ふたりの母に対して秘めている思い
先週、母の日に、義姉と、義兄嫁がやってきた。
それぞれ、母の日の手土産を持ってきて。
おまけに、ふたりして、義母が行ったことのないファミレスでお茶をしたり、義父との思い出の焼き肉屋で食事をしに、義母をつれ出してくれた。
満足げな表情で帰ってきた義母を見ていると、さぞかし楽しい時間を過ごせたのだろうと見て取れ、素敵な母の日を過ごしたようだ。
私は「義理」のような感じが苦手で、いつの日からか、「父の日」も「母の日」もやめた。
日常会話は、ほとんどなかったし、仲が決してよいという間柄でもなかったから。実の両親にもやっていないんだし、いいじゃんと割り切った。
その点、義兄嫁は義理堅い。
つい最近まで、月に一回は義両親に電話をよこし、「父の日」「母の日」には贈り物をしてきて、義兄嫁が今なお住んでいる実家からは、お中元やお歳暮、年賀状までもが欠かさず送られてきた。
年に数回顔を出し、はんなりとした口調で「義父さん💕」「義母さん💕」と手土産欠かさず来るものだから、義両親の受けが悪いわけがない。
義両親からは、義兄嫁のことを「いい嫁だ」と何度か聞かされた。
もう10年以上前に、ご自分のお父さまの介護を理由に、当時幼かった一人娘を連れ実家へ戻り、介護が終わるとなると、今度は仕事を理由に、お母さまとご一緒に居る義兄嫁に対して、何度複雑な思いを抱えたか分からない。
ちなみに弟さんがいらっしゃるが、別に住居を構えていらして、義兄とは、ずっと別居の身だ。
だけど、そうやってうまく世の中は回っているのかなとも思った。
(身内が高齢者の面倒を看ることは、実際は厳しく、出来ないことの方が多いのかもしれないので、私の周囲は運がいいのかもしれない)
うちには私や夫が、義兄嫁のご実家には娘である義兄嫁が、私の実家には弟や妹がいて、それぞれが親をみる役割を担っていることになるのかなと。
義兄嫁のお母さまは、88歳の義母より少し年が若くいらっしゃるが、ゆくゆくは義兄嫁がその役割を担うつもりだろうことは、予測できる。
義両親の受けが良かろうが悪かろうが、私は私の役割を担わなければならない。
逆にそう割り切れた。
そう思ってきたけれど、その責任感以上に、義両親には、最近になって特に感じる思いがあった。
その思いから、義両親に自分ができる範囲で、思いやりをもって接していると気づいたのはつい最近のこと。
義父が身体が弱くなり始めた昨年からかな。
義母の認知症がすすんだことも、あるのかもしれない。
実の両親には何もしてあげられなかったから、せめて義両親には・・・。
もちろん、義両親は義両親であって、実両親は実両親。
だけど、両親との関係が良好だったら、そこまでの気持ちは持てないのかもしれない。
なにより、世の中には、義両親実両親、両方の看取りと向き合っていらっしゃる方もたくさんいらっしゃるだろう。
その場合、精神的な負担はさらにかかり、心のバランスはどうだか分からない。
私は、弟や妹が、母の傍に居てくれているから、心のバランスが保たれたと思っている。(父は3年前に亡くなった)
「私も、実の親には何もしてあげられへんかったから、せめて義母さんには、できる限りのことをさせてもらおうと思ったんよ」と、介護を終え、再び数年前から我が家のアルバイトとして復帰された、還暦すぎで夫と同年代の彼女は言う。
彼女も、わけあって実両親とは連絡をとっていない。
私は介護という介護をしているわけではないけれど、実父にはやってあげられることができなかったことを、義父に出来たのは嬉しかったし、実母には何もできなかったのだから、せめて義母にはできる限りのことをしたい気もちが湧き出るので、彼女の気持ちが分かる気がする。
だから、イライラしてもなるべく抑えて(いや、感情がそのまま出ることもあるけど)、優しい口調で義母に言葉を返すことができるし、「義母さんのために、野菜をなるべく柔らかく炊かなあかんな」と思えることが嬉しい。
彼女は「他人の親やから出来たと思う。実の親やったら、心理的な距離感が近すぎてもっと大変だったと思う」とも言っていた。
私もそう思う。
だけども、私は善良な嫁ではないので、結婚と同時に義両親と別居していたら、否応なしにそういう状況にならない限り、わざわざ自分から距離を縮めにいかないだろう。
義両親と同居して30年近くの月日は、情が湧いてくるのに十分な時間だった。
「情が湧いてくる」というのは、こういう感じなんだろうかと、時々思ったりする。
ちょっと昔は、義母のことを見るたびに、イヤでイヤで仕方なかったが、今はそうでもない。
苦手感はわずかに残っているけど、義母との生活の終わりは案外早くにやってくるのかもしれない。
施設に入所することを強く望んでいる義母の、介護の再認定日は数日後にやってくる。
介護度があがるか現行維持かも分からないけど、施設に入所する順番が回ってくる、その日まで義母のために何ができるのかを考えるのが、私の役目だと思っている。
そんな私は最近、考えていることがある。
降って湧いた考えがいま、脳裏に浮かんでいる。
実母が80歳になったら会いに行こうかな。と。
年を重ねて感じるようになった感謝の気持ちを伝えようかと、何気に考えている。
「80歳」に深い理由はないけれど、最近ひらめいたように脳裏に浮かんだ。
3年前に亡くなった79歳で亡くなった実父が最後は認知症で、私のことを分からなかったこと。
認知症で私のことが分からないまま、2年前に90代で亡くなった母方の祖母と、長い間会わないまま、老人施設で10年前に亡くなった父方の祖母にも、伝えたいことを何一つ言えずに逝ってしまったことが、あるのかもしれない。
そして、義母を見ていたら、実母もそのうち私のことが分からなくなるのかもしれないと、想像を張り巡らせる。
足を悪くして、家に籠りがちな状況で、弟と妹以外の人とのコミュニケーションはほぼないだろう母の状況からして、そう遅くない段階で、そのときは来るのかもしれない。
ちょうど義母より一回り年が若い実母が、80歳になるのは4年後のこと。
そのときには、同居の息子くらいは一緒に行けるかもしれない。
私や夫は祖母や父の葬儀で母とは会っているが、孫である子供たちとは幼い頃から随分長く会っていない。
あなたは、「我慢をしなさい」とは言わなかったけど、「根気強く続けなさい」と繰り返し言いました。
結婚生活と、今ある仕事を根気強く続けたことが、私の人生の集大成になりそうです。
「我慢」が「我慢」にならないように、「ストレス」が「ストレス」にならないように、ただただ突き詰め続けてきた生活だったけど、それはあなたが育んでくれた根気強さだったり、我慢強さの土台の上に成り立っていたように思います。
そして、根気強く我慢強く働いてきた父のDNAがあってのことです。
お陰で、実のある人生歩んでこれました。
ありがとう。
そう言いたい。
そうは言っても、まだ人生半ばで、これからどうなるか分からないけど。
それでも、親が逝くのが先だと考えると、伝えなければ・・・な。
義兄嫁が持ってきた、鉢植えのカーネーションに毎日水をやりながら、そんなことを考える。
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