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漫才論| ¹⁶漫才師にとって「人柄」や「人間性」は大切❓

漫才というのは,「自分」がもろに出る芸です。コントや落語のように何かの「役」を演じるのではなく,「自分」を演じる芸だからです

「自分が出る」というのはつまり,自分の「人柄」や「人間性」が芸に反映されるということです。芸人というのは破天荒なものであり,「そのほうがおもしろい」という考え方もありますが,最近では,「コンプライアンス」や「人を傷つけない笑い」が求められるようにもなっており,芸人にとっての「人間性」というのは,今考えるべき重要なテーマの一つではないかと思います

「いじめ」に手を出すことになる

破天荒なことをするためには,「一般の人はしないこと」だけでなく,「ほかの芸人がまだやっていないこと」をしなければいけないので,だんだん過激なことに手を出す人が現れます。「いじめ」のようなことをやり出す人も現れます。「破天荒なこと」を追求しようとしても限界があるのでそうなるのだと思います

実際,「破天荒なことをするのを見て笑う」というのがこれまでのテレビの「お笑い」の一つの形でしたが,その中には「いじめ」のようなものもありました。それを見て不快に感じていた方も結構いたはずですが,当時はそんな反応をすると,「ノリが悪い」とか「頭が固い」などと言われたりしました。「いじめ」を見て笑う人は今でもいますが,それでもようやく,それは「いけないこと」という認識が浸透しつつあります

「破天荒」に限界がある理由

「破天荒」に限界があるのは,人には「人間性」があるからです。「人としてこれはやってはいけない」というラインがあります。「いじめ」もその一つです。そのラインを超えているものを,心から笑うことなどできません。ですから,限界がある「破天荒」を追求しても,先はありません。むしろ,「人間性」を磨き,人柄を磨き,を磨いたほうがいいと思います。それは全部漫才に出ます

「話芸」といっても,ただ口が達者なだけで性格が悪い人の話を聴きたいと思っている人は,そこまで多くないと思います。性格が悪い人が言う悪口のような"芸"は,一部の人に好まれる「内輪ウケ」のようなもので,多くの人の心をつかむことはできません。そういう「内輪ウケの世界で生きていきたい」というのであればそれはそれで自由ですが,本当に「話芸」を磨きたいのであれば,「人柄」や「人間性」を磨く必要があると思います

「夢路いとし・喜味こいし‬」
という漫才師の生き様

「破天荒」が封じられつつある今の時代,どんな「笑い」を目指したらいいのか分からなくなっている芸人もいると思いますし,「『人間性』なんて磨き出したらおもしろくなくなる」と思っている芸人もいるかもしれません

その答えは,「夢路いとし・喜味こいし‬」という漫才師の生き様を見れば分かります。年を取っても本当におもしろい漫才を続けるためは,「芸」と「人間性」を磨き続けるしかないと思います

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