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「自分」を探究すると、自分を手放せる

自分が何者なのかを知りたい。
そんな欲求を持っている人は多い。

たとえば1 on 1で
「あなたは何がやりたいの?」
聞かれた時。

ふと気づくのだ。
そういえば、自分は何をやりたかったのだろうか?と。
自分がやりたいことよりも、組織が自分に何をして欲しいのかを常に優先してきた。
だからこそ、急に「何をやりたい」と問われても困ってしまう自分がいる。

そして、ふとSNSを見ると、眩しい姿の知人が目に入る。
「これこそが、自分の生き様だ!」
と言わんばかりの輝かしい表情をしている。
それに比べて自分はどうだろうか…?

そうして、私たちは「自分が何者か」という探究に出る。
「あいつが見つかっているのだから、自分に見つからないはずがない!」
心の中に焦りを抱えながら。

そこにお手軽なツールが見つかる。
「診断ツール」というやつだ。
たとえば「ストレングスファインダー」みたいなもの。
他にも、数多くの性格診断系のツールが出ている。

なるほど、自分は「最上志向」か。
とにかく強みを伸ばして、1位になることが好きなんだな。
うんうん。そういえば、昔からそういう気質があったな。なるほど。

しかし、よく考えてみれば、必ずしも「最上志向」な側面ばかりだったわけではないことに気づく。
別に常に一番を目指してきたわけではない。むしろ競争することに疲れてしまっている自分もいる。
一体自分とは何なんだ?
また振り出しに戻ってしまっている…。

振り返ると、僕もこのようなプロセスを何十周も回ってきた。

その過程で気づいたことが一つある。

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