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結局、書くって何だ?は、自分って何だ?人間って何だ?人生って何だ?を自問自答しながら、皆さんに問いかけているような気がする

年がら年中、「書く」をテーマに書いてきた気がする。
それでもって、何回書いても、本当のところ、結論が見えてない気がする。

結局、書くって何だ?は、自分って何だ?人間って何だ?人生って何だ?を自問自答しながら、皆さんに問いかけているような気がするのだ。

皆さんに問いかけるには、まずは自分のことを語らなければならない。
自分のことを語るには、過去を振り返らなければならない。
それは、思い出したくもないような、見たくもないような、そんな時代を掘り起こすことにもつながる。

そりゃあ、エネルギーを使うわけだ。
疲れて当然なんだよ。
その疲れは、心地良い時もあれば、寝込みたくなるような時もある。
今までの私は、どちらかというと、寝込みたくなるような時の方が多かった気がする。

しかし、なんだ?もう、そろそろ、心地良さを追求する比率を増やす意識改革が必要な時期だろう。
だからこそ、私は書くのだ、今もこれからも、ずっと、ずっと。
そして、これからも、皆さんに問いかけ続けていくのだろう、一緒に感じ合う為に。

そう、そうなんだ、私はきっと、明確な答えを求めているわけじゃない。
感じる為なんだ、感じ合う為なんだ、そもそも、書くという行為は、感じるということとも言えるのだろう。
そうだよね、そうだよね、私は感じることが好きだったんだ。
だから、書くことが好きで当たり前だったんだ。

人に嫌われることを極端に恐れると、自分の書きたいことは書けなくなる。
しかし、人に嫌われてしまったら読んでもらえないし、感じ合うこともできなくなる。
私にとって書くことが難しいのは、このさじ加減、自分の中での割り切ることのできる線引き部分が、明確化されてないことが問題なのだろう。

しかしながら、そんなことが明確化されるものなのだろうか?
頭でっかちになりすぎやしないか?
そういえば、「川の流れのように」っていう歌があったな。
あんな風に生きる(書く)ことができたらいいな。




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