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「ラテンアメリカ傑作短編集(続) 中南米スペイン語圏の語り」

野々山真輝帆 編  彩流社

読みかけの棚から
読みかけポイント:最後の4編を読む。ちなみに「続」ではない方は全く読んでない…

リカルド・グィラルデス「ノクターン」
カルメン・リラ「悪魔の姑」
オラシオ・キロガ「ヤグアイー」
フリオ・ガルメンディア「魂」
フェリスベルト・エルナンデス「私に似た女」
リノ・ノバス・カルボ「タマリアの幻影」
フアン・ホセ・アレオラ「すばらしいミリグラム」
ロベルト・アルルト「獣人」
フアン・ルルフォ「アナクレト・モロネス」
ギリェルモ・メネセス「運命は忘れられた神」
ホルヘ・エドワース「精神病院の日曜日」
マリオ・ベネデッティ「屋根部屋」
アウグスト・ロア・バストス「夜の随想」
ホセ・ルイス・ゴンザレス「俺たちが人間に戻った夜」
アルフレド・ブライス・エチェニケ「リナーレス夫妻に会う前に」
サルバドル・エリソンド「アナポイェシス」
あとがき

サルバドル・エリソンド「アナポイェシス」、エチェニケ「リナーレス夫妻に会う前に」

エリソンドの短編は、マラルメの住んでいた家に住んでいる物理学者が、マラルメの詩のエネルギーを物理的エネルギーに変換するというSF味あるもの。有名な作品では知られすぎて小さなエネルギーしか出ない…けれど装置が破損するくらいにはなる。この後、この物理学者が亡くなるくらいの事故が起こった…ということはマラルメの家で何か新たな発見が…

 「詩はその秘めた力、詩を活性化する力と同じだけの努力の結果でなければ存在しないでしょう」
(p243)


(2024 04/28)

エチェニケ「リナーレス夫妻に会う前に」読んだ。自己言及の物語。
(2024 04/30)

ロア・バストス「夜の随想」


若い貧しい男女が隠れて「こと」を済まそうと語り手の家の近くの茂みに来る。それを語り手は覗き見するのがある程度の日課。語り手は作家本人にたぶん近いだろう知識人、アメリカのマイケル・ハリントンの「もう一つのアメリカ」の貧困問題を論じているのを読みながら、いろいろなことを思い出す。アスンシオン近郊で「貧しいため土を食べている子供」を見たのにそれを書かなかったサン・テグジュペリ、ロンドン空襲で夫を失った夫人が語り手のところへ来て空襲の時刻になるとBBCラジオのビックベンの音を聴きながら夢遊病者のようになる話、などなど…最後は例の貧しい男女が来たのだが口論になり男が女を突き飛ばしてしまう…

 それは、何かもっと巧妙で陰険なものだ。我々の肉体、反射神経、そして哀れな習性をうまく利用し、人間を卑しめる。言ってみれば、無言の怒り、その激しい熱を四方八方にまき散らす精神の痙攣である…ふむ…そして、それは口の中に歯石も溜める
(p185)


これ、揚げ物のかすをじっと見ながら語り手がつぶやいていた言葉らしい。この短編の中で一番唐突に出てくる言葉だけど、最後まで読むと結末の二人を暗示しているのかも(歯石は現に溜まっているのだろう)。

ホセ・ルイス・ゴンザレス「俺たちが人間に戻った夜」


この本刊行時には初邦訳だった作家の一人。ホセ・ルイス・ゴンザレス(1926-1996)はドミニカ共和国(ハイチと島分け合ってる方)の出身、作家として活動したのはプエルトリコ。
…でも、作品の舞台はニューヨーク。同じ貧困テーマでもこんな語り口が違うのか、という見本のようなコミカルな話。

 朝から晩までドルを追いかけ、まるでぼろ布でできたウサギに釣られて走らされているドッグレースの犬のようだ。君は見たことあるかね。疲れ果てたあげくにウサギには追いつけない。もちろん、次の日にまた走らせるために人間は犬に餌をやり面倒をみる。人間も変わりはしない。見てのとおりこの国ではだれもがドッグレースの犬のようになってしまう。
(p197)


上記ロア・バストスのp185の文と比較してみるのも楽しいかも。

さてさて、この語り手の最初の子供が生まれる、とトロンポロコ(狂った独楽の意)という子供が語り手の働く工場に伝えにくる。家に急いで帰る途中でトロンポロコが「菓子買って」とか落語の初天神ばりに言うシーンを経て地下鉄乗れば、駅と駅の間で停電で停まってしまう。ニューヨーク中が停電してしまったらしい。保線係の案内で時間かかりながらも、線路を歩いて外に出る(その間、またしてもトロンポロコが立ち小便を語り手の男のズボンにかけながらするというシーンも)。外に出て家に戻ると、たくさんのろうそくと近所の人と産婆さんにより子供は生まれていた。これで終わりかな、と思っていたらどこからか音楽が聞こえてくる。どうやら屋上で即席バンド組んでいるらしい。それもこの建物だけでなくあちこちで。

 大きな月が出ている。金でできているように黄金色だった。空では隅から隅まで世界中のホタルが高みに上り詰め、果てしない空間でゆっくりとくつろいでいるようだった。プエルトリコなら一年中いつでも見られる夜の光景と同じようだ。空を見られないまま長い年月が過ぎた。
(p209)


そして語り手が思い至るのが表題の言葉…
工場の「ボス」のユダヤ人たち(言葉はキツイが家族思い)、トロンポロコ(母親は霊媒師で、亡くなるまでよくしてたから今も孤児のトロンポロコに皆親切)、屋上即席バンドの面々など、脇役も楽しく、なかなかいい短編。
これでこの本の最後からの4編を読んだ。今回はここまでだな。
(2024 05/11)

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