ゆかぽん♡身体と感情のセラピスト

繰り返す悩み・長年の生きにくさから解放して、言いたいことが言えるようになるサポーター …

ゆかぽん♡身体と感情のセラピスト

繰り返す悩み・長年の生きにくさから解放して、言いたいことが言えるようになるサポーター 毒親サバイバー・ゲシュタルトセラピスト

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わたしの人生を変えた言葉

《ゲシュタルトの祈り》 私は私の人生を生きる あなたはあなたの人生を生きる 私はあなたの期待に応えるために生きているのではないし あなたも私の期待に応えるために生きているのではない 私は私 あなたはあなた もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ しかし出会えないのであれば、それも仕方のないこと ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・パールズの言葉です。 私はこの言葉に何度も助けられています。

    • 参加者募集! ゲシュタルト療法・体験ワークショップ

      ゲシュタルト療法は『気づきの実践的な心理療法』と言われています。 なんのこっちゃ?です笑 ですが、ワーク(セラピー)を1度でも体験すると「なるほど〜」となるのでとても不思議です。 とにかく体験することがポイントなので、初めての方にも気軽に参加していただけるワークショップにしました! 私自身の経験から・・・ 言いたいことが言えない方 自分探しをしている方 他人との違いに悩んでいる方 何か自分は欠けていると思っている方 そういう方には特に体験して欲しいです。 ゲシュ

      • 毒親サバイバーで右利きの私の、日常での些細な左手チャレンジ

        私は右利きです。 子供の頃「天才は左利きが多い」ということを教わり左利きに憧れました。 両利きという方もいるそうです。とても羨ましいです。 ですが私は右利きです。 40年以上右利きをしていると、自分で言うのもなんですがお箸の扱いはとても上手です笑 何も考えなくてもスムーズに美味しくご飯が食べられます。 お豆もつかめますし、お豆腐も薬味を山盛り乗せても落とさず崩さず絶妙な力加減でつかめます。 会話に夢中になっても苦なくできます! 長く右利きをされている方には共感していただける

        • 毒親サバイバーの私がやりたいことをやってみたら・・・

          先日、私がやりたいと思っていたことの1つ『ゲシュタルト療法のワークショップを開催する』ということをやってみました。 当日は楽しみにしながらも緊張しながらソワソワして、会場に向かい準備をしました。 会場でご参加の皆様の到着を待っていると・・・ 「満足してもらえるかな?」と考えると不安が湧いてきました。 「どんなワークになるかな?」と思うと楽しい気持ちになってきました。 「時間配分はちゃんとできるかな?」と考えると焦る気持ちが出てきました。 他にも待っている時間に色々なことを考

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        わたしの人生を変えた言葉

          毒親サバイバーの私がやりたいこと〜ワークショップ開催〜

          私のやりたいことの1つがワークショップ開催です。 やりたいと思ってから、やれると思えるまでに時間がかかりました。 ようやくワークショップを開催することができます! とても楽しみです。 私はゲシュタルトセラピーに出会い、生きにくさから解放されました。 そのままの自分を受け入れて、自分の感覚や身体と共に生きることが心地良くてたまりません。 ゲシュタルトセラピーに出会う前の私には自分の居場所がなく、他人の目や言葉が気になり窮屈で仕方ありませんでした。 「言いたいことが言えない」

          毒親サバイバーの私がやりたいこと〜ワークショップ開催〜

          毒親サバイバーの私が結婚について思うこと

          私は今年で45歳になりますが未婚です。 今まで結婚を考えたことがなかった訳ではありませんし、ご縁がなかった訳でもありませんが結婚をしないことを選んでの今です。 10代の頃は早く結婚したいと思っていました。 その頃は自分の親が毒親と気づいていなかったのですが、早く実家から出て「自分の家族が欲しい」と思っていました。 早く大人になりたくて自立したくて、親から解放されたいと思っていました。 20代の頃、約5年間の同棲をしていました。 そのまま結婚するものと思っていましたが仕事と

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          毒親サバイバーの私とグリーフケア②

          グリーフケアとは「喪失の悲嘆のケア」という意味です。 私は二年前に母を亡くした時に悲しみと同時に安堵する自分に気づき驚きました。 母に対して色々な感情があり、それらを一つ一つ受け止めていくことが私にとってグリーフケアになりました。 母を亡くした直後は、周りの方が私のことを思って言ってくれる言葉に傷つくことも多くありました。 「お母さんは幸せだったと思うよ」 「そんなに泣いてたらお母さんが心配するよ」 「時間が解決するから大丈夫だよ」 どれも私を励ますために言ってくれている

          毒親サバイバーの私とグリーフケア②

          毒親サバイバーの私とグリーフケア①

          2024年がスタートし色々なことが起こりました。 皆さまが穏やかな日々を過ごせますことを願っております。 私は2年前に母を肺癌で亡くしました。 癌が発見された時、腫瘍は大きく心臓に繋がる大静脈を圧迫していて血管が細くなっていました。 告知の際、医師から「明日、亡くなってもおかしくない。今すぐに治療をスタートしたい。どのような治療をするか早急に決めて欲しい。」と話がありました。 母は「抗がん剤治療はしない。でも、家族が後悔しない位の治療は頑張る。放射線治療はする。」と言い

          毒親サバイバーの私とグリーフケア①

          2023年を振り返ってみる。

          あっという間に大晦日です。 今年は変化の大きい1年でした。 6月にNoteを始めて自分の感じていることや体験など色々なことを言葉にしました。 それだけでも楽しいなと思っていましたが、記事を読んでくださる方がいるのはとても嬉しい! なんだか私を見つけてもらった気分になりました(笑) それを楽しく無理なく継続できたことも、嬉しいことです。 今年は人との繋がりの中で「楽しい」と感じることが増えました。 私は毒親サバイバーで「人が怖い」という気持ちが根底にあります。 今年は「怖い

          毒親サバイバーの私の記録#2 ~私にある「できなくてごめんなさい」という思い〜

          私は機能不全家庭で育ちました。 8歳以下の記憶がないまま成長し、幼少期のことが思い出せたのは1年前に「ゲシュタルト療法」に出会ってからです。 思い出した記憶の数々は衝撃的な出来事も多く戸惑いました。 本当に私に起こった事なのか実感が持てないものもありました。 今でも全部を思い出した訳ではありません。 ある出来事が起きた時に、私は母に対して「それをしなくて良かった」という気持ちと「それができなくてごめんなさい」という気持ちを同時に持っていました。

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          毒親サバイバーの私には見えないお約束があった

          私にはどうしてもそうなってしまうことがありました。 変えたくても変えられないことがありました。 やめたいのにやめられなくて、本当に不思議でした。 それは自己犠牲です。 私は自分の持っている何かを差し出さないと、この場には居てはいけないと思っていました。 身体を壊すまで働いてしまう。 膀胱炎には何回もなり、血尿にも慣れっこになっていました。 肩こりや頭痛は当たり前でした。 次第に自分の不調に鈍感になって、さらに無理ができる自分になっていきました。 嫌なことも笑顔で引き受け

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          毒親サバイバーでヤングケアラーだった私には、「いる意味ない」という思い込みがあった。

          私の母はリウマチで身体が不自由だったので、私は幼い頃から母を手伝ってきました。 母は日常生活の中で助けを必要とする場面がたくさんありました。 身の回りの些細なことから、家事の手伝いなど小学生の頃から多くのことを母の代わりにしていました。 母は思い通りにならない身体を持て余してよく愚痴を言っていました。 小学生の私には受け止めきれないことも多かったのですが、母の心に寄り添いケアをしていました。 色々なことを私なりに頑張っていたのですが、小学生の私にはできないことは多く「私は

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          毒親サバイバーの私の記録#1〜私には幼少期の記憶がない〜

          私には小学校2年生以下の記憶がありませんでした。 小さい頃の写真を見ても思い出話を聞いても何も思い出すことがなく、とても不思議に思っていました。 記憶がすっぽりとなくなっている。 それは私の中で「人として欠けている」という感覚になっていきました。 どこか自分は普通とは違う。 それがバレないように、普通に見られるように小学生の頃から頑張って生きていました。

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          毒親サバイバーの私が言うから間違いない!自分の生き方は自分で選べるよ。

          今日はお盆の入りで、あの世からご先祖様が帰ってくる日ですね。 私の母も帰って来ます。 母が好きだった金木犀の香りのお線香で迎えようと思っています。 私は1年前まで、小学校2年生以下の記憶がありませんでした。 思い出が1つも思い出せませんでした。 自分がどんな子供だったのか、全くわからない。 どうして自分に記憶がないのか不思議で仕方ありませんでした。 1年前にゲシュタルトセラピーに出会いました。 ゲシュタルトセラピーを受け、色々なことを思い出しました。 衝撃的なことが多かっ

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          毒親サバイバーの私が繰り返していた悩みには「私は選ばれない」という思い込みがあった

          どうしてもそうなってしまうことってあるよね。 「あ〜、またこのパターンね・・・」って思う。 そのパターンはわかっているのに、それをやめられない。 やめたいのよ。 でもね、気づいたらお決まりのパターンになっているから不思議。 私の場合はね、色々あるけども 「私は選ばれない」という思い込みがあったの。 仕事でも恋愛でも友人関係でも、諦める私がいる。嫉妬深い私がいる。 例えばね。 仕事で結果を出していても、めちゃくちゃ不安になるの。 他の人と自分を比べて「もっとやらなきゃ」っ

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          毒親サバイバーの私は「お母さんのことが大好きだけど大嫌い」だから、「お母さん」と一言だけ毎日言ってみるの

          今日は「お母さん」って言うとみぞおちの辺りがキュッとなる。 昨日は目の奥がツンとなった。 明日はどうだろう? 私はお母さんのことが大好きで大嫌い。 そう、両方あるの。 お母さんに言えなかった言葉がたくさんある。 お母さんに言いたかった言葉もたくさんある。 それは、今に続いているの。 私のお母さんは亡くなっているから、面と向かって言うことはできない。 でもね、私の中にお母さんは生きているの。 そのお母さんに言ってみよう。 少しづつ。 でも、やっぱり私はまだ言えないの。

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