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メイキング・オブ・『ゴシック・カルチャー入門』①――配管工としての文学者

発売して半年以上経ったし、拙著について自己切開(アナトミー)したくなった。自分でいうのもなんだが伝説のデビュー作だと思っている。というのも開始一行目に誤植があり、あとがきで実の母の名前を間違えている本など前代未聞であるからだ。

そうしたボケや校正へのあてこすりはさておき、この本に寄せられた感想に多かったのが「文体がヤバい」とか「文章のドライヴ感」とかそういうもの。さぞや「エクリチュール」なのでしょうねとお思いかもしれないが、全然そんなことはないのでサンプルとして第一章がどのように書かれたのか暴露しよう。


まずヴァ―マ『ゴシックの炎』やパンター『恐怖の文学』、それからジャクスン『幻想文学』といった名著群のキラーフレーズを抜き出して、ワードにカタカタ打ち込む。これがまず「引用の弾薬庫」になる。

それから似たような引用文ごとにまとめて簡単な小見出しをつけ、グループ化する(この際どこにも収まらないものは「予備の弾薬」として最後にまとめておく)

次いで小見出しの順序を並べ替えて「それっぽい」流れを作ってみる。ここまで来たらほぼ完成したようなもので、あとはこの引用パーツをいかに不自然に見えないようにつなげるかということになる――いわば継ぎ接ぎだらけの「フランケンシュタインの怪物」をエステに通わせて美形にする。

読者が僕の「文体」と呼ぶものの正体は実はこのコラージュのテクニックであり、「ドライヴ感」なるものの正体は継ぎ目を隠す溶接工としてのテクニックなのである。

リテラシーのある読者なら気づいたかもしれないが、『ゴシックカルチャー入門』は章ごとに文体が違う。というのも引用文に合わせて地の文をなじませているからで(くれぐれも逆ではない)、いわばカメレオン的に書く主体は後ろに引っ込んでいる。

マイメン郡淳一郎が編集した『日蝕狩り ブリクサ・バーゲルト飛廻双六』で、ノイバウテンのブリクサが音楽づくりは「配管工のようなものだ」と答えていた、と記憶する。パイプとパイプを接合するような仕事だと。それは批評においてもほとんど変わらない。結局アルス・コンビナトリアの世界である。というわけでそういう夢のない地味な配管工的作業から生まれたのが第一章「読む/見るゴシック」なのでした。

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図:高山えい子による拙著広告。60年代アングラの香り立ち込める。

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