 ⁡ 歩き出すと転んでしまうおばあさんが、目を爛々と輝かせて起きてきた。ご機嫌ではあるが、僕は他の方の起床介助に向かわねばならず、転倒リスクは最高潮に高いと予想出来た。 ⁡ さてどうしたものか。歩けば転ぶのは仕方ないことだが、なるべく転んでしまうのは避けたい。かといっておばあさんを説得しても、忘れっぽいのでやはり歩

          助けてもらうこと

          夜を守る人に捧げる

          夜を守る人に捧げる ⁡ 「まぁなにかあったら連絡して!」 ⁡ その『なにか』がなにかわからへんねん… ⁡ 新人時代、初めて夜勤業務についた日のことである。当時は施設創設期で、入居者もまばらで、職員も固定されたユニットに配属という形ではなく、勤務体制も入れ替わりが多かった。そんな中で初めての夜勤。予定していたユニットでの夜勤ではなく、まさかの一度も勤務したことのないユニットでの夜勤に。入居者は隣のユニットと合わせて十数名で、自立度もわりと高い方ばかりだったと記憶しているが、それ

          夜を守る人に捧げる

          確かなものはぬくもりだけ

          ⁡ おばあさんはよく転んだ。歩いては転び、転んでは歩いていた。家に帰るといっては、お気に入りの鞄と杖を持ち、もはや叶うことのない願いを胸に、所在なさげにただ歩いていた。繰り返す転倒の中、試行錯誤の上、様々な対策を行っていくが、それでもおばあさんは転び続けた。その歩いていく様は、人として僕らに何を問うていたのだろうか。 ⁡ やがておばあさんは転ばなくなった。いや、転べなくなったというほうが適当だろう。少しずつ足腰が弱り、自分ではほとんど歩けなくなった。介助して辛うじて歩く日が続

          確かなものはぬくもりだけ

          その頂きにはなにがある

          ⁡ 寝たきりの生活。寝たまま出して、寝たまま機械のお風呂に入っていた。辛うじて食事は座って食べていたが、オムツをつけたまま、無機質に並んだテーブルで、ただ黙々と食べることだけ許されていた。 おばあさんはリハビリの時間だけ離床することができた。訓練室では、いわゆる平行棒を使っての歩行訓練に始まり、様々なリハビリが行われていた。その中でも特におばあさんが頑張っていたのが、階段昇降だ。三段くらいの階段を登り、そしてまた降りる。それをひたすら繰り返した。おばあさんは、明日はきっとよ

          その頂きにはなにがある

          子供だましと侮るなかれ

          ⁡ 時に幼稚で子供だましと揶揄されることもあるレクリエーション。だがその威力は計り知れない。入居してから一度も笑うことのなかったおじいさん。寝たきりの生活を余儀なくされていたが、少しずつ離床時間を増やし、トイレに通い、普通のお風呂に入ることで、寝たきりから脱却し、穏やかな生活を取り戻していった。しかし、依然として笑顔をみせることはなかった。 ⁡ そんなおじいさんを、ダメ元で風船バレーに誘ってみた。風船バレーとは、遊びリテーションのキングオブキング。その盛り上がり様は、体験した

          子供だましと侮るなかれ

          思いは受ける人が居てこそ

          ⁡ 普段ほとんど喋ることのない百歳を超えるおばあさん。トイレに介助してお連れする。超高齢であったとしても、なるべくオムツに頼らず、トイレでの排泄を目指す。長老とよばれるおばあさんであってもそれは変わらない。 ⁡ おばあさんは過去、幾度となくトイレに行こうとして転倒していた。生傷の絶えない方だった。そこまでしておばあさんはトイレに行こうとしていたのだ。だったら、その思いを、動けなくなったとしても果たそうとする。おばあさんの思いと行動の媒介となるのが僕ら介護職の重要な役割だ。 ⁡

          思いは受ける人が居てこそ

          心の外の中

          小さいおばあさんだった。しかし、それに反比例して、僕らの中で、ものすごく大きな存在感を放っていたおばあさんだった。 全てを受け入れるかのごとき眼差し。話しかけると小さく微笑んで頷いてくれるその姿に、数多くの人が癒されてきた。辛いこと、悲しいことがあるとおばあさんの横に座ってみる。何を言うでもなく、いつものように笑顔をみせてくれるその不変的な存在に、神々しさすら感じていた。 おばあさんは日常生活のほぼ全てにおいて介助を要していたが、みんなおばあさんに助けられていたように思う。そ

          心の外の中

          つまづいて転んだ時は

          ⁡ ある日の明け方。職員から百歳を超えるおばあさんがベッドから滑落したと連絡が入っていた。 おばあさんは一人で立つことがほとんどできない。にもかかわらず、おばあさんは調子が良い時は一人で立ち上がろうとする。 当然、立つことはできないので、転ぶことになる。今回も恐らく、立とうとして転んだのではないかということだった。 ⁡ おばあさんは助けにきた職員に対して、懸命に何かを話しかけ、しきりに大丈夫だということを訴えていた。座った後も、いつも以上に力強く手を合わせ、これでもかと拝み倒

          つまづいて転んだ時は

          とある日のつぎはぎ

          根拠あるケア。再現性を求められる科学的視点。 正直辟易している感はある。もうちょっとのんびり関わらせてくれよと。 ⁡ おばあさんは「家に帰る!」と強く訴える。その日もいつものように僕に問いかけてきた。 ⁡ 「どこから帰るん??」 ⁡ もう帰れること前提で、場所を探している段階か…どうしようかな…どうやって返そうかな… などと、書き始めた記録用紙の前で、ボールペン片手に固まった僕は、この場をどうやり過ごそうかと必死に考えていた。その思考には、科学的だとか、根拠ある認知症ケアなん

          とある日のつぎはぎ

          「当たり前」が持つ力

          入院生活が長かったおばあさん。寝たきりとなってしまい、自ら身体を動かすこともなくなり、お医者さんからは「もう長くないでしょう」と言われ、施設に入居してきた。 ご家族さんも半ば諦めている様子で、病院でのこと、お医者さんからそう言われたことを話してくださった。 ⁡ さぁそこからが僕らの出番となるのだ。 ⁡ 「おばあさん、これからよろしくお願いします!」 ⁡ 差し出された手を、力強く握り返すおばあさん。あぁこれなら大丈夫だ。 ⁡ まずは少しずつ離床時間を増やしていく。長期に渡っての

          「当たり前」が持つ力

          ルール・オブ・ザ・ワールド

          ⁡ 「そんなもん飲むかー!」 「いらん言うとるやろが!!」 ⁡ おじいさんは薬を飲まない。生死に関わる薬ではないが、それでも必要なものなので、できたら飲んでもらいたいが、やはりなかなか飲んでくれない。 あれやこれやと工夫してみるが、上手くいくことは少なかった。 そもそもおじいさんは介助に対して拒否的態度を示すことが多い。それは僕らへの拒絶というより、介助される自分への葛藤からではないか。介助を受けるようになった老いた自分自身への了解ができていない。こんな俺は俺ではないと、認め

          ルール・オブ・ザ・ワールド

          ほんならお風呂に入れてみて

          ⁡ おじいさんは片麻痺となり、寝たきりの状態で入居してきた。ほとんどの介助を拒否していて、ベッドで寝てばかりの生活を過ごしていた。 おじいさんは憤っていた。今自分が置かれている状況を、一体誰のせいにしたらいいのか。本当は誰のせいでもないと気づきながらも、折り合いのつけることの出来ない感情に、自分を見失いつつあったのだ。 ここから日常業務を通じて生活を共に作り、僕らとの関係性を育んでいく。 そう言えば聞こえはいいが、じゃあ具体的にどうするのか。よく介護の世界で言われる、その人

          ほんならお風呂に入れてみて