はじめに
先日、上↑の記事を書いたところ、批判記事を頂戴したのでこちらで応答する。それがこちら。
https://note.com/tapitapi_diary/n/nd4927a46b70f
なぜ僕がこのような記事を書くこととなったのかについては、最初に挙げた僕のnoteを参照してほしい。
https://note.com/coffee_______s/n/n814eb2ddafc5
大前提として、noteという媒体でこのようにご自身の意見を書いて下さったことについては敬意を表するべきだろう。先日僕はこの方が「論破王AI」というチャットボットの「意見」をレスバの反論として引用しているのを少々嘲笑的に扱ってしまったので、この点はお詫びしなくてはならない。
その上で、内容について検討し、こちらから応答すべき部分については書いていこう。なお、批判記事の筆者は「たぴおかっちゃんのたぴたぴ日記」というお名前なのだが、本記事では便宜上「たぴ氏」と表記する。
「①性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘する研究も存在する?」について
僕の記事の中では、この点について次のように述べた。
そして、僕のこの記載について次のような批判をいただいた。
ここは僕からの確認が必要である。というのも、たぴ氏は僕の姿勢を「計量データしか信じるに値するものがない、と考えている。それは、少しも中立ではない。嗜好に偏っている思考であり、認知が歪んでいる。」と批判しているのだが、個人的にはこの部分はとても気になるのだ。計量データ以外に、信じるに値するもの(根拠)とは一体どのようなものであろうか。「計量データ以外にも、〇〇のようなものは検討の必要があるだろう」ということを提示してもらえれば、さらに検討を深めることができるだろう。
「②ポルノが性的衝動をコントロールするためのガス抜き効果を持つという主張は根拠がない?」について
この章については、僕は最初に次のように記載した。
そして、これに対して、まず「筆者コメント」という題で以下のような批判を頂戴している。
なるほど、その点を突っ込んできたかというのが正直なところだが、それではこの記載の意味を説明する必要があるだろう。
「引っかかりはする」という表現を用いたのは、僕がポルノの害について「何も思い浮かばない」ためではない。そうではなく、ここで示す「害」というのが何を指しているのかが不明確であったためである。ポルノにおける「害」というのは様々なものが考えられるが(例えば「仕事に集中できなくなる」といったものも言ってしまえば「害」)、そうしたものの詳細を検討せずに「無害」と言い切っていることには違和感を感じた。今回はそのような様々な害をピックアップして「こんな害もある!だから無害ではない!よって有害!規制」などという低レベルの議論をしているわけではないだろうから、当然「〇〇という害があるかどうか」という表現が妥当なのではないかと思う。
とは言え、例の論破王AIは「(中略)ポルノが無害であると主張すること自体がまず間違っている。性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘している研究も存在します。」と言っているので、今回は「性犯罪の増加」ということをメインテーマにしていると判断した。「彼」は最後に「ポルノグラフィーは、性的な暴力や依存症を助長する可能性があるため、十分な規制を受けるべきです。」とも言っているので、その点は間違ってはいないと思う。
次に、この章では「反論2」をいただいているので、そちらについても見ていこう。
僕は記事内で、次のような記載をした。引用の都合上、2章にまたがることになるため、要所に絞って引用する。
そして、この表現に対し次のような指摘をいただいた。
まあこれは僕の書き方がイケてないということであるのだが、別に悪意を持ってこのような表現としたわけではない。僕のnoteの章の都合上、同じ論文の連続する箇所であったものの分けて引用する方が良いと考えただけだ。
ちなみに僕が引用した論文の記述は以下の通り。
読んで頂ければわかるのだが、この部分では、(1)ポルノは性的攻撃性に影響を与えることを示す根拠、(2)ポルノは性的攻撃性に影響を与えない、もしくは性的攻撃性を弱めることを示す根拠が紹介されている。そして、僕が書いた記事では「①性犯罪の増加とポルノの関連性を指摘する研究も存在する?」「②ポルノが性的衝動をコントロールするためのガス抜き効果を持つという主張は根拠がない?」という章を用意していたので(これは論破王AIの発言に対応する形にするため)、それぞれの章における根拠して、(1)と(2)を使ったというだけのことだ。書き方がイケてないという批判は甘んじて受けるが、別に悪意をもってこのような表現としたわけではない。
なお「反論2」には続きもあるので、こちらについても検討していこう。
これはさすがに論文著者をなめすぎだろう。Ferguson & Hartley(2022)を読めば分かることではあるが、彼らが先行研究の紹介で示していることは「研究結果について一貫したコンセンサスがない」ということであり、「だから今回色々な研究を使ってメタ分析するよ」というのがこの論文の主旨なのだ。決して「私はこれが正しいと思うけど、違う意見もあるよ」レベルのものではないのである。
そして、たぴ氏はFerguson & Hartley(2022)について「『ポルノの害の肯定側=ポルノ否定側』の論を崩すような・・・」と書いているが、これも明確にNoである。このことは、この論文が採用している「事前登録」研究手法から読み取れる。
そして、「事前登録」というのは次のようなものだ。
つまり事前登録制とは、データを集める前にどのような研究を行うのかを第三者機関に「宣言」しておくものである。仮に特定の結果が欲しいのであれば、事前登録などせずに、結果が思わしくないときには手法を変え、それでもだめならそもそも出版しないというスタンスでいればよいだろう(研究倫理としてはよろしくないが)。
しかしFerguson & Hartley(2022)はあえて事前登録を行っている。もちろん事前登録すれば全てOKというわけではないものの、「特定の結果を示すため」という意図が含まれている可能性は低いと言えるだろう。
とは言え、たぴ氏の言う「<計量データの分野での>証拠を見つけて」というのは間違ってはいない。しかし、それは「ポルノの害の肯定側=ポルノ否定側の論を崩す」ためというわけではなく、研究で用いられている分析手法上計量データを用いるほかないということではあるが。
なお、ここにおいても「計量データ以外を認めない」という姿勢が批判されているわけだが、計量データ以外にどのような根拠が良いのかは示されていない。
「③統計的な計量された数値データがなければ、ポルノの害を証明できないと言う主張は論理的に不正確?」について
この章での僕の文章は次の通り。
早速、「数値データではない「根拠」は一体何なのだろうか。」という記述に関して「筆者コメント」がつけられていた。
これについては、正直に言うと何を主張したいのかがいまいちわからなかったため、こちらからの確認ポイントとして記載している。たぴ氏に答えていただくのが良いが、読者の方で「こういうことでは」という指摘があればいただきたい。
【確認ポイント①】
まず以下の「筆者コメント」について。
主語はポルノというのは分かるのだが、「こういった論者たちは、”主語は、いつでも、性犯罪(の発生率)”なのである。」というのはどういうことか。僕の認識では、先に引用した論文などにおける問いは「ポルノは性犯罪を引き起こすのか」というものであり、性犯罪(の発生率)が主語というのが良く分からない。「性犯罪は、ポルノによって増えるのか」であれば一応性犯罪が主語になるが、意味は変わらないので単なる言葉遊びに過ぎない。従って、たぴ氏はこの「主語」というのに何らかの意味を込めていると思われるのだが、それが何であるのか分からない。
また、「ポルノという研究対象の方も、”ポルノの規制”という対象に勝手に研究対象をすり替えている。」というのも良く分からなかった。ポルノと性犯罪との関係についての研究となると、例えば「ポルノの普及度合いと性犯罪件数の相関関係を見る」「ポルノの視聴回数と性的攻撃との相関関係を見る」「ポルノを見る群と見ない群に分け、性的攻撃性を比較する」といったものが考えられるが、いずれも「ポルノ規制」が研究対象というわけではない。分野上は心理学や社会科学の研究であろうから、あくまで研究対象は人間や社会である。そのため、「ポルノ規制を研究対象とする」ということについて全くイメージがわかないのだ。研究対象ではなく「研究テーマ」のことだろうか。
【確認ポイント②】
続いては下記の「筆者コメント」について。
ポルノの害について「本来間接的である」としているが、ポルノの害が間接的であるとはどういうことか。研究などで想定されている「ポルノの害」は大体間接的なものだ。例えば「ポルノを見た人は性的攻撃に寛容な考え方を持つようになり、そのことが性的攻撃行動を引き起こす」というもので、「リトマス紙に水溶液を垂らすと色が変わる」のようなものとはイメージが異なる。最もリトマス紙の色変化も突き詰めれば色々あるのかも知れないが、その点については詳しくないので詳しい方がいたら補足してほしい。ともあれ、「ポルノを見た人は性的攻撃に寛容な考え方を持つようになり、そのことが性的攻撃行動を引き起こす」のようなものを「間接的な害」としているのであれば、「まあ想定されているのはそういうものだね」としか言えなくなる。
【確認ポイント③】
続いては以下の「筆者コメント」について。
「このような人たちにはそもそもポルノという思想的な悪害性のある精神的内容を持った観念的対象を扱うことは到底無理であると思われる。」とあるが、ポルノにおける「思想的な悪害性(害悪性?)」とは具体的にどのようなものを想定しているのか。なぜ思想的に害があるということが言えるのか。
以上で確認ポイントは終了するとして、「反論3」の検討に移ろう。反論3において対象となっているのは、僕の次のような記述である。
そして反論については以下の通り。
これについては、たぴ氏の発言について反論しつつ、僕がなぜこのような表現を行ったかについて説明していこう。
まず、「私には当然根拠があるからそういうポストをしている。~実に思考が浅い。」についてだが、その点については僕が書いたnoteにおいては正直どうでもよい。なぜなら僕があのnoteで批判したのは「たぴ氏が出した論破王AIの発言」であり、たぴ氏のその他のポストではないためだ。従ってあのnoteを書いた時点で、たぴ氏のポストの内容は全く考慮に入っていない。
そのうえで僕の表現の意図を述べるが、その前に改めて「論破王AI」の発言を掲載しておく。
僕は例の論破王AIがいう「害」というのは「性犯罪の誘発」のことであると捉えていた。これは、まさか論破王AIが「害がゼロでなければ有害!」などという低レベルの議論をしているとは考えていなかったためだ。だってそうだろう、論破王AIは「ポルノグラフィーは規制を受けるべき」と言っているのだから、なぜ規制に値するのかという根拠を用意しているはずだ(害がゼロではない以上規制すべきという話になってしまうと、世の中は規制だらけになってしまう)。そして彼は、その根拠として「性的な暴力や依存症を助長する可能性がある」ということを挙げている。依存症については根拠を示していないが、「性犯罪との関係」については根拠(があること)を示しているので、彼の主張において「性犯罪との関係」がかなり強いものであるということが伺えるだろう。
最も厳密に言えば「害がゼロでなければ有害」というのは正しいということは認めなければならない。しかし、僕は論破王AIが「規制」を問題としているため、「害がなければ有害!」といった具体性に欠ける話はさすがにしていないだろうと考え、「害」というのを「性犯罪の助長」と浅はかに定義してしまった。この点については僕の思慮が足りなかったと反省している。
ちなみに、たぴ氏の言う通り、僕があのnoteで「彼」と称したのは「論破王AI」のことである。理由は論破王AIの「見た目」が男性に見えたためであるが、ジェンダーバイアスを内面化しているという批判があれば甘んじて受け入れよう。
「④「ポルノグラフィーは、性的な暴力や依存症を助長する可能性があるため、十分な規制を受けるべき?」について
この章における僕の記載は以下の通り。
早速最初の一文に「筆者コメント」が入れられているが、この点についてはたぴ氏の個人的な願望なので割愛する。
その後の「筆者コメント」は以下の通り。
なるほど、たぴ氏は「事実の指摘に他ならず、学問を穢し貶め破壊している要素・要因を名指しで指摘して言っている」と言っているようだ。だが、「計量データ以外を認めない」姿勢を批判しておきながら、ここにおいても「計量データ以外」の例を示していないたぴ氏は、果たして学問的な姿勢を貫いているのだろうか。この点は多いに疑問である。
この章におけるその他の筆者コメントも結局「計量データ以外を認めない姿勢」への批判であるため割愛する。反論4は上記「筆者コメント」に全て書かれているので無い模様。
結局、ポルノの影響はあるのか?
この章において、僕は次の過去記事を紹介した。
これに対してたぴ氏のコメントがあるため紹介する。
とのことなので、楽しみに待つこととしよう。
さて、僕は先ほども引用したFerguson & Hartley(2022)について、その調査結果を引用した。内容は以下の通り。
そして、この内容についてのコメントが「反論」の中で寄せられている。
この点については論文解釈に誤りがあるため指摘しておく。というのも、Ferguson & Hartley(2022)で示されているのは、「ポルノの使用と性的攻撃性との関係」であり、異性間に対するイメージではない。もちろん攻撃があるのだから暴力的なイメージもあるはずだとも予測できるが、少なくとも論文で明らかにしている内容ではない。
また、「ポルノが暴力的に描かれていれば、人々は性行為(異性観=異性の人格観)を暴力的にイメージする「告白」はあった」という点については、「暴力的ポルノの使用と性的攻撃との関係については、相関研究においてのみ有意な相関が見られた」というのが正しい解釈である。しかし、相関研究における暴力的ポルノと性的攻撃性との関係については、出版バイアスを考慮すると効果量が「仮説支持と解釈するのに十分なレベル」を下回っている(これは僕のnoteにも記載している)ため、「関係がある」と断言するのは適切ではない。
そして、論文における研究結果から、たぴ氏は以下のような解釈をしている。
しかしこの点については、元となる論文解釈が誤っているため、正しい解釈をしたうえで再検討してほしい。
次の点も同様であるが、こちらについては少々驚きを隠せずにいるためこちらからコメントしよう。
まずはこちらについても論文解釈が間違っている。そもそもFerguson & Hartley(2022)で示されているのは「因果関係があると断定するのは難しい」ということだ。唯一見られた「相関研究における、暴力的ポルノと性的攻撃との関係」については、出版バイアスの影響に加え、相関研究であるため因果関係(ポルノの影響があるか否か)を特定できるものではないということは注意せねばならない。つまり、そもそも相関関係があると言っていいのかも怪しい上、仮に「ある」と判断したとしても、それがポルノによる影響とは断定できない(他の要因によるものかもしれない)のである。
しかし、それよりもはるかに驚いた点がある。それは「それは影響力が弱くてもゼロ以上にはある、と確認されたのである。つまり、ポルノが無害である可能性はゼロだと確認されたのである。」という部分である。
僕は先日のnoteにおいて「論破王AI」は「害がないと言えないから有害!」などという話はしていないと思っていたのだが、たぴ氏自身の主張はどうもそれだったらしい。
これを受け、僕は自分が誤っていたと認めざるを得なくなった。というのも、僕は「論破王AI」が「無害」という言葉を使用していたにも関わらず、論破王AIが「害がないと確認されない限り無害ではない」というレベルの話はしていないと「邪推」してしまった。しかしたぴ氏は「無害」を文字通り「何の害もないこと」という意味で使用しているようだ。これは完全に僕の解釈違いであり、僕の負けだ。
したがって、僕は自らの認識を以下のように改めることとする。
そして、正しいことを言っていたたぴ氏に対し的外れで失礼なnoteを書いてしまったことを深くお詫びする。