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東京五輪の男子110mHを見て

110mHが好きだ。
十数秒という短い時間の中に、選手の走力とハードリング技術が凝縮されている。

東京五輪の男子110mH(以下トッパー)には、日本から高山峻野選手、金井大旺選手、泉谷駿介選手が出場した。
陸上経験者でも関係者でもなんでもない、ただのトッパーファンである私が、五輪を見て感じたことを以下つらつらと書いていく。

高山峻野選手

私がトッパーを好きになるきっかけとなった選手。
五輪前には彼の母校まで応援幕を撮影しに行き、

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しまいにはゼンリン陸上部にファンレターまで送ってしまった笑。

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高山選手と言えば、「高山節」と呼ばれる控えめな発言が陸上ファンの間では有名である。
昨年地元のラジオ番組に出演した際には、「オリンピックは、気楽に家で寝ながら見たいですね」と(当時の)日本記録保持者とは思えない発言をしていた。

そんな高山選手は、日本選手権1週間前に、”ぎっくり背中”を発症。
ウォーミングアップすらままならない状態で、試合に強行出場した。
予選はギリギリで通過し、素人目に見ても、調子の悪さは一目瞭然。
正直私は、もう高山選手の五輪出場は無理だと諦めかけていた。

そんな絶不調の中、決勝では死に物狂いで執念の走りを見せ、なんとか五輪代表の座をつかみ取った。
(村竹ラシッド選手と石川周平選手が、フライングで失格になったことも有利に働いたが。)
「『オリンピックは、気楽に家で寝ながら見たい』。そんなわけないよな。」と、私も涙を流しながら代表決定に安堵したのが、記憶に新しい。

日本選手権から五輪までは、たったの1カ月強。
背中を痛めた高山選手がハードル練習を再開できたのは、レース1週間前だったという。
3人の代表の中では、一番苦戦を強いられるだろうなということは薄々感じていた。
実際、3人の中では唯一、準決勝へ駒を進めることができなかった。

前述の通り、高山選手は控えめな言動が有名だ。
そんな高山選手が今回予選スタート前に見せた、今までになく気合いの入った表情を、私は忘れることができない。
普段は表に出てこない、高山選手の大舞台に懸ける思い、覚悟、決意が、あの真剣な表情からひしひしと伝わってきた。

この経験をバネにして、高山選手はさらに強くなっていく。
私はそう、信じてやまない。

金井大旺選手

8台目のハードルを飛越した後に転倒する彼の姿を見て、思わず悲鳴を挙げてしまった。
金井選手が転倒する姿は、少なくともここ数年は見たことがなかった。
(どうやら法大3年以来、転倒したことはなかったらしい。)

金井選手の印象と言えば、とにかくクール。
3年前、日本選手権で14年ぶりに110mHの日本記録を更新した際の優勝インタビューがあまりにも淡々としていて、とても衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。

そんな金井選手が、悔しさや悲しさが入り混じった複雑な表情でラスト2台のハードルを跳び越え、レース後のインタビューで涙をこらえきれず、言葉を詰まらせている。
いち視聴者でしかない私の胸も締め付けられ、痛みを感じた。
「これが…引退レースだったのに…」。
そう思いながら、一緒に涙を流すことしかできなかった。

今年の織田記念で日本記録を更新した瞬間を見た際、「こんなに前途洋々な選手が、東京五輪で引退してしまうのか」と、とても残念に思った。

五輪が終わった今、ここ何年もトップレベルの争いを繰り広げてきたトリオのうち1人であり、14年止まっていた時計の針を動かした張本人が陸上界を去ることに、かなりの喪失感を感じている。

25歳での引退を惜しむ陸上ファンは、私以外にもたくさんいる。
ご家族からも、競技を続けていいと言われているらしい。

それでも金井は「ハードルを突き詰めていくと、結局終わりはない。修正していくと、新しい改善点が出てくる。自分の限られた時間の中で、完成形に近づけて終えるのが目標」と話していた。

それでも金井選手は、引退を撤回することはないという。
それが彼なりの、引き際の美学なのだろう。

大学4年時は喫茶店、家庭教師、コンビニエンスストアのアルバイトを掛け持ちしていたという凄まじい努力家の金井さんなら、きっと素敵な歯医者になるに違いない。
これからはいち陸上ファンとして、彼の第二の人生を応援していきたい。

泉谷駿介選手

順大入学からコロナ以前は、主要な試合については8割方現地で見てきたと思うので、思い入れの深い選手の1人でもある。

しばらくは高山選手も抜かせないだろうと思っていた金井選手の日本記録を、2カ月であっという間に更新したときは、「まさかこんな大記録を出すまでになるなんて…!」(何様)と、かなり驚いたものである。
今回3人の中では最も好調だったということもあり、悲願の決勝進出が最も近いのではないかとも思っていた。

それゆえに、泉谷くんが3着でゴールした瞬間、「もしかしたら、着順で拾われたのでは!?」と期待してしまう自分がいた。
わずか0.03秒。
本当にあと少しで、日本人初の快挙に手が届くところだった。
「現実を受け入れられない」というレース後の彼の言葉に、その悔しさが凝縮されていると思う。

泉谷くんは次戦で、約1年ぶりに走幅跳に出場するとのことである。
幅跳のベストも7m92なのだから、本当に多才な選手だなと改めて痛感している。
好記録が続出した福井の地で、泉谷くんの活躍が見られるのが楽しみだ。

110mH決勝を見て

結局トッパーは、ジャマイカのハンスル・パーチメント選手が13.04秒(-0.5m)という記録で金メダルを獲得した。
五輪でメダルを獲得するためには、やはり追い風でも13秒0台を出さなければいけないのだろう。
世界の壁は、まだまだ高い。

4年前なら、日本勢には程遠いと感じていただろう。
でも13秒06が日本記録となっている今は、絶望的な条件とは思わない。
金井選手が13秒36を樹立してから、たった3年で0.3秒も記録が縮まっているのだから。

これからも男子110mHは、私をワクワクさせてくれるに違いない。

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