大事な日はいつも雨が降る
朝から雨が降っている。しとしとと一日中降っている。最近は、すっかり半袖で過ごしていたのに、また長袖の上にもう一枚はおりたいような肌寒さが戻ってきた。
最近、週末に限って雨が降ることが多い。数時間ざあっと降ってピタリと止むような一時雨ならいいけれど、一日中降られると、どうしても家の中で過ごす時間が多くなってしまうので、ちょっとがっかりする。
振り返ってみれば、わたしのこれまでの人生において、大事なときに雨が降ることが多かった。
小学校の林間学校、卒業旅行、卒業式はことごとく雨だった。
中学校のスキー合宿は、雨ではなかったが吹雪だった。
高校は…あまり記憶にないな。
大学時代以降も、友人と一緒に旅行に行くときなんかに、わたしが入ると雨が降るということに誰かが気付いて、いつからか、友人の間では「雨女」の異名がついている。
そんなの、完全に偶然なのはわかっている。学校時代の行事で、立て続けに雨が降ったのも、わたしのせいであるはずがない。そんな強い力があったら、今ごろどこかで驚異の雨乞いビジネスを成功させているはずだ。
でも、なんとなく、大事な日を目前に控えると、その日は雨が降るかもしれないという予感が常にある。だからどうということではなくて、ああ、雨かもしれないなという思いが、ふと心に浮かぶのである。
息子が生まれた日も雨だった。
あのお産は、とにかく消耗戦だった。
まず、陣痛が始まってから、陣痛の間隔が狭まって入院するまで丸2日。いざ入院してからも、なかなか子宮口が全開にならず、待つこと15時間。促進剤を入れて、人工破水をしても、産まれそうな気配がまったくない。
そこで、医師から帝王切開を勧められた。これ以上待つと赤子への負担が心配だからとのことだった。一刻も早くお産を終えたかったわたしは、しますしますといって書類にサインした。
さあ手術室へという段になって、もっと緊急度の高い帝王切開案件が前に割り込んできて、そこからまたしばらく待つことになった。看護師さんたちは、「ごめんね、もう少し待ってね」と言いながらも、夫と立ち話に花を咲かせたりなんかして、暢気なものである。さすがの長丁場に体力を消耗し、少し発熱していたわたしは、早く早くと思いながら、時間が過ぎるのを一秒一秒待った。
やっと順番がきて、担架に乗せられて、病院の通路を運ばれていった。へろへろになって、半分閉じかけた瞼の向こうに、天井の電灯の光が等間隔に現れては過ぎていくのが見えた。なんだか、医療ドラマのワンシーンみたいだった。
今度は、さっと横が明るくなった。反射的にそちらへ頭を傾けると、壁を抜いた大きな窓から、何日ぶりかに思える外界の景色が目に飛び込んできた。雨が降っていた。
こんな日もやっぱり雨なんだ。
わたしは、雨の日に生まれてくる息子が、仲間というか、同じ雨の種族みたいな気がして、ちょっと嬉しかったのを覚えている。考えてみれば、わたしが産むんだから、同じ種族でないとおかしいんだけど。
なんのはなしですか。
雨の種族ってなんですか。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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