見出し画像

暗い森の少女第一章 ③ 呪われた末裔

呪われた末裔


祖父母は、花衣を目に痛くないというように可愛がった。
当時は理解していなかったが、祖母は、由緒ある古い血筋の末裔であったのだ。
「葛木」というその家系は、あの、花にあふれた谷にまるで隠れ住むように暮らしていた。
400年続く古い血に、なにがあったのか、谷は完全に外界から見えないようにひっそり存在している。
その谷から、本家の跡取りであった曾祖父が飛び出してしまったときから、花衣の「墓守の娘」になることは決まっていたのかも知れない。
自堕落で、酒浸りだったそうな曾祖父が、あの時間が止まったような谷の主にならなかったことは、よいことだったと思う。
しかし、曾祖父は谷を出るときに、屋敷にあった財産の大半と、曾祖父の母親の遺骨を持ち出してしまったことが問題になったのだ。
「葛木」の血筋は、長くあの谷を出ることはなく、あの谷に住むひとたちの名字はすべて「葛木」である。
近親婚を繰り返していた「葛木家」は、数代前から直系で健康な男子が生まれることがなくなってしまっていた。
曾祖父の親世代も、直系男子は育たず、ただひとり、無事に成人した娘に婿をとり、生まれたのが曾祖父である。
曾祖父は、総領息子として育てられたのだが、曾祖父の父が妾を作り、子供を作ったことから、曾祖父の母親の心が壊れた。
どのようなことがあったのか。想像することも憚られるようなことがあったのは確かだ。
曾祖父の母が自死したあと、曾祖父の父は妾を後妻に迎え入れた。妾は、葛木の血筋ではなかった。
多分あったのだろう、激しい争いのあと、曾祖父は自分の母親の遺骨を持ち出して遁走したのである。
そして、住み着いたのは、谷よりさらに閉鎖的な農村だった。
そこに墓を建て、曾祖父は自分の母親の遺骨をおさめた。
それから10年後、曾祖父の異母妹が見つけだしたが、曾祖父は優しい顔をしていったん異母妹を受け入れ、直後に芸者に売り払った。総領息子として育った贅沢な曾祖父は、谷から持ち出した財産のほとんどと使い込んでしまっていたのだ。
その後、曾祖父の末子で長女である祖母も、芸者に売り払うとき、異母妹は自分と同じ目にあわせたくないと、金を出して祖母を引き取った。
その頃、異母妹は、郵政省の役人にひかれて、小さな家を与えられて暮らしていたので、祖母はそこで育ったそうだ。
祖母にとっても自分の父親は、縁の薄い人間であったはずだが、戦争で祖母の兄がふたりとも死んでしまったことで、祖母は無理矢理、生家に連れ戻されることになる。
祖母が住んでいた町とは違う、閉鎖的な村。それになじむこともせず、酒を飲んでは暴力沙汰を起こす父親の娘として、祖母は最初から村から強烈に拒絶された。
終戦直後で、貧しい村には仕事がなく、歩いて1時間ほどの所にある、水道の土管を作る工場で、祖母は男たちに混じって必死に働いた。
仕事の休みの日は、頭をさげて頼み込み、農業を手伝わせてもらう。
金がない、食べるものもないというのが理由であったが、祖母はこの村の中に、自分とその家族の居場所を作ろうと必死になっていた。
働きづめのときに、祖母は工場で祖父に出会う。
戦争中は士官を勤めていたという祖父は、その頃から無口で、愛想のない男であったそうだ。しかし、沈静な面持ちの祖父に、祖母は恋をしてしまう。
12歳年上の男。
そして、家族が大阪から疎開していたので、そのまま追ってきて住み着いたよそ者で、長男。選んではいけない男だとは分かっていた。
しかし、当時19歳の祖母は、大人しい見た目とは違う強い情熱で、祖父に恋を告白し、戸惑いながらも祖父は受け入れる。
しかし一人娘を嫁に出せるか、と曾祖父からは強い反対を受ける。
「なにも継ぐものなんてないのに」
祖母は口には出さなかったが、そう思っていたそうだ。
怒号が飛び交う何回かの話し合いで、
「生まれた子供を、自分の養子に出すこと」
を条件に、祖母は嫁ぐことを許された。
7人の子供に恵まれたが、貧しい暮らしの中、餓死する子供もいて、残ったのは3人だけだ。長女、長男、次男。
曾祖父は大人しい長男より、活発で友人の多い次男を欲しがったが、次男は激しく拒否をした。
次男は癇が強く、一度怒らせると相手を傷つけても殴るのをやめない暴力性もある。
背が高く、少し面長であるが整った顔などは父親である祖父に似ていたが、性格は暴君のような曾祖父にそっくりで、同族嫌悪もあったのだろう。
「まだ、お元気じゃないですか」
普段、曾祖父と話すことがない祖父が言う。
「まだどの子も幼い。成人してから決めても遅くないと思います」
子煩悩な祖父は、そう時間稼ぎをしたのだ。
そして、長女が19歳の冬、曾祖父は亡くなった。
曾祖母が、自分の母親の世話のため1週間ほど自宅を留守にした間に、酒を飲みすぎで脳卒中で死んだのだ。
曾祖父は、酔うと必ず近所の家々を訪れ、喧嘩を売りまくっていたそうだが、3日間、それが途絶えたことで、「おかしい」と感じたひとから祖母に連絡して、一緒に家に見に行って、部屋の真ん中で大の字に倒れている曾祖父を見つけたらしい。
警察の検分の結果、死後4日。夜8時頃に亡くなったという。
「その時間、何度家の鍵をかけても、何度も何度も勝手に開いて困ったんだけど」
当時、恋人と同棲していて、実家を出ていた母は困惑して言ったそうだ。
「おじいちゃんがいったのかしら」
「女に興味ないでしょ、おじいちゃん」
質素な葬儀が終わったあと、曾祖母と祖母を訪ねてくるひとがあった。
「こちら葛木さんのお宅でしょうか? 」
「はい」
きっちりとした礼服に、黒いハットを胸にあてた上品な男性は、深々と頭を下げる。
「浩一郎さまは、ご在宅でしょうか」
曾祖父の名前だ。
祖母は戸惑いながら言った。
「父は、1週間前に亡くなりました」
「え!?」
男性は、驚愕したように頬を引きつらせた。
「では、浩一郎さまのご家族は……? 」
「母と、私だけです」
それから、祖母も知らなかった、葛木家の話を聞いた。
「1月前、浩一郎さまのお父さまが亡くなられたのです。旦那さまは、ずっと浩一郎さまを探すなと強く申しつけられましたが、旦那さまには浩一郎さましか嫡子がおらず……。葛木家を継いでいただくためにお迎えにあがったのに」
「私も、もう嫁に出ておりますし」
そうこうするうちに年が明けた、昭和47年。
母が恋人の子供を妊娠した。
相手はまだ高校生で、駆け落ちするようにふたりで暮らしたが、恋人は母の妊娠が知ると、逃げので、母は実家に帰った。
「父なし子を産むなんて」
祖母は泣いた。
「私も働いている。お前は体が弱いから仕事は辞めて、子育ての手伝いをすればいい」
祖父は複雑そうではあったがそれだけしか言わなかった。
そして、どこからその話を聞いたのか、また、礼服姿の男性が、祖母を訪れたのだ。
「そのお子が、無事に生まれましたら、葛木家に養子にいただけませんでしょうか?」
思いもよらない申し出に家族は困惑した。
「恐れ入りながら、ご養育は松下さまにお任せします。ただ、葛木家の直系の末裔であるお子さまに、せめて葛木の姓を名乗って欲しいのです」
話し合いは、妊娠中から花衣が3歳になるときまで繰り返された。
祖父は公務員だったので安定した収入はあったが、もしも花衣を養子に迎えた場合、毎月送られてくるという養育費の額に、曾祖母が色気をだしたのだ。
「名前を名乗るだけでいいなら、私の養子になるといいよ」
曾祖母は簡単に言った。
「うちの墓にある、じいさんのおかあさんの骨のこともあるしね。名前だけ変えるだけでいいなら簡単じゃないか」
祖父母は、曾祖母の明らかに金に目がくらんだ言葉に嫌悪感があった。
しかし、話に聞くだけで、由緒正しい家の娘であるはずの花衣が、この閉鎖的な村で、「父なし子」とさげすまれて育つのも哀れだ。
「おばあちゃんの子供になる? 」
そう問うと、おっとりと育った花衣が不思議そうに祖母を見上げて、たどたどしく、
「うん」
という。
花衣の母親である長女は、養育は祖母に任せきりで家のことに無関心だ。
名前だけの養子など、よくあることと言いながら、曾祖父の異母弟の息子、現在の葛木家の当主夫婦が、そのことを知ってもしも自分たちが引き取ると言い出したら……
自分の腕にすっぱり入る、暖かい小さな子供を、自分は手放せるか。
それなら、養育費のことなど断って、自分たち夫婦の子供として平凡に暮らせばいい。
祖父母が決めたとき、またしても想いもよらぬことが発覚した。
58歳の祖父に、末期癌が見つかったのだ。
余命三ヶ月。
結局、花衣は母と一緒に曾祖母の養子になった。
祖母は、花衣を寝かしつけるときに、いつもこの話をする。
「花衣は、葛木の跡継ぎで墓守なのだから。それを忘れないで」

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?