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はじめまして。 生後10か月でポリオウイルスに感染し、 後遺症で首から下に重度のマヒが…

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はじめまして。 生後10か月でポリオウイルスに感染し、 後遺症で首から下に重度のマヒが残ってしまった車椅子ユーザーです。 スーパー ハイパー ポジティブシンキングで突っ走ってきた半世紀の記録を 脳の老化予防を兼ねて綴っていきます。

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  • 半世紀前から普通の人生に挑戦した車椅子おばあちゃんの物語

    半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語1~58

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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語①

はじめまして はじめまして、 高校卒業後の半世紀の記録を書いていきたいと思います 脳の老化防止も兼ねていますので 一部にフィクション、妄想、記憶違い、思い込みありますが、 ご勘弁ください(;´∀`) 私は、昭和20~30年代に猛威を振るったポリオウイルスに 生後10か月で感染し その後遺症で首から下はほとんどマヒがある 車椅子ユーザーです。 それでも3年前くらいまでは、 車を運転し、 フルタイムで仕事をし、 二人の娘を育ててきました。 障害のない人にとってはごくごく

    • 車椅子おばあちゃんのルーツ8

      「私はつい、見とれてしまいました」 養護学校の寄宿舎は、小学校1年生から高校3年生までの生徒が親元を離れて一緒に生活していました。 起床、点呼、清掃、朝食と毎日規則正しいスケジュールで、お母さん代わりに寮母さんがいろいろと相談に乗ってくださったり、お世話してくださったりして毎日がにぎやかに過ぎていきます。 高校進学の進路相談が始まりました。 「高校どうする?」 「え、ここの高等部でしょ」 「○○君は普通の私立高校受験するらしいよ」 「そうなんだ…」 クラスの中で障害の軽い

      • 車椅子おばあちゃんのルーツ7

        「わが青春の寄宿舎生活」 「起立、礼」 帰りのホームルームが終わり、教室を出て学校の玄関へ向かうと 母が他のお母さんたちと話をしながら待っていてくれます。 「おかえり」 「ただいま」 「じゃ、帰ろうか」 そう言って私は、車の助手席に乗り込み、母は車いすをたたんでトランクにしまい運転席に座ります。 片道1時間のドライブは母を独り占めできる楽しい時間です 「今日ね、先生がね・・・」「それでね・・・」 学校での出来事をはなしたり、カーラジオからはいつも「子供電話相談室」が流れて

        • 車椅子おばあちゃんのルーツ6

          「休みたくない~」 中学はどうしたらいいんだろうと悩んでいたのは、私よりも母だったのではないでしょうか。 母はおそらく、市役所や学校などいろいろな所に相談をしたり、調べたりしていたのではないでしょうか。 そうしているうちにうれしい情報が入ってきました。 母が、県内では初めて、肢体不自由児のための養護学校が設立されることを どこからか聞きつけてきたようです。 その学校が建てられる場所は、自宅からは車で1時間ぐらいかかる場所でしたが、毎日車で送り迎えをすることにして、入学できる

        • 固定された記事

        半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語①

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        • 半世紀前から普通の人生に挑戦した車椅子おばあちゃんの物語
          58本

        記事

          車椅子おばあちゃんのルーツ5

          「セーラー服がいいよね」 そこでまた挑戦です。 担任の先生に 「家に戻って普通の学校に行きたいです」 と言ってみたのです。 さぁたいへん、母は中学1年生の兄と小学1年生の妹と大衆食堂の切り盛りと犬と父の世話に奮闘していましたが、 そこへ車椅子の私が帰ってくることになりました。 もし私が母だったら、どうにかしてもう少しゆうかり園にいてくれないかと、願ったのではないかと思います。 しかし、母は私の願い通り、私を地域の小学校に転校にさせてくれました。 父は木製のトイレの椅子を

          車椅子おばあちゃんのルーツ5

          車椅子おばあちゃんのルーツ4

          「普通の学校へ行きたいなぁ」 「歩く訓練をやめたい」私の人生での初めての挑戦。  ところが、私の担当のお医者さんは怖くて有名でした。 みんなは密かに「はっかい」(孫悟空に出てくる豚さんです)というあだ名で呼んでいたほどです。 なので、直接お願いするのはとてもじゃないけど恐ろしく、 とうてい無理なことでした。 そこで、手紙を書くことにしました。 手紙なら、怖い先生と面と向かうことはありません。 「先生へ、私は歩けなくてもいいので、車椅子の練習をさせてください。もうアバラート

          車椅子おばあちゃんのルーツ4

          車椅子おばあちゃんのルーツ3

          「重たいし、苦しいし、カッコ悪いし」  小学校に入学する年齢になっても、私はピカピカの一年生にはなれませんでした。 けれども翌年の秋、小学校2年生の二学期からゆうかリ園という 病院と学校が一緒になっている施設に入園しました。 どういう経緯でそうなったのかはわかりませんが、きっと母が一生懸命探してくれたのでしょう。 その施設では親元を離れて集団生活を送らなければなりませんでした。 家に帰れるのは夏休み、冬休み、春休みだけで、面会が一週間に一回だけ日曜日に許されていました。

          車椅子おばあちゃんのルーツ3

          車椅子おばあちゃんのルーツ2

          ケ・セラ・セラ 「ケセラセラ」と母はいつも笑っていました。 「ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先のことなど 判らない」と。 当時流行っていた歌の歌詞です。 母の口癖でした。 3歳の長男を親戚に預け、私にかかりきりの母を、親戚みんなで支えてくれていたと聞いています。けれども、必死の治療もかなわず、私の手足には障害が残ってしまいました。 周りの人たちは母が自殺するのではととても心配していたとのことです。 ところが母は、「だってしょうがないじゃない、なるようになるさ、ケセラセ

          車椅子おばあちゃんのルーツ2

          車椅子おばあちゃんのルーツ1

          車いすおばあちゃんのルーツ いろいろな方とお話ししているとよく聞かれることがあります。 「なぜそんなに前向きなのですか?」「どうしてそんなにいろいろできるのですか?」「勇気があるよね、どうして?」 そんな質問をされると、はたと考えてしまいます。 どうしてなんだろうと。 性格のせいかもしれません。 先日も初めましてのある方に「車椅子で大変なのに、なぜこんなにいろいろなことができるのか不思議です。どうして?」と聞かれました。「辛い時とかないの?」とか、「そういう考え方になった

          車椅子おばあちゃんのルーツ1

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語58

          「母が私の指を思い切り嚙みます」 「おめでとうございます」 「今年もよろしく」 いつものお正月のように実家の玄関先には 母の得意な煮物の美味しそうな匂いが漂っています。 「ああ、おめでとう」 そういう母の弱々しい声が返ってきました。 部屋を覗くと、ベッドに腰かけている母が辛そうにしています。 「具合悪い?」と聞くと 「ちょっとね、お腹がね」 みると、腹水がたまり、おなかがパンパンに張っています。 「ちょっと診てもらった方がいいね」 「うん、まあ大丈夫だけどね」 と言っていま

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語58

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語57

          「花嫁が大好きなおばあさま」 翌年、長女の結婚式がありました。 「ママ、ドレスでいいかなぁ」 「お着物はちょっと無理だし」 「え、でもね、友達の結婚式で花嫁のお母さんがドレス着てたら スタッフに一般参列者と間違われちゃったみたいよ」 「着物、着れないかなぁ」 数日後、長女がLINEでURLを送ってきました。 「これ、どうかな」 ホームページを見てみると「明日櫻」という車いす用着物のレンタル会社でした。 明日櫻 – 車椅子に座ったまま誰でも簡単に着られる着物のお店 (

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語57

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語56

          「母に謝りたくなります」 2018年夏 夢のようなハワイ旅行からちょうど1年が経った頃のことです。 母の定期検診に付き添っている妹からLINEが届きました。 「やばい!肝臓にしこりがあって血液検査の結果数値が高いって」 「国立病院にCT検査に連れていく」 「え、この間は異常なしだったよね」 母には8年ほど前に私と同じ乳がんが見つかっていました。 同じ先生にに診て頂いていて、乳房の全摘手術を受けていました。 私は右乳房、母は左乳房がありません。 けれども経過は良好で、私と同様

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語56

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語55

          「有り金はたいてほんとによかった」 ここはワイキキの中心街、有名なお店が並んでいます。 多くの観光客が行き来する中、 ガイドブックとスマホを片手に娘たちがあっちだとかこっちだとか言いながら お目当てのカフェを探します。 「あ、ここじゃない?」 「あ、そうだね」 たどり着いたおしゃれなカフェ ところが、入り口は階段の上です。 段数は6~7段ぐらいあります。 「階段だねぇ」 「どうしようか」 「ちょっと、聞いてくる」 娘が階段を上がってお店の中へ すぐに出てきて、階段の横に回る

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語55

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語54

          「そうだ、ハワイに行こう!」 還暦を迎えました。 いよいよ、普通のおばあちゃんデビューです、 定年退職後の雇用延長はお給料が大幅に下がってしまうので 「もういいかな」と、退職するつもりでした。 ところが、会社からのご厚意で仕事を続けることになりました。 定年は定年なので、少しだけ退職金と、残っていた有給休暇をとれるので 「どこかに旅行でもしたいな」 とソワソワし始めました。 「よし、決めた」 先ずは長女に連絡 「ねえ、ハワイ行かない」 「え、いつ」 「6月が一番安いんだけ

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語54

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語53

          「何一つ恩返しが出来なかった」 その朝は珍しく雪が降り始め、大雪の予報が出ていました。 出勤時間にはまだあまり積もっていなかったので、 とりあえず出勤したのですが職場に近づくにつれて雪は激しさを増し、 いつもの通勤路はあっという間に雪景色に変わってしまいました 慣れない雪道を慎重に運転している時に妹から着信がありました。 「もしもし、おはよう、どうした?」 「じいじいが危ないんだけど、この雪じゃこれないよね」 「え、あ、そうなんだ」 「すごい雪で、もうすぐ会社に着くから、ち

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語53

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語52

          「寒いからな、気をつけて帰れよ」 翌年の秋のことです 家族4人と母で恒例の軽井沢へ向かう車の中です 「きれいだねぇ」 「あ、ほらあの木もきれい」 窓の外には色づいた木々が徐々に増え始めていた時に 母の携帯電話がなりました。 「あ、〇子だ」 「もしもし」 「うん、うん、うん」 実はこの頃、父は腰痛を訴えていて、病院通いが続いていました。 この日は検査結果が出ることになり、受診の予約が入ってしまったのですが 「きっといつもの通り、軟骨がすり減って、神経を圧迫してる痛みって言

          半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語52