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【807回】姫野桂「ルポ高学歴発達障害」

例えば、「空気を読めない」「マルチタスクが難しい」「言葉をそのまま受け止める」「思いついたら考えるより動いてしまう」「考え込む結果、人の話を聞いていない」「覚えるのが苦手」などの様々な行動特性は発達障害がある人が有している特性として考えられる。

本書では、そのような生きにくさを抱えながらも、有名大学から社会に出た人たちのルポだ。すべからく、社会人になって苦労している。

本書は、当事者のルポ、発達障害当事者の横道誠准教授の話、精神科医の熊代享先生の解説、筑波大学での学生支援、株式会社kaienでの就労支援で構成されている。

本書を読んで、いくつかの文章を書き抜いておいた。
それは、僕自身に還元したい言葉であった。
僕は、何者かになりたかった。ならなければいけないと思っていた。
教師としても、少数派の業務を。僕だから使ってもらえる仕事を。役に立ちたい。そんな思いでいた。
例えば、授業を考えて用意しても、授業後は、落ち込んでしまう。こんな授業ではだめだ!となる。
理想が高い。とはいえ、意味のある授業をしたい!
しかし、難しい。


以下にある通り、本書でも「何者かにならなければいけない」という呪いにかかっている人たちがいた。

「何者かにならないといけない」というプレッシャーが強くあった。

(p79)

「何者かにならなければいけない」という呪いは、子どもの頃から作り上げられていく。

一方で、学業で優秀な成績をおさめている子には、やはり周囲も期待を寄せるところがあります。「末は博士か大臣か」という古い言葉がありますが、まさにそういった「何者かになるであろう」という期待です。そうした自他からの視線の中で育つことによって形成されたアイデンティティや自己像に対して、ズレが生まれやすいのが高学歴発達障害の方のひとつの問題だと私は感じています。

(p142)

僕の場合は、「怒られたくない・介入されたくない・自由になりたい」という思い込みから、「役に立たなければ、意味がない」という呪いを自分でかけ続けていたのだろう。

「〜ならなければいけない」では、楽しみはあるだろうか。
僕は最近、「〜になりたい」という夢のように、目的地を決めた。目的にたどり着けば楽しい。そのために、今も楽しみたいと思っている。

教師だもの。楽しそうにしている大人でいたいのだ。
大人が楽しそうなら、子どもも楽しくなるかもしれない。
大人が不機嫌なら、子どもが楽しくなるはずもない。

いわばアイデンティティに“ヤスリ”をかけて丸く小さくすることです。

(p149)

凝り固まった、「何者かにならなければいけない」呪いを和らげたい。
「ヤスリをかける」という言葉に納得した。絵で浮かべる。具体化できるわかりやすさだ。
コリコリ、コリコリと、自分でかけた呪いにヤスリをかけていこう。

精神科医の熊代享先生の解説からの抜き書きが多くなった。
当事者が生き方を語ってくれたから、解説に触れて、うなずけた。



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