飲み干す仕事

2517字の掌編小説です。





 私の仕事は液体を飲み干すことです。


 私が出勤し、デスクに座って待っていると、

「おはようございます、先塚亜梨子さん」

 と言いながら、配膳係の人が部屋に入ってきます。配膳係の人は一日一回、ガラスのコップになみなみと注がれた黒い液体を持って来るのです。

コップはデスクに座って待っている私の前に置かれます。持って来るのは、岡田さんの時もあれば前林さんの時もあり、佐々木さんの時もあります。持って来る人はまちまちです。でもそれ以外はすべて一緒なのです。

「どうぞ」

 と言われるので、私はそれを一気に飲み干します。しっかりと飲んだのを見届けてから、配膳係の人は、

「お疲れさまでした」

 と私に声をかけます。それを聞いたら私の仕事はほぼ終わりです。あとは暇をつぶすだけになります。その時点で朝の九時。それから午後五時半まで会社にいなければなりません。

とても退屈なのですが、そういう労働契約なのだから仕方がありません。とはいえ、携帯と文庫本の持ち込みは良いと言われているので、それで時間を潰します。五時半を過ぎたら、タイムカードを押して、業務終了です。

月曜から金曜日、八時半に出勤し五時半に退勤します。月の総支給額は三十万円です。

 転職して入社したこの会社は、営業部以外の役職無し職員はオフィスカジュアル、営業部・役職持ち職員はスーツです。とても気楽ですし、皆さん清潔感があって感じが良いので、とても過ごしやすい職場です。



「乾杯!」

 友人たちと言いあいながら、グラスを重ねました。今日は友人三人との飲み会です。

「じゃんじゃん、肉焼こう! それでドンドン飲も!」

 きららは言いながら、トングで真っ赤な肉を網の上に運びます。

「そのための食べ飲み放題だもんね」

 光枝はそう言ってビールを飲み干しました。

「日頃のストレスはここで振るい落とそ!」

 国を口に運びながらされた里香の発言に、

「また職場で何かあったの?」

 と光枝が尋ねました。

「前の職場と違ってパワハラはないけど、祝日が少なすぎ。正月とゴールデンウィークが事務職なのに一切ないってどういうこと?」

 里香は眉をひそめて愚痴を言いました。

「でもさ、里香の職場給料良かったよね?」

 きららはモツを金網の真ん中に乗せながら尋ねます。

「初任給で二十二万」

「いーじゃん。うちは初任給十六万で、五年勤務しても十六万三千円だよ。昇給ありの正職員なのに」

 と羨ましそうに言うきららに、光枝は言います。

「言うて、きららの職場は完全週休二日でしょ。うちは日曜しか休めなくて、十八万だよ。そういや転職した亜梨子はどうだったっけ?」

「完全週休二日で三十万」

 そう言うと三人の視線が一斉に私に注がれました。

「え、滅茶苦茶に残業させられてるってこと?」

 私は首を振りました。

「絶対に定時だよ」

「やば、羨ましすぎなんだけど。事務職じゃなかったっけ?」

 きららの発言に私は、タン塩を食べながら答えます。

「黒い液体を飲む仕事だよ」

「は? 何それ。食品の味をみる仕事ってこと?」

「味はしないよ。無味。水と一緒。それを一日一回飲むだけ」

 里香は目を皿のようにしたまま、

「それ何の液体?」

 と尋ねます。

「名前は知らないの。黒い液体だよ」

 そう言うと三人は何故か絶句してしまいましたが、ややあってから、

「亜梨子、それさ……気持ち悪くない?」

 と言われました。私は光枝の言わんとすることが分からず、首を傾げます。

「え、だって被検体みたいなことしてて、何も教えてもらえないんでしょ?」

 里香は口元を押さえて、顔を顰めながらそう言いました。被検体とは中々な謂れようです。

「検査に協力する仕事じゃないよ。それに何も教えてもらってないわけじゃない。人体に無害な液体ですって言われてるよ。あと薬を飲んだり、注射を打ったりするわけじゃないし」

 私はそう反論しますが、

「対して説明もされてないじゃん、それ。それでもって、意味の分からない液体って薬でしょ?」

 きららは若干苛立った声で私に尋ねます。それに対して、私は首を振ります。

「薬とは聞いてないよ。何か薬を飲んでても、全く問題ないって言われてるし。それに私馬鹿だから、訊いても分からないし、訊かないの」

 三人は黙って顔を見合わせました。何となく三人の顔色が悪いです。

「あのさー、その仕事やめた方が良いよ多分。やばいもん」

 光枝はおずおずと言った様子で私に言いました。

「そうだよ。後々、身体に何かあってからじゃ遅いんだよ。騙されて変な薬飲まされてるんだって」

 里香はそう言います。しかし私の身体には特に異変もありませんし、会社の人に邪な疑いを向けても意味がないと思います。それこそ人間関係に罅が入ってしまいます。

「なんで、辞めないの?」

 きららが私に対してするその質問こそ全く意味が分かりません。私はこの仕事を辞めようとは一切思いません。光枝、里香、きららの仕事と比べれば給料も待遇もずっと良いはずです。光枝は引き攣った顔をしたまま、私をしげしげと眺めつつ言いました。

「気持ち悪いって、本当に思ってないんだね……」

 光枝の言葉を聞きながら、私は水を飲みました。黒い液体も私にとっては、水とさして変わりません。給料がもらえるという点以外は。それでも光枝、里香、きららは私に嫌悪、怯え、心配等が混ざった目を向けます。

 一体、この仕事の何が悪いのでしょう? そう思いながら、私はビールに口をつけました。


 目覚ましが朝の七時を知らせてくれました。眠い目を擦りながら、体を起こしました。

昨日の飲み会で少し二日酔いが残っていますが、今日も仕事に行かなくてはいけません。私は白いセーターに黒いスカートというカジュアルな恰好で会社に向かいます。そしてタイムカードを押し、鞄を置いてから、自分のデスクに座ります。座ってから三十分ほどして、

「おはようございます。先塚亜梨子さん」

 と言いながら、入ってきたのは佐々木さんでした。佐々木さんはいつも笑顔でハキハキした声が素敵な方です。コトンという音と共に、黒い液体の入ったコップがデスクに置かれました。

「どうぞ」

 と笑顔で言われたので、溢れんばかりに満ちたそれを私は今日も飲み干します。

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