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1度の起業に失敗、2度目で売却した僕が3回目起業するまでの話

独立にあたって、改めて自分の人生の歩みを記しておこうと思います。

僕はこれまで何度か”創業”をしてきましたが、メディアを賑わすような「起業家」の類とは全く異なり、調達もせずスケールもさせず自己資本のみで、時には会社員と並行して会社を運営している時期が長くありました。

また、成功よりも圧倒的に失敗が多く、時にはアルバイトをしながら泥をすすって、なんとか生きてこれました。

そのため、僕はこの記事を通じて、一人の起業に挑戦した人間がどのように起業に失敗し、その後の人生を必死で生きてきたか。

そして、打席に立ち続けることさえできれば、未来は開けるんだということを伝えたいと思っています。

目も当てられないくらい痛々しい日々もあったので、過去を公開するのは恥ずかしい限りですが、理想を持ってチャレンジする人の後押しになると嬉しいです。

僕の略歴

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長屋智揮|XINOBIX株式会社代表
1991年生まれ。大阪府出身。同志社大学卒中にインドで情報誌の立ち上げを経験。卒業後にレバレジーズ株式会社に入社。2016年に24歳でXINOBIX株式会社を起業し、インド進出支援業をスタートするも失敗。その後、英会話スクールの比較サイトを起業しウェブリオ(現GLASグループ)に売却。その間、株式会社BEYOND BORDERS(現じげんグループ) SEO責任者、株式会社アルゴリズムで事業部長を経験。2021年に再度起業し、マーケティング支援業を行う。

それでは、大学時代から社会人生活までを振り返っていきたいと思います。

何者かになりたい大学生

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2010年に京都の同志社大学に入学。音楽を続けようとアカペラサークルに入るも、なんとなく平凡な毎日に飽きていました。

このままだと何者にもなれない

という若者らしい焦りが常にあっだと思います。

そんな中、サイバーエージェントの藤田晋氏や、ソフトバンク社長の孫正義氏の自伝に影響され、

「自分も何か成し遂げたい」

と思うようになりました。

就活を控えていた大学3年の夏休みには、人生が変わるきっかけがありそうなインドに、一人旅に行きました。インドに行くと人生が変わりそうという短絡的な発想ですね。笑

平凡な大学生、インドにハマる

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そこで、様々なカルチャーショックを受け、インドにどハマりします。

・道路の真ん中を歩く牛の群れ
・ガンジス川を流れる人間の遺体
・あちこちにいる路上生活者

日本にいては決して目にすることのない景色が、そこにはありました。

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「こんなに文化の違う国で働いたら、最強になれるに違いない」。

何者でもない自分が、何者かになれると思わせられるには、十分な環境でした。

そう確信し、帰国中の飛行機の中で「インドで働く!」と決意しました。

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(ガンジス川に飛び込む瞬間。この後、7日間寝込みました)

そこから、たまたまTwitterでインドで起業しようとしてる社長を見つけ、「働かせてください!」と猛烈にアピールした結果、インターンとして採用されました。そして、大学を休学して、9ヶ月間インドで働くことが決まりました。

インドでは仕事を英語で行なっていたため、事前に英会話を独学で猛勉強していました。

休学し、インドで9ヶ月間働いた

インドに渡り、現地の日本人向けのフリーペーパーの立ち上げに、長期インターン一人目として携わることになりました。

インド生活が開始してからは、毎日カレーばかりの生活による下痢と、夜になると凶暴化して追ってくる野犬に苦しみながら慣れるのに精一杯。

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(家に帰ると牛がいた衝撃)

最初話のミッションは情報誌に広告を載せるクライアント企業の営業でした。今思えばインド企業相手に新規事業のBtoBセールスという、なかなかレアなことをやっていました。笑

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(自分が初めて出版した情報誌)

営業先はほとんどインド企業で、毎日数十件ものインドの会社に飛び込みやテレアポで訪問し、英語でプレゼンをして、契約を取っていました。詳細はこちらに寄稿しています。

「"ノリと直感"での決断~インドでの9ヶ月間フリーペーパー制作のインターン」(長屋智揮さん、同志社大学政策学部4年)

結果的に、9ヶ月で70社ほどのインド企業と契約を結ぶことができ、事業を起こすこと、海外でビジネスをやることの面白さを学びました。

「いつか、インドで自分のビジネスがやりたい!」

そう思いながら、インドを去りました。

就活でIT企業に入社を決める


インドから帰国後、就活が始まりました。

なるべく早く自分で事業を立ち上げる経験を積みたかったので、新規事業ができそうなITベンチャーを中心に受け、結果的に4社くらいから内定をもらいました。

そのなかで、入社を決めたのは「学生時代に脳波の測定器を買って、借金をした。」と豪語する社長の会社でした(笑)

その後、東南アジアをバックパックで周遊して、「アセナビ」というASEANで働く日本人を取材するメディアの運営を友人たちと経験。

アジアを舞台に活躍する起業家の方々20名くらいと取材させていただき、刺激を受けました。

(特に読まれた記事、newspicksでバズりました)

挫折を経験した、新卒会社員時代


社会人1年目は、人材紹介系のベンチャー企業のマーケティング事業部に配属され、ネット広告(アフィリエイト広告)の運用をしていました。

その中で、沢山のアフィリエイターと関わり、インターネットビジネスの面白さを学ばせていただきました。

しかし、途中で精神的に病んでしまい、周囲に大きな迷惑をかけてしまい、大きな挫折を味わいます。

入社して半年くらいまでは、自分に自信が持てない日々が続いていました。

転機が訪れたのは、入社10ヶ月目のこと。
趣味で始めたブログがバズって、初めて2週間で8万人くらいに読まれるブログになりました。

そこで、

「自分にもできることがあるかもしれない」

という自信が復活しました。

それによって人生最大級の勘違いをした僕は、2016年3月に入社11ヶ月で会社を辞めて起業することになりました。

24歳で思い切って起業、そして玉砕

ほぼ勢いで会社を辞めてしまったので、当時は何をするか決めていませんでした。

その中で、自分の人生を大きく変えてくれた、インドに関係するビジネスがやりたいと、漠然と思うようになりました。

そこでインド進出を支援するようなビジネスができないかと調査を進めると、インドという市場は可能性が非常に高いにもかかわらず、多くの日本企業が苦戦をしていることがわかりました。

それを知り、日本企業がインドに進出する際の助けになるような事業をやろうと考えました。

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(Tシャツ作る暇あったら売上作れと突っ込みたくなる画像)

8月には、インド人の友人と正式に株式会社を登記しましたが、その時は、事業をスタートできる状態からは程遠い状態でした。

まずはお金を作るために、死に物狂いであらゆる事業をやったり、業務委託で働きます。

・英語のコーチング事業
・ベンチャーでメディアの立ち上げ
・ウェブサイト制作事業
・ウェブライティングの受託
・外国人向けの日本ビジネスツアー

ありとあらゆるビジネスに手を出し、収益は多少出るものの、継続した売り上げにならない状態が続きます。まさに、毎日自転車を漕いでいる状態でした。

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(金が無さすぎて友人と100円の納豆をわけあう日々)

そんな中、ある会社とアライアンスを組み、インド向けにインターネットで日本製品を販売する、越境EC代行事業をスタートすることが決まりました。

サービスをリリースした後、全国紙や様々なネットメディアにも取り上げられ、東証一部上場企業や、有名ブランド企業と商談を進めることができました。

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(当時取り上げられた新聞)

また、行政機関からも仕事をいただき、事業は成功に向けて進んでいると思わわれました。

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(現地訪問の様子)

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(EC関係の展示会出展)

しかし、メインの事業であるインターネット販売代行事業については、商談を前に進めるたびに輸出規制やロジスティクスなどの課題が噴出し、見込み顧客からは次々と契約を見送られます。

この時期に様々な支出が重なり、再び会社の資金がショートしました。今後事業を継続するには、さらなる追加投資が必要でしたが、もう会社には資金的余裕はありませんでした。

この時点で事業を一旦ストップし、友人とも別々の道に進むこととなり、復活に向けて再スタートを切ることにしました。

全てを辞め、警備員へ

事業をストップした後には、

・就職をするか
・別の事業をやるか

の2択で悩んでいました。

「もう一度事業で再起したい」という強い思いは変わらず、なんとか収益化しそうな事業を模索していました。

様々な可能性を模索する中で、最も自然と努力して成果が出る仕事を振り返った時に、「文章を書く」という行為があることに気づきました。

「そうだ、ウェブメディアをやろう」

と決意し、持てるすべてのリソースをそこに投じました。

その頃には失敗を前に見栄やプライドなどを葬り去っていたので、

「事業のこと考えながらも、アルバイトで固定の収入を得ればいいんじゃないか」

という発想が生まれます。

アルバイト先の選択肢として残ったのは、内職ができそうなラブホテルの受付と、警備員の2択。

ラブホテルの受付の面接は落ちたので(笑)、晴れて契約社員の警備員になりました。

そして、2017年6月からは、毎日新聞本社勤務の警備員の契約社員として、ビルを守るアルバイトを始めます。

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(警備員時代の秘蔵写真、IT業界で毎日新聞本社のパレスサイドビルの構造に一番詳しい自信あり)

勤務時間は朝9時から翌日の朝9時まで。
毎日、オフィスビルの防災センターと言う所でモニターを見たり、ビルの中を巡回する仕事をしたりしていました。

必死で運営していましたが、メディアを開始してから半年程度は、収益が十分に出ずに苦しい思いをしていました。数百万程度ですが借金もあったので、

「一度就職して働きながらなんとかするしかない」

と決意します。

運よく、そこで培ったスキルが次の仕事につながります。

ご縁あって不動産スタートアップの代表にお声掛けいただき、会社は続けたまま、SEO担当として入社しました。

不動産スタートアップに入社

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入社後には非常に多国籍な組織を作り、マネジメントするという貴重な経験もさせていただきました。

これまでカナダ、アメリカ、フランス、ベトナム、インドネシア、パキスタン、香港など多い時には十数名を超えるメンバーから構成されていました

ミッションはコンテンツマーケティングによるリード獲得数(問い合わせ等)を増やすというもの。

結果的には、1年足らずで、SEOにおけるリード獲得数を月数件→200件にまで増やし、市場における業界ナンバーワンのメディアへと成長させることに成功しました。

業界新聞でも取り上げられるくらい集客を増やすことに成功しました

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この時には、マーケティングとセールスの連携の重要さを学び、集客に加えてマーケティングオートメーションにもチャレンジしていました。

そして、警備員をしながら苦労して立ち上げたウェブメディアも、「英会話スクールの比較サイト」と姿を変え、月の利益が100万円を超えるようになります。お陰様で数百万あった借入も返済することができました。

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(検索1位を量産していました。守秘義務上キーワードは公開はできません、、)

また、集客のチャネル拡大のために始めたTikTokチャンネルも、動画を出すやいなや初月から750万再生を達成し、事業としては順調に成長していました。

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一定の成果が出せたので、再度独立して事業をやっていこうかと考えていました。
そんな中、経営者の友人から誘われ、デジタルメディア領域で想像をはるかに超えたチャレンジができることを知り、転職を決意します。

友人のスタートアップに転職

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友人が経営しているスタートアップに、女性領域のメディア事業のマネージャーとして入社しました。

尊敬する上司の元で学びながら、メディアの運営にコミットした結果広告売上が2倍になり、結果として事業部長に任命いただきました。

しかし、そこからベンチャーの組織に起きがちな困難があり、体制変更後に自分が実質経営陣の1人になることが決まりました。

結果として、1事業→全事業の責任者となり、社長、副社長とともに事業や組織の戦略を考え、執行するということをやっていました。

そこからが目まぐるしい毎日でした。大手企業様とのアライアンス、新規事業開発、予算作成、M&Aのデューデリ、採用、評価制度設計と経営・事業・組織に渡り奔走する毎日でした。

将来的に上場を目指す企業としてのあり方が、いかに乗り越える壁が多いかを身をもって知りました。

学んだことは数えきれないほどあるのですが、あえて一言で言うと「経営」という言葉の重みでした。

会社を経営し、成長させていくうえで、 事業アイデアや市場の状況はもちろんのこと、 人と一緒に働くということの楽しさや難しさを、 身をもって学ばせていただきました。

詳細はこちらのnoteにも書いています。

メディア事業の売却

警備員時代になんとか踏ん張りながら立ち上げた、英会話スクールの比較サイト事業も、一定の売上が出るようになってからは成長の踊り場に達したと感じました。

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(売却前の売上の推移)

ちょうど自分だけで運営することに限界を感じていたこともあり、事業の譲渡を検討し始めました。

様々な買い手企業様からオファーをいただきましたが、最終的に年間2億人が利用するオンライン英語辞書を運営するウェブリオ株式会社(現GRASグループ)に譲渡しました。

その時の体験談をM&A BANKさんにてお話させていただきました。


(譲渡式の当日に衝撃だったのがM&A仲介会社の担当の方が忍者のコスプレになっていたこと。笑)

事業売却の際に考えたことや、生々しい感情などはこちらのnoteに書いています。

独立と今後について

2021年4月から再び独立しました。当面は企業様向けのマーケティング支援を中心に行ってまいります。

特にBtoB、あるいは高単価なBtoC商材を扱う企業のコンテンツマーケティング(SEO観点の記事制作)が得意です。

自分自身の起業経験から生まれた信条として、マーケティングは経営活動の一環であると思っています。

マーケティングは、あくまでもプロダクトやサービスの価値、マーケットの立ち位置や収益性、それを支える組織の上に成り立っており、単体で成立するものではないと思っています。

その中で、企業ごとに異なるマーケティングの課題を見出して、コンテンツマーケティングという手段を通じて事業の成長に貢献していきたいと思っています。

それを通じて、その企業にしかできないユニークや価値を伝えて、マーケットを作っていくことにワクワクします。

ある程度安定してきたら、自社のプロダクトを作ることも視野にいれていますが、まずはしっかりと価値を出せる会社を作っていきたいと思います。

お仕事のご相談はTwitterかLinkedin、問い合わせフォームからお願いします。

・問い合わせフォーム
http://xinobix.jp/contact/

・Twitter
https://mobile.twitter.com/gayan_x

・Linkedin
https://www.linkedin.com/in/tomoki-nagaya-b36b6186/

長文にお付き合いいただきありがとうございます。



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