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静岡・水窪の山、そして森

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静岡の秘境?水窪町にある山と森について書いています。深い手つかずの森はわたしになにを語りかけてくれたのか?
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春の水窪、森歩き その1          ~新緑の麻布山へ~

 さて、巷は春真っ盛り。ということは、奥の森はいよいよ春を迎えている頃だな、ということで、ゴールデンウィークのはじまりは4月29日、浜松の最北、信州との県境にある水窪(みさくぼ)の山へと向かった。  前日に降った雨を吸い、晴れ渡った空に新緑の山々はとても美しかった。美しすぎて思わず車を停め、車道に出て写真を撮ってしまう。この日、向かったのは標高1685メートルの麻布山(あざぶやま)。数年前に登ったきり、しばらく訪れていなかった山だ。登山口から山頂までそこそこの標高差があり、

水窪町・常光寺山 春の山歩き、森歩き~その6 ~森だけ見ていてはダメである~ 

 さて、そんな常光大神の領域(と感じられた場所)を後にし、元来た道を下った。登山や森歩きの場合、同じ道を往復してもなぜか行きと帰りとでは、そこが違った景色に見えるのが不思議でありおもしろい。物事の表と裏を見るような、登りの際にこれで常光寺山の森を見た、と思っても、下りでは、へえこんな森だったのか、と思うこともある。そんな時、文字どおり物事の一面しか見ていないのだなと実感する。  写真のミツバツツジの花は登りでも見ていたのだが、下りではより多く目についた。 ミツバツツジは今

水窪町・常光寺山 春の山歩き、森歩き~その5 神の領域~ 

 さて、ずいぶん高いところにまで登り、ようやくお目当てだった早春の草花にもお目にかかった。あとは頂上を目指すだけ、ということで歩を進めると、いきなり目の前に大きな鳥居が出現した。 標高はおよそ1300メートルぐらいであり、頂上まではあと100メートルぐらいのところまでは来ているだろう。いよいよ神の領域に入ってきたか、なんて思いがよぎる。そして鳥居をくぐり、しばらく行くと、次にちょっと息をのむような光景が現れた。 急に地形がなだらかとなり、大小さまざまな大きさの木が生える森

水窪町・常光寺山 春の山歩き、森歩き~その4 早春の草花との出会い~ 

 さあ、そんなかつての里山の名残りがある林を進んでいくと、徐々に人手のついていない森へと移り変わっていった。その標高がどれくらいであったかは定かでないが、かつての人びとは山のある高さまでを里山として利用し、それ以上の場所は意図的かそうでないかはわからないが、手つかずの森(原生林、奥山)として残した、とよく言われている。 上の写真のとおり、木々は太い1本の幹となって立ち、さまざまな種類のものが生えているのが分かる。そういえば、この頃にはもうずいぶん陽が差し、暖かくもなって、鳥

水窪町・常光寺山 春の山歩き、森歩き~その3 かつての里山出現~ 

 さて、いきなりヤマビル出現の先制パンチを食らったわけだが、気を取り直し、どんどん山道を進むと、ジメジメとしたスギ・ヒノキの人工林が終わり、やや明るく乾いたアカマツと広葉樹の林が広がった。そして、その林はかつての里山だったことが如実にわかる、そんな姿をしていた。(この頃にはもうすでに、ヤマビルのことはすっかり忘れてしまっていた)。  ちょっとわかりづらいかもしれないが、上の写真は二枚とも、細い広葉樹の幹が根元から5、6本、一斉に出ているところだ。これはかつて1本の幹がスッと

水窪町・常光寺山 春の山歩き、森歩き~その2 受けた先制パンチ~ 

 さて、丁寧な道案内を受け、いよいよ常光寺山への登山道に取り付いた。そして、最初の目安となる小さな神社の前で暑くなった服を一枚脱ごうと、担いでいたザックを地面に置いたそのとき、ふと視線を落とした地面の先になんと、アイツがいた。そう、ヤマビルだ。 「えっ!おじさん、ヒルはまだ出てないって言ってたじゃん・・」と文句を垂れたところで道案内のおじさんには何の罪もない。考えてみれば、もうシカは出ているとのことだし、昨日はたっぷりと雨が降っての今日は、朝から快晴。ヒルの出る条件はそろっ

水窪町・常光寺山 春の山歩き、森歩き ~その1 臼ガ森集落はどこに~

 さて、今回も先日行った山と森の話を。  今年の春は来るのが早い。いつもはゴールデンウィークの頃に咲いている里のフジの花がもう咲いている。ということは、山の春も早いのに違いない。まだ見たことのないあそこやあそこの春の景色を見ておかねば、と心は急かされた。  ということで、浜松市の最北端、信州・長野県との境に位置する水窪町(みさくぼちょう)の常光寺山(じょうこうじさん 1438.5メートル)へ出かけた。麓の水窪町周辺はウツギやヤマブキなどの花盛りだろうが、標高の高いところへ

秋の水窪・山歩き その2

 さて、山王峡の次に行った場所は水窪ダムの上流、白倉川沿いの林道である。ここもまた車で行き、林道脇に駐車してすぐに歩きだすことができる。そして、川沿いで湿り気のある”森の切れ目”だ。  車を停めたところに咲いていたのはレモンエゴマだった。その名からして外来種か園芸種が野に逃げたものかと思っていたが、どうもそうではなく、れっきとした日本の野生種のようである。たしかにレモンとエゴマが混ざったような匂いがし、本場の韓国焼き肉を食べたから者からすると、この葉で肉を巻いて食べてみたく

秋の水窪・山歩き ~その①~

 結婚して家族ができると、休日の過ごし方がそれまでとはガラッと変わってしまった。いきおい、休みの日は家族と過ごすことが多くなる(過ごさざるを得なくなる・・)のだが、不規則勤務のわたしの場合、平日が休みだと家の畑作業をしたり、家事をしたり、フラッと買い物に出かけたりもする。そして、独身時代によくやっていた山歩きはいつの間にか、それらあれこれの一番後に位置するようになってしまった。家族との時間は持てているか、体は休まっているか、家の片づけや掃除はできているか、畑作業が滞っていない

静岡・水窪の山、そして森        ~好きな手つかずの森~

 こうして、浜松に暮らす10年間のうちに何度か水窪に通い、そこにある森を見てきた。そのなかでもわたしが“いい森”だと感じたのは、おもに天竜スーパー林道より上方の、標高1100メートル以上の場所にあるあまり人手のついていない森だったが、そうした森はいまやごくわずかしか残されていないこともよくわかった。  そんな森には樹齢100年を越すようなブナやミズナラ、そしてウラジロモミといった木々が生え、数百年、ひょっとすると数千年の間、世代交代をしながら森はあり続けてきたのかもしれず、

静岡県旧水窪町と天竜スーパー林道  ~静岡水窪・門桁山の森 その1~

 水窪(みさくぼ)という地名を初めて知ったのはいつだったろうか。  その頃、わたしは大学のあった信州・伊那谷というところに暮らしており、そこから実家のある静岡県の焼津へ車で帰る途中、その名を目にしたのだと思う。焼津で生まれ、そのあとすぐに京都で育ったわたしには、三遠南信(さんえんなんしん)と呼ばれる愛知県北部、静岡県北西部、そして長野県南部が複雑に入り組んだ地域にある根羽(ねば)や設楽(したら)、売木(うるぎ)、そして水窪といった聞き慣れない地名に、なにか得体のしれない(失礼

野性のサクラ、そして手つかずの森  ~静岡水窪・門桁山の森 その2~

 そんな門桁山を初めて訪ねたのは2012年の5月上旬だった。標高1500メートルあたりの森はまさに新緑、樹種によって微妙に違う芽吹きの色がモザイク状となって、それはとても美しかった。こうした光景は西南日本の太平洋岸に広がる照葉樹林(シイやカシなどの常緑広葉樹林)や針葉樹林では見ることのできない、落葉広葉樹林特有のものである(「山が笑う」という古来の表現はまさにこの景色をいう)。浜松に越してくるまでに静岡県中部の手つかずの“いい森”で見た景色とそれは同じであり、ここにもやはりあ

2つの森               ~静岡水窪・門桁山の森 その3~

 ところが、歩いてきた右手側(稜線の東側)には登山口からずっと、ヒノキの人工林が続いていた。標高1200~1300メートルを走る天竜スーパー林道より上部へ登ってきたのであるが、稜線の東側は西側と違う計画を立てたのか(大きな尾根や稜線でその所有が違っていることはよくある)、そこにはおそらく麓から延々と続いているのだろう、ヒノキの植林地が広がっていたのである。だとすると、麓の標高200~300メートルの春野町(はるのちょう)からここまで、人がもともとあった木を伐り、ヒノキやスギを

クマタカとの出会い         ~静岡水窪・門桁山の森 その4~

 ツツドリのほかに、この門桁山で聞いた夏の渡り鳥の声といえば、オオルリ、キビタキ、コサメビタキ、ホトトギスなど。オオルリ、キビタキ、ホトトギスはもっと下方のいわゆる里山でもその声を聴くことができるが、コサメビタキやコマドリといった鳥の声はこうした奥山へやってこないとなかなか聞くことができないだろう。もちろん、春には渡り鳥以外の、一年中この森に棲む鳥(留鳥という)であるウソやシジュウカラ、ヤマガラなどの声も森には響き渡った。こうした春の鳥の鳴き声は”さえずり”と呼ばれ、おもに求