才能に嫉妬しない方法

チェンソーマンのエンディング作った人の一部が高校生だったそうですね。
若い才能というのは、同じ夢を持つ者にとって恐ろしいものです。ですが、なぜ怖いと思うのでしょうか?

創作者として「こわい」と思うことは、やはり取って代わられること、であると思います。「自分が描く必要がない」「あいつが全部作ってくれる」そうなってしまうともう完全にやられてしまったということになりますよね。

ですが、果たして本当にそうでしょうか?

私としては、何かの作品が完全に取って代わられるということは決してないと思います。

我々は非常に有機的な頭脳を持っており、それぞれの感覚、考えることは同じことを想像していたとしても、大幅に異なっています。同じモデルをデッサンしても、気になる特徴は人それぞれ異なるのと同じように。

人の夢を壊すようなものすごい影響をもつ作品は「占い」に似てると思うのです。占い師に自信満々に「あなたの問題はこれ」と言われたら、それに類似する悩みで、本当は少し違っていたとしても、「そうだ!」と思い込んでしまいます。

つまりなにが言いたいかというと、「これ、私が作りたかったものだ!」というのは夢を諦める口実になり得るということです。

誰かがあなたの欲しかったものを完全に作れる訳がありません。もし仮に、「あぁこれが欲しかった」となんの曇もなくいえるのであれば、それは消費者として享受する立場となります。

逆に考えればいいんです。誰かが作ってくれたなら、それを検証してまた新しいものを作ればいい。2年経てば大半の人はその作品を覚えてませんし、参考にしたところで問題にもなりません。(明らかなパクリはだめですが)

↑上記の話は、少し早熟の才能に嫉妬してしまう〜という話とは違いましたね。これからそれについて話します。

早熟の才能というのは、才能や機会を持つ人がその分野にアクセスしやすくなった、ということだと思います。これ自体は祝福すべきことです。

私の立場としては、私のいる漫画分野で天才が出てきても「良かった〜」としか思わないので、嫉妬しないんですよね。強がりではなく、根本的に作るもの違うし…って感じです。

将棋の天才、野球の天才が現れても、みんな「凄い」と褒めるだけなのに、アニメの天才が現れると怖がるのはなぜでしょうか?

おそらく、高慢な仮説を宣うなら、おそらく「自分にもできる延長線にある」と深層心理で思い込んでることがあるのかなと思います。

将棋や野球は自分には無理〜でも若いやつにお絵描きで負けたくない〜 という構造はちょっと歪かなぁ〜と思います。それだけ、お絵描きというツールが社会承認欲求を満たすものとして娯楽化してしまった反動なのかなと思います。

美味しいごはんを共有するように、きれいな絵を自分が描いたと言いたい。

そのような心から、今回の「嫉妬」の問題があるのかな〜なんて。思ったりして。知らんけど。(禁止カード)



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