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検察庁法改正案と「ノンセンスの領域」

安倍晋三が辞任とのことで、いまさら蒸し返すのもなんだが検察庁法改正案をめぐるツイッターでのハッシュタグ・カーニヴァル(?)の盛り上がりと個人的に感じたモヤモヤについて思い出した。集団陶酔も収まったこのタイミングで言うべき内容だろう。

安倍・黒川の政治的ノンセンスに反対するのは道理というかセンスであろうが、それは当然ながら「強制」されるべきものではない。ある時点から「ひとまず理由はいいから兎角ハッシュタグつけて反対して」と言わんばかりの(実際言ってるのもいた)TLの趨勢に後押しされて僕の知人その他も結構ハッシュタグ・ツイートを頑張っていた。

が、果たして皆が皆そうすべきだったのか? よく分からないけどその世界のルールに従わなければいけない、というノンセンシカルな狂気に対して「変な感じ(ストレンジ)」と言って正気を保ったアリスは反ファシストの精鋭である。あの日、TLは「不思議の国」ないし「鏡の国」、もっと言えば「ノンセンスの領域」(エリザベス・シューエル)と化し痙攣麻痺していた。

政権の非合理を撃つはずの合理が、いつしかその当の非合理に裏返っていたことに僕は抜き差しならない恐怖を覚えた。検察庁法改正案について一夜漬けで勉強したとかいう中学生だか高校生だかが「反対します」と宣言して英雄として祭り上げられていたが、あんな危険なガキいないよ、俺の目から見たら。

エリザベス・シューエルが、そしてジョージ・スタイナーが危惧した、ファシズムとノンセンスの結託(安倍が実現?)を、あの日ハッシュタグのお祭り騒ぎは知らず知らずに自ら身ぶりしていなかったか? 『アリス』のなかで「(ルールに歯向かった)あの者の首を斬るのじゃ」と叫ぶクイーンの狂気はたんに為政者のカリカチュアで、果たして我々と無縁か? ふとした瞬間にセンスがノンセンスに、ノンセンスがセンスに裏返る危うさに大部分の知識人が無自覚であったことは、あの日僕に少なからぬトラウマを与えた。

この件は批評家としての素質を問うレベルまで敷衍できる。批評家は一個のkilljoyというかパーティークラッシャーでなければならない。ノリノリのライヴ会場で一人だけしかめ面をしていられる勇気ないし空気の読めなさを僕は「正気」を呼ぶし、それが批評家の生きざまだ。皆が皆同じことを言っている状況に、やはり僕は本能的に気持ち悪さを覚える。

※サムネイル画像はルイス・キャロル、高山宏(訳)佐々木マキ(絵)『不思議の国のアリス』(亜紀書房)より。

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