性的コンテンツの影響について(批判記事への応答)

はじめに


 先日、上↑の記事を書いたところ、批判記事を頂戴したのでこちらで応答する。それがこちら。

https://note.com/tapitapi_diary/n/nd4927a46b70f

 なぜ僕がこのような記事を書くこととなったのかについては、最初に挙げた僕のnoteを参照してほしい。

https://note.com/coffee_______s/n/n814eb2ddafc5

 
 大前提として、noteという媒体でこのようにご自身の意見を書いて下さったことについては敬意を表するべきだろう。先日僕はこの方が「論破王AI」というチャットボットの「意見」をレスバの反論として引用しているのを少々嘲笑的に扱ってしまったので、この点はお詫びしなくてはならない。


 その上で、内容について検討し、こちらから応答すべき部分については書いていこう。なお、批判記事の筆者は「たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記」というお名前なのだが、本記事では便宜上「たぴ氏」と表記する。

「①性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘する研究も存在する?」について

 僕の記事の中では、この点について次のように述べた。

また、「海外の研究でも、性的表現の悪影響を主張する論文はある」と述べたが、それを言ってしまうと「性的表現の悪影響はない、もしくは性的表現はむしろ良い影響を及ぼす」ことを示唆する研究もあるのだ。この点については後述するが、性的表現の悪影響を主張する研究があるという点については少々慎重に捉えた方がよさそうである。

珈琲国王『性的コンテンツの影響について(論点整理)』

 そして、僕のこの記載について次のような批判をいただいた。

反論1
この論者は初めから「無害」の方に偏っている論者である。

公平な、中立の、事実を見つめる視点がない。

計量データしか信じるに値するものがない、と考えている。

それは、少しも中立ではない。嗜好に偏っている思考であり、認知が歪んでいる。

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 ここは僕からの確認が必要である。というのも、たぴ氏は僕の姿勢を「計量データしか信じるに値するものがない、と考えている。それは、少しも中立ではない。嗜好に偏っている思考であり、認知が歪んでいる。」と批判しているのだが、個人的にはこの部分はとても気になるのだ。計量データ以外に、信じるに値するもの(根拠)とは一体どのようなものであろうか。「計量データ以外にも、〇〇のようなものは検討の必要があるだろう」ということを提示してもらえれば、さらに検討を深めることができるだろう。

「②ポルノが性的衝動をコントロールするためのガス抜き効果を持つという主張は根拠がない?」について

 この章については、僕は最初に次のように記載した。

まずは論破AIの「性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘している研究も存在します。」という発言(?)について考えてみよう。個人的には最初の「ポルノが無害」という部分も引っかかりはするが(そもそも「害」とは何か)、一応性犯罪の誘発というのがここで挙げられているメインの「害」ということにする。

珈琲国王『性的コンテンツの影響について(論点整理)』

そして、これに対して、まず「筆者コメント」という題で以下のような批判を頂戴している。



筆者コメント:ポルノの害、と聞いて何も思い浮かばないことがすでに視野や思考が限定されている。通常、こういう問題に取り組むなら、相手方の視野・思考について理解して、どういう趣旨かわかり、ではそれに反論します、というのが科学の態度であるから、それと全く異なって「引っかかりはする」と言っているような態度は、まず中立の視点ではあり得ない)

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 なるほど、その点を突っ込んできたかというのが正直なところだが、それではこの記載の意味を説明する必要があるだろう。

 「引っかかりはする」という表現を用いたのは、僕がポルノの害について「何も思い浮かばない」ためではない。そうではなく、ここで示す「害」というのが何を指しているのかが不明確であったためである。ポルノにおける「害」というのは様々なものが考えられるが(例えば「仕事に集中できなくなる」といったものも言ってしまえば「害」)、そうしたものの詳細を検討せずに「無害」と言い切っていることには違和感を感じた。今回はそのような様々な害をピックアップして「こんな害もある!だから無害ではない!よって有害!規制」などという低レベルの議論をしているわけではないだろうから、当然「〇〇という害があるかどうか」という表現が妥当なのではないかと思う。
 
 とは言え、例の論破王AIは「(中略)ポルノが無害であると主張すること自体がまず間違っている。性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘している研究も存在します。」と言っているので、今回は「性犯罪の増加」ということをメインテーマにしていると判断した。「彼」は最後に「ポルノグラフィーは、性的な暴力や依存症を助長する可能性があるため、十分な規制を受けるべきです。」とも言っているので、その点は間違ってはいないと思う。

 次に、この章では「反論2」をいただいているので、そちらについても見ていこう。
 
 僕は記事内で、次のような記載をした。引用の都合上、2章にまたがることになるため、要所に絞って引用する。

【①性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘する研究も存在する?】
性犯罪の増加とポルノグラフィーとの関連性を指摘している研究は存在するのか。結論から言えば、存在はする。例えば日本語文献でよく持ち出されるのは、渡辺真由子氏の2012年のレビュー論文だろう。この論文自体は何らかの実験や統計調査を行ったものではないが、性的コンテンツの悪影響についてまとめてあるもので、「このような研究があるのか」ということを知る上では有効なものとなっている。
・また、海外の研究でも、性的表現の悪影響を主張する論文はある。(※ここでFerguson & Hartley(2022)の内容を引用しているが、ここでは割愛する)
・また、「海外の研究でも、性的表現の悪影響を主張する論文はある」と述べたが、それを言ってしまうと「性的表現の悪影響はない、もしくは性的表現はむしろ良い影響を及ぼす」ことを示唆する研究もあるのだ。この点については後述するが、性的表現の悪影響を主張する研究があるという点については少々慎重に捉えた方がよさそうである。


②ポルノが性的衝動をコントロールするためのガス抜き効果を持つという主張は根拠がない?】
つづいては、「研究論文でも、ポルノの規制については、規制すると性犯罪が増えると出ている。それにガス抜き効果によって性行動への衝動が一定以上を超えることはない。」という主張に対する論破王AIの反論について検討しよう。これは、いわゆる「ポルノが性犯罪を抑止する」論に関する話だ。論破王AIは「根拠がない」と主張しているが、あながち無根拠というわけではない。前章でFerguson & Hartley(2022)の中の記述を引用し、性犯罪の増加とポルノの関係性を指摘する研究があると述べたが、あの文章には続きがあり、そこでは「逆の結論を出している研究もあるよ」と言っているのだ。

珈琲国王『性的コンテンツの影響について(論点整理)』

そして、この表現に対し次のような指摘をいただいた。

反論2

論文の続きも引用するべき箇所があるなら、最初から出せばいいのに、最初は出さないで置くということは、さも公平な立場であるかのように見せかける偽装である。

このような作為を持って記事を書いている時点で思考が中立ではなく嗜好があり、公平でなく、偏った視点で書いていることは明白であろう。
初めから、相手を形だけ立てておいて、本編で完全に落とす?ということをやるつもりで記事の筋を立てている。それは悪意であろう。素直に、反論があるということを打ち出して、一度引用すれば済むことである。

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 
 まあこれは僕の書き方がイケてないということであるのだが、別に悪意を持ってこのような表現としたわけではない。僕のnoteの章の都合上、同じ論文の連続する箇所であったものの分けて引用する方が良いと考えただけだ。

 ちなみに僕が引用した論文の記述は以下の通り。

現在までに、ポルノグラフィーの消費と攻撃的行動との関係について、多数の研究が行われている。これらの研究の成果はまちまちであるが、しかし関係を見出したものは通常、主に思春期の男子または男子大学生のサンプルにおいて、ポルノグラフィーの攻撃的行動への影響は小さいが統計的に有意である(Alexy et al., 2009; Burton et al., 2010)。と報告している(最近の二つの研究については、Dawson et al., 2019; Hagen et al., 2018を参照)。他の研究では影響がないことや(Endrass et al., 2009; Hagan et al., 2018)、逆の関係であることも分かっている(Diamond et al., 2011)。さらに、ポルノグラフィーの消費が性的に攻撃的な行動に及ぼす影響の強さを弱めたり(Malamuth et al., 2000)、その影響を完全に排除する(Hagen et al., 2018; Kjellgren et al., 2009)媒介因子と調整因子の両方を挙げて、関係がより複雑であることを示唆する研究もある。

Ferguson & Hartley(2022)

 読んで頂ければわかるのだが、この部分では、(1)ポルノは性的攻撃性に影響を与えることを示す根拠、(2)ポルノは性的攻撃性に影響を与えない、もしくは性的攻撃性を弱めることを示す根拠が紹介されている。そして、僕が書いた記事では「①性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘する研究も存在する?」「②ポルノが性的衝動をコントロールするためのガス抜き効果を持つという主張は根拠がない?」という章を用意していたので(これは論破王AIの発言に対応する形にするため)、それぞれの章における根拠して、(1)と(2)を使ったというだけのことだ。書き方がイケてないという批判は甘んじて受けるが、別に悪意をもってこのような表現としたわけではない。

 なお「反論2」には続きもあるので、こちらについても検討していこう。

(反論2 続き)

さらにこの論文の著者が、自説や自分たちの研究の姿勢に公平性・中立性があるという風に見せるポーズとして、あえて反対の意見を主張している研究・論文があることを示すことで肯定否定の二つの側面の「一辺倒」を扱っている姿勢ではない、と主張していることは真の公平性ではない見せかけでしかない。

それは、その後の主張が、自説を贔屓した態度で説明を進めていくものであることから分かる。
その真意は初めから「ポルノの害の肯定側=ポルノ否定側」の論を崩すような、なんらかの<計量データの分野での>証拠を見つけてそのことを明らかにしようと「計量分野の学者が」している、ということであって、これは、初めから ”計量科学という<土俵>に持ち込めば、この論者には自動的に勝てる” という算段を持って、「多角的な視点からの研究」をそもそも否定し、馬鹿にし、見下しているということが読んでいてよく分かる。

つまり ”相手を持ち上げておいて落とす” 、”初めから計量科学の研究結果以外を認めない”詭弁的論法の二本立てで構えて待っているのがこう言った論者であり、それは自ら ”こちらが仕掛けていた<地雷>をわざわざ踏みに来た” と考えているような思考の態度の者たちである。

こういった、”後から言った方が勝ち” ”自分たち(ポルノ擁護者=計量データ主義者)の信念に合致した方が勝ち” という非論理的な独断の論法で構えている論者というのはでしかない。

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

  これはさすがに論文著者をなめすぎだろう。Ferguson & Hartley(2022)を読めば分かることではあるが、彼らが先行研究の紹介で示していることは「研究結果について一貫したコンセンサスがない」ということであり、「だから今回色々な研究を使ってメタ分析するよ」というのがこの論文の主旨なのだ。決して「私はこれが正しいと思うけど、違う意見もあるよ」レベルのものではないのである。

 そして、たぴ氏はFerguson & Hartley(2022)について「『ポルノの害の肯定側=ポルノ否定側』の論を崩すような・・・」と書いているが、これも明確にNoである。このことは、この論文が採用している「事前登録」研究手法から読み取れる。

我々の知る限り、これはポルノグラフィーの消費と攻撃的行動の影響に関する、事前登録された初めてのメタ分析である。事前登録についてはhttps://osf.io/njvdyから入手可能。

※太字は珈琲国王による

Ferguson & Hartley(2022)


 そして、「事前登録」というのは次のようなものだ。

広義のプレレジには大きく分けて 2 種類あり,それは狭義のプレレジ(特に断りがない限りこれ以降プレレジと呼ぶ際はこの狭義のものを指す)と事前審査付き事前登録(registered report: 以下,レジレポとする)である。このうちプレレジとは,研究で検証する仮説,方法,解析の内容などをデータ収集の前に明確にして,第三者機関に登録するというものである。第三者の審
査を必要とするものではなく,研究者が情報登録したことを以てプレレジ完了となる。一旦登録されたらタイムスタンプとともに確定されるため,登録情報の修正や変更はできない。レジレポは,研究でデータを収集する前に研究背景,仮説,方法などのプロトコルを雑誌に投稿し,査読を受ける。査読を通過したプロトコルは原則的採録(in-principle acceptance: IPA)となり,その後に研究を実施する。実施後,結果や考察を加えて完全な形となった論文を再び雑誌に投稿するが,研究結果は採録判定の判断材料とはされず,計画通りに研究が実施されたことなどを再度の査読で確認し,問題がなければ採録となる。

長谷川ら(2021) 実証的研究の事前登録の現状と実践 ──OSF事前登録チュートリアル──

 つまり事前登録制とは、データを集める前にどのような研究を行うのかを第三者機関に「宣言」しておくものである。仮に特定の結果が欲しいのであれば、事前登録などせずに、結果が思わしくないときには手法を変え、それでもだめならそもそも出版しないというスタンスでいればよいだろう(研究倫理としてはよろしくないが)。

 しかしFerguson & Hartley(2022)はあえて事前登録を行っている。もちろん事前登録すれば全てOKというわけではないものの、「特定の結果を示すため」という意図が含まれている可能性は低いと言えるだろう。

 とは言え、たぴ氏の言う「<計量データの分野での>証拠を見つけて」というのは間違ってはいない。しかし、それは「ポルノの害の肯定側=ポルノ否定側の論を崩す」ためというわけではなく、研究で用いられている分析手法上計量データを用いるほかないということではあるが。

 なお、ここにおいても「計量データ以外を認めない」という姿勢が批判されているわけだが、計量データ以外にどのような根拠が良いのかは示されていない。


「③統計的な計量された数値データがなければ、ポルノの害を証明できないと言う主張は論理的に不正確?」について

 この章での僕の文章は次の通り。

しかし、では本件について、数値データではない「根拠」は一体何なのだろうか。ある人は実際にポルノやその他の性的表現物によって生じた(と思われる)実際の事件を挙げるかもしれない。しかし、それが本当に性的表現物の影響を受けたものであると、どのように証明するのか?仮に容疑者がどう語っていたとしても、それが真実であるとどのように担保するのか。容疑者が嘘をついている可能性もあるし、容疑者自身も真の原因を認識できていないかも知れない。確かに統計データが100%正しいわけではない。しかし、統計データよりも正確な「根拠」が果たしてあるのかという点は考える必要があるだろう。

 また、数値データが全てではないという主張は一理あるとしても、その後の「だから、ポルノは無害と断言するのはまったく根拠のないことです。」という発言は明確に飛躍である。「無害と断言するのは言い過ぎ」というのであればまだ理解できるが、「まったく根拠がない」わけではないだろう。彼はどうも「数値化データは無意味」と主張したいようであるが、そうならそうと言えばよいのではないか?

珈琲国王『性的コンテンツの影響について(論点整理)』

早速、「数値データではない「根拠」は一体何なのだろうか。」という記述に関して「筆者コメント」がつけられていた。

これだけでもう理解していないことが指摘できる。研究対象はポルノである。つまりそれは「主語はポルノ」であると言える。
しかしこういった論者たちは、”主語は、いつでも、性犯罪(の発生率)”なのである。
さらには、ポルノという研究対象の方も、”ポルノの規制”という対象に勝手に研究対象をすり替えている

それは、本来 [ 間接的である ] ポルノの害に対して、直接的な計量できる数値、例えばある液体のアルカリ性の濃度値が計器にしっかり<浮かび上がってくる瞬間>や、リトマス試験紙にたらした反応結果の色の劇的変化、のような<動物本能レベルの刺激快感”明晰判明” ”私” 感覚・気分>を求めてそれだけを信じているような、おおよそ精神的な感性の感度の低い人たちである。

このような人たちにはそもそもポルノという思想的な悪害性のある精神的内容を持った観念的対象を扱うことは到底無理であると思われる。
つまり、この論者たちは、初めから、計量データありき、で考えている。その上で、公平や中立を装った所で、計量データしか使えない・使わない・他の話はさせない、というファシズムにかぶれた人たち=ほぼオタクのこと、といってよい、であり、いわゆる「キモい人たち」でしかない。以下、引用に戻る

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 これについては、正直に言うと何を主張したいのかがいまいちわからなかったため、こちらからの確認ポイントとして記載している。たぴ氏に答えていただくのが良いが、読者の方で「こういうことでは」という指摘があればいただきたい。

【確認ポイント①】
 まず以下の「筆者コメント」について。


研究対象はポルノである。つまりそれは「主語はポルノ」であると言える。
しかしこういった論者たちは、”主語は、いつでも、性犯罪(の発生率)”なのである。
さらには、ポルノという研究対象の方も、”ポルノの規制”という対象に勝手に研究対象をすり替えている

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 主語はポルノというのは分かるのだが、「こういった論者たちは、”主語は、いつでも、性犯罪(の発生率)”なのである。」というのはどういうことか。僕の認識では、先に引用した論文などにおける問いは「ポルノは性犯罪を引き起こすのか」というものであり、性犯罪(の発生率)が主語というのが良く分からない。「性犯罪は、ポルノによって増えるのか」であれば一応性犯罪が主語になるが、意味は変わらないので単なる言葉遊びに過ぎない。従って、たぴ氏はこの「主語」というのに何らかの意味を込めていると思われるのだが、それが何であるのか分からない。

 また、「ポルノという研究対象の方も、”ポルノの規制”という対象に勝手に研究対象をすり替えている。」というのも良く分からなかった。ポルノと性犯罪との関係についての研究となると、例えば「ポルノの普及度合いと性犯罪件数の相関関係を見る」「ポルノの視聴回数と性的攻撃との相関関係を見る」「ポルノを見る群と見ない群に分け、性的攻撃性を比較する」といったものが考えられるが、いずれも「ポルノ規制」が研究対象というわけではない。分野上は心理学や社会科学の研究であろうから、あくまで研究対象は人間や社会である。そのため、「ポルノ規制を研究対象とする」ということについて全くイメージがわかないのだ。研究対象ではなく「研究テーマ」のことだろうか。

【確認ポイント②】
続いては下記の「筆者コメント」について。

それは、本来 [ 間接的である ] ポルノの害に対して、直接的な計量できる数値、例えばある液体のアルカリ性の濃度値が計器にしっかり<浮かび上がってくる瞬間>や、リトマス試験紙にたらした反応結果の色の劇的変化、のような<動物本能レベルの刺激=快感=”明晰判明” な ”私” の感覚・気分>を求めてそれだけを信じているような、おおよそ精神的な感性の感度の低い人たちである。

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 ポルノの害について「本来間接的である」としているが、ポルノの害が間接的であるとはどういうことか。研究などで想定されている「ポルノの害」は大体間接的なものだ。例えば「ポルノを見た人は性的攻撃に寛容な考え方を持つようになり、そのことが性的攻撃行動を引き起こす」というもので、「リトマス紙に水溶液を垂らすと色が変わる」のようなものとはイメージが異なる。最もリトマス紙の色変化も突き詰めれば色々あるのかも知れないが、その点については詳しくないので詳しい方がいたら補足してほしい。ともあれ、「ポルノを見た人は性的攻撃に寛容な考え方を持つようになり、そのことが性的攻撃行動を引き起こす」のようなものを「間接的な害」としているのであれば、「まあ想定されているのはそういうものだね」としか言えなくなる。


【確認ポイント③】
続いては以下の「筆者コメント」について。


このような人たちにはそもそもポルノという思想的な悪害性のある精神的内容を持った観念的対象を扱うことは到底無理であると思われる。
つまり、この論者たちは、初めから、計量データありき、で考えている。その上で、公平や中立を装った所で、計量データしか使えない・使わない・他の話はさせない、というファシズムにかぶれた人たち=ほぼオタクのこと、といってよい、であり、いわゆる「キモい人たち」でしかない。以下、引用に戻る

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 

「このような人たちにはそもそもポルノという思想的な悪害性のある精神的内容を持った観念的対象を扱うことは到底無理であると思われる。」とあるが、ポルノにおける「思想的な悪害性(害悪性?)」とは具体的にどのようなものを想定しているのか。なぜ思想的に害があるということが言えるのか。

以上で確認ポイントは終了するとして、「反論3」の検討に移ろう。反論3において対象となっているのは、僕の次のような記述である。

また、数値データが全てではないという主張は一理あるとしても、その後の「だから、ポルノは無害と断言するのはまったく根拠のないことです。」という発言は明確に飛躍である。「無害と断言するのは言い過ぎ」というのであればまだ理解できるが、「まったく根拠がない」わけではないだろう。彼はどうも「数値化データは無意味」と主張したいようであるが、そうならそうと言えばよいのではないか?

珈琲国王『性的コンテンツの影響について(論点整理)』

そして反論については以下の通り。


反論3

最後のくだりは実に自分の嗜癖や好悪の気分に基づいた感情的な発言でしかなく、何らの客観性もない。分かっていることは、「『まったく根拠がない』わけではないだろう」というような、「(自分はそれを)分からない・知らない」ということである。つまり相手が根拠を持ち、あるいはデータを持っている可能性もあるのに、それを”ない”と決めつけているからこそ「~そうと言えばよいのではないか?」と非難の、命令に近い要求、をぶつけてきている。これはやんわりと偽装された攻撃と見て良いが、その”ない”という決め付けの所に根拠がない(のに相手を非難している独断の態度)から、気分の話でしかない
私には当然根拠があるからそういうポストをしている。
ポルノの害が「ゼロ」でなければ、「ポルノは<無害>」という主張はできない。だからそのことを根拠がない、と言っている。
それも理解できないまま、相手がどういう文脈で話しているかも想像する能力がなくて、否定しているのは、実に思考が浅い
あと、論破王AIが回答したことを「彼」といっているのも、私と同一視しているように思える。その辺は定かではなく、彼はAI論破王のことを「彼」といったのであろうか。そうであれば、そういうことになるのも、思考が浅い証拠である。恐らくそういうことであると思うので次のようにも言うが、これはこの人の記事の次の段落でも続く。実に、思考が浅い。

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 これについては、たぴ氏の発言について反論しつつ、僕がなぜこのような表現を行ったかについて説明していこう。

 まず、「私には当然根拠があるからそういうポストをしている。~実に思考が浅い。」についてだが、その点については僕が書いたnoteにおいては正直どうでもよい。なぜなら僕があのnoteで批判したのは「たぴ氏が出した論破王AIの発言」であり、たぴ氏のその他のポストではないためだ。従ってあのnoteを書いた時点で、たぴ氏のポストの内容は全く考慮に入っていない。

 そのうえで僕の表現の意図を述べるが、その前に改めて「論破王AI」の発言を掲載しておく。


・論破王AIに入力した文章(原文ママ)
ポルノは無害である。研究論文でも、ポルノの規制については、規制すると性犯罪が増えると出ている。それにガス抜き効果によって性行動への衝動が一定以上を超えることはない。ポルノの害というのがあるならそれを証明するために統計的に計量された数値データが必要である。それが提出されていないのだから、ポルノは無害とするのが正しい。無害なポルノを規制してはいけない。

・上記の文章に対する論破王AIのアンサー(原文ママ)
まず、君の主張について言わせてもらうと、ポルノが無害であると主張すること自体がまず間違っている。性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘している研究も存在します。また、ポルノが性的衝動をコントロールするためのガス抜き効果を持つと主張するのも根拠がない話です。さらに、統計的な計量された数値データがなければ、ポルノの害を証明できないと言う君の主張も、論理的に不正確です。科学的な研究は、単純な数値データに頼ることではありません。研究はさまざまな要素を考慮し、複数の視点から結論を導くものです。だから、ポルノは無害と断言するのはまったく根拠のないことです。ポルノグラフィーは、性的な暴力や依存症を助長する可能性があるため、十分な規制を受けるべきです。そうでなければ、社会に深刻な悪影響を与える可能性があります。



 僕は例の論破王AIがいう「害」というのは「性犯罪の誘発」のことであると捉えていた。これは、まさか論破王AIが「害がゼロでなければ有害!」などという低レベルの議論をしているとは考えていなかったためだ。だってそうだろう、論破王AIは「ポルノグラフィーは規制を受けるべき」と言っているのだから、なぜ規制に値するのかという根拠を用意しているはずだ(害がゼロではない以上規制すべきという話になってしまうと、世の中は規制だらけになってしまう)。そして彼は、その根拠として「性的な暴力や依存症を助長する可能性がある」ということを挙げている。依存症については根拠を示していないが、「性犯罪との関係」については根拠(があること)を示しているので、彼の主張において「性犯罪との関係」がかなり強いものであるということが伺えるだろう。

 最も厳密に言えば「害がゼロでなければ有害」というのは正しいということは認めなければならない。しかし、僕は論破王AIが「規制」を問題としているため、「害がなければ有害!」といった具体性に欠ける話はさすがにしていないだろうと考え、「害」というのを「性犯罪の助長」と浅はかに定義してしまった。この点については僕の思慮が足りなかったと反省している。

 ちなみに、たぴ氏の言う通り、僕があのnoteで「彼」と称したのは「論破王AI」のことである。理由は論破王AIの「見た目」が男性に見えたためであるが、ジェンダーバイアスを内面化しているという批判があれば甘んじて受け入れよう。


「④「ポルノグラフィーは、性的な暴力や依存症を助長する可能性があるため、十分な規制を受けるべき?」について

 この章における僕の記載は以下の通り。

うーん、ちょっと待ってほしい。これは一体何を根拠とした主張なんだろうか。もしかして、その前に書かれている「ポルノは無害と断言するのはまったく根拠のないこと」ということから導き出された主張なのか。そうであれば、「無害と断言するには根拠がない」ということから、「有害である可能性が0ではないから規制すべき」と言っていることになる。しかし、これもさすがに飛躍であろう。ある物や人が「無害」と断定できない以上規制すべきとなると、あらゆるものに対して「無害と断定できない、規制!」が適用されてしまう。
 最も、「無害と断言するのは根拠がない」だけでなく、「有害という根拠はある」という点も挙げられているのであれば、まだ分からないでもない。そして、「彼はポルノの有害性を示す研究がある」としている。しかし、前章でも述べた通り、彼は数値データを「根拠」として認識していないので、「ポルノの有害性を示す研究」も根拠とは言えないという主張も成り立ってしまうのではないか。そもそも彼は「研究はある」としか言っていないのでその点も不誠実ではあるのだが、もしかして彼の言っている「研究」というのは数値データに基づかないものなのだろうか?そうなのだとすればそれを示してほしいものだ。いずれにせよ、結論の導き方が乱暴と言わざるを得ないだろう。

珈琲国王『性的コンテンツの影響について(論点整理)』


 早速最初の一文に「筆者コメント」が入れられているが、この点についてはたぴ氏の個人的な願望なので割愛する。

その後の「筆者コメント」は以下の通り。

ちなみに私がしている「(おそらく多くのポルノ擁護者が思っているような)私の”誹謗中傷”は、皆、事実の指摘に他ならず学問を穢し貶め破壊している要素・要因を名指しで指摘して言っていることで、それを直せば学問的な思考ができ、態度ができてくる、ということの話である)

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 なるほど、たぴ氏は「事実の指摘に他ならず、学問を穢し貶め破壊している要素・要因を名指しで指摘して言っている」と言っているようだ。だが、「計量データ以外を認めない」姿勢を批判しておきながら、ここにおいても「計量データ以外」の例を示していないたぴ氏は、果たして学問的な姿勢を貫いているのだろうか。この点は多いに疑問である。

 この章におけるその他の筆者コメントも結局「計量データ以外を認めない姿勢」への批判であるため割愛する。反論4は上記「筆者コメント」に全て書かれているので無い模様。

結局、ポルノの影響はあるのか?

 この章において、僕は次の過去記事を紹介した。


これに対してたぴ氏のコメントがあるため紹介する。

筆者注:この記事も時間を取って目を通し吟味し、批判・反論したいものである。相手方の論調は分かっているのですでに批判・反論の対象であると分かる)

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 とのことなので、楽しみに待つこととしよう。

 さて、僕は先ほども引用したFerguson & Hartley(2022)について、その調査結果を引用した。内容は以下の通り。

・非暴力ポルノグラフィについては、全体的に性的攻撃との関係を示唆する結果は得られなかった。

・暴力的ポルノグラフィについては、実験的研究においては性的攻撃との関係性は有意ではなかった。一方相関的研究についてはわずかではあるが性的攻撃との有意な関係が見られ、その効果量はr = .13であった(効果量とは、関係の大きさを表す指標)。

・相関的研究におけるポルノグラフィと性的攻撃との関係については、出版バイアス(否定的な結果が出た研究が公表されにくいバイアス)を考慮すると効果量がr = .09となり、これは仮説支持と解釈するのに十分なレベルを下回っていた。

Ferguson & Hartley(2022)

そして、この内容についてのコメントが「反論」の中で寄せられている。

反論5
そして、次のことを明らかにしている。 ・ポルノが暴力的に描かれていなければ、人々は性行為(異性観=異性の人格観)を暴力的にイメージしない
・ポルノが暴力的に描かれていれば、人々は性行為(異性観=異性の人格観)を暴力的にイメージする「告白」はあった

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 この点については論文解釈に誤りがあるため指摘しておく。というのも、Ferguson & Hartley(2022)で示されているのは、「ポルノの使用と性的攻撃性との関係」であり、異性間に対するイメージではない。もちろん攻撃があるのだから暴力的なイメージもあるはずだとも予測できるが、少なくとも論文で明らかにしている内容ではない。

 また、「ポルノが暴力的に描かれていれば、人々は性行為(異性観=異性の人格観)を暴力的にイメージする「告白」はあった」という点については、「暴力的ポルノの使用と性的攻撃との関係については、相関研究においてのみ有意な相関が見られた」というのが正しい解釈である。しかし、相関研究における暴力的ポルノと性的攻撃性との関係については、出版バイアスを考慮すると効果量が「仮説支持と解釈するのに十分なレベル」を下回っている(これは僕のnoteにも記載している)ため、「関係がある」と断言するのは適切ではない。

 そして、論文における研究結果から、たぴ氏は以下のような解釈をしている。

このことを考え直してみると、次のことが言える。
 ポルノは、害があり、その表現のされ方は人々に影響を与える
 →そうでなければ、暴力的に描かれていないポルノに、暴力的な性行為のイメージを抱くことと、非暴力的な性行為のイメージを抱かないことが、有意に起こりうるはずである。
→また、それは対象物全般が人に対して何らかの影響を及ぼし、観念的対象であればその思想に影響を与えるといったことは、何もポルノに限ったことではない。
→そのことは、逆に、ポルノが無害という主張により、ポルノという対象は人に対して何らの影響も与えず「独立している」ということになれば、全く説明のつかない矛盾に陥る。
例えば、ポルノのガス抜き効果があると主張し、決して人はポルノの影響で「性的攻撃(性的なあらゆる面での異性への侵害行為)」を行うことがない、と主張するのは、まさにポルノが人に対して影響力を持たないで独立していると言い、その一方でガス抜きに用いるとか、年齢規制やゾーニング(場所制限)などを行う対象として扱っている、ということでポルノの影響の存在を主張していることから、完全に矛盾する

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

  しかしこの点については、元となる論文解釈が誤っているため、正しい解釈をしたうえで再検討してほしい。

 次の点も同様であるが、こちらについては少々驚きを隠せずにいるためこちらからコメントしよう。

 1のことは、ポルノは<無害>ではない、ということを証明している。
 →社会的に懸念されるような確定した強い影響力でなくても、それはゼロと確認されたのではない。それは影響力が弱くてもゼロ以上にはある、と確認されたのである。つまり、ポルノが無害である可能性はゼロだと確認されたのである。

たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記『とある<よくある>ポルノ擁護記事への批判』

 まずはこちらについても論文解釈が間違っている。そもそもFerguson & Hartley(2022)で示されているのは「因果関係があると断定するのは難しい」ということだ。唯一見られた「相関研究における、暴力的ポルノと性的攻撃との関係」については、出版バイアスの影響に加え、相関研究であるため因果関係(ポルノの影響があるか否か)を特定できるものではないということは注意せねばならない。つまり、そもそも相関関係があると言っていいのかも怪しい上、仮に「ある」と判断したとしても、それがポルノによる影響とは断定できない(他の要因によるものかもしれない)のである。

 しかし、それよりもはるかに驚いた点がある。それは「それは影響力が弱くてもゼロ以上にはある、と確認されたのである。つまり、ポルノが無害である可能性はゼロだと確認されたのである。」という部分である。

 僕は先日のnoteにおいて「論破王AI」は「害がないと言えないから有害!」などという話はしていないと思っていたのだが、たぴ氏自身の主張はどうもそれだったらしい。

 これを受け、僕は自分が誤っていたと認めざるを得なくなった。というのも、僕は「論破王AI」が「無害」という言葉を使用していたにも関わらず、論破王AIが「害がないと確認されない限り無害ではない」というレベルの話はしていないと「邪推」してしまった。しかしたぴ氏は「無害」を文字通り「何の害もないこと」という意味で使用しているようだ。これは完全に僕の解釈違いであり、僕の負けだ。

したがって、僕は自らの認識を以下のように改めることとする。

 僕は前回noteにおいて「『だから、ポルノは無害と断言するのはまったく根拠のないことです。』という発言は明確に飛躍である。」と記載したが、「あらゆる害がない」ことを示す根拠はないため、ポルノは有害である。

 そして、正しいことを言っていたたぴ氏に対し的外れで失礼なnoteを書いてしまったことを深くお詫びする。


 



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