見出し画像

それぞれの「世界」を繋ぐ『生きててよかった』

鈴木太一監督のデビュー作『くそガキの告白』を以前観ていて、興味をもって鑑賞。

『くそガキ〜』は、今野浩喜さん演じる映画監督志望の青年が自分の「世界観」にこだわるものの撮りたいテーマをみつけられないという、鬱屈しながらもユーモラスな日常を描く。未見の方もいると思うので詳細は書かないが、青年はラストに撮りたいものを(やや破天荒な方法ながら)みつける。

同作の鑑賞後、鈴木監督のあるインタビュー記事を読んだところ作品と監督の実体験はかなりリンクしているようで、そのうえで思い返すと監督が撮りたい「世界」を探す焦燥が伝わってくるかのようだった。

さて鈴木監督の長編第2作となる『生きててよかった』である。木幡竜さん演じるボクサーが、長年の闘いの結果ドクターストップがかかり引退する。鎌滝恵利さん演じる幼馴染の妻のために職に就こうとするも上手くいかず、彼の引退を知った裏稼業風の青年に誘われ賭博絡みの闇の格闘技界に足を踏み入れることになる。

観て予想を裏切られたのは本作が群像劇ということである。登場人物達はボクシング(というより強さ)に取り憑かれた主人公に振り回される。鈴木監督の前作『くそガキ〜』の主人公の青年のように登場人物達は「世界」という言葉を連呼する。しかしそれは最初それは人物達を繋ぐものでなく、個々の閉ざされた「世界」なのではないか?と思わせる。

『くそガキ〜』で主人公を演じた今野さんはボクサー夫婦の幼馴染で売れない役者なのだが、本作では狂言回しのような役割で、夫妻らそれぞれの「世界」を行き来する。その結果ラストで「世界」は一つに収斂する。今野さんの役は鈴木監督のメッセージを代弁するかのように思える。

一人の青年がもがきながらみつけた「世界」から、複数の人達がつくり上げるより広い「世界」へ。そこに鈴木監督の作劇の円熟を感じた。

主人公と同じようにボクシングを諦めたものの国際的アクション俳優に転じた木幡さん(正しく鋼のような肉体!)、鎌滝さんや今野さん、そして火野正平さん(ボクシングジム会長役)らベテランの演技、『ベイビーわるきゅーれ』の園村健介アクション監督によるシーン演出も作品に説得力をもたせる。

衒いなく描かれた人間ドラマの快作である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?