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おじさん構文の正体

おじさんになって、はじめてわかることがある。
20~30代のひとに向けて書くが覚悟してほしい。
格好悪いと思ってたことが、おじさんだからこの人はこうなんだと思っていたことが、ある日極めて理にかなっていたことがわかってしまうのだ。

今回はおじさん構文について。
わたしも完全にその意味を理解しているわけではないが、「長くて、くどくどした文章」という認識であるならば、完全に本質をとらえ損ねている。

『短く、「了解」とか「ありがとう」とか書けばいいのに、なぜ職場のおじさんたちは、だらだらと長文を書いてくるんだろう。恰好わるい。年をとったから、もうセンスがないんだろうな』

違う。
これは、文章力と解像度の差、そしてマネジメントの視点によるものだ。

はっきりと気づいたのはコロナ禍で対面のコミュニケーションが失われ、チャットやメールによるテキストのコミュニケーションが主流になったとき。

若い人ほど「了解です」とか「ありがとうございます」とか短文で返す傾向がある。
だが、こちらからしたら、丁寧に長文で依頼したことを「了解です」とだけ返されても、状況を把握しかねる。
本当にぜんぶわかったのか? 期限内にぜんぶできるのか?
「①に関しては了解です。②はXXさんに聞いて少し調べる必要があります。③はXXの部分をもう少し詳しく教えてくれませんか」くらいに返ってこないと不安で仕方ない。
そんで、納得したうえでの了解なの? ちょっと不満だけど、了解って言っているの?
その人にとっての興味・関心・難易度など、本来、考慮したい情報が何もとれない。スケジュールに余裕があって受けているのか、忙しいなか無理やり詰め込んでいるのかもわからない。
あまりくどくど追及するのも憚られるから放っておくと、やっぱり期限が過ぎてもできていない。

おじさんが長文で若者が短文なのは、ひとつは文章力なんだ。細かなニュアンスを伝えようとすると、どうしても長くなるんだよ。
あとは、解像度。そのタスクから派生する様々な情報をどれだけ細かくイメージができるか。
最後に、おじさんはいちおうマネジメントしている。何も考えていないように思えるかもしれないけれど。頼まれた側は「できていません」で済んでも、頼む側はそれでは済まない。だから、全力で伝えている。これは完全に立場の違い。
よって、おじさんの文章は、長く、くどくどして、なんなら情感もにじんでいる。クールさなどいっさいない。仕事を回すために必死なのだ。

「ありがとうございます」も、どこのどういう部分をなぜありがたく思っているのか、できれば知りたい。
情報をとりたいのだ。これで相手の実力がだいたいわかる。
相手は知られたくないでしょうけどね。
おじさんが本気で「ありがとう」を表現するときは、「どこのどういう部分をなぜありがたく思っているのか」を執拗に表現する。
だから、キャバ嬢へのメッセージがものすごく気持ち悪くなる。絵文字も全力。これがおじさん構文の正体だ。

今は短文ばかり使っている人も、もし仕事ができる人なら、将来自分がおじさん構文をマスターしていることに気づき、愕然とするだろう。
そして拍手が起きる。
おめでとう、君は仕事のできる人だ!


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