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番外編:サミュエルの誕生日

 麗らかな春の陽光は、日増しに眩さを増していた。太陽の熱に浮かされた草花の香りが、風に乗って窓から優しい香りを運んでくる。
 サミュエルは、午後の鍛錬を終えると、一人自室に戻っていた。非番とはいえ、鍛錬を欠かしては、ルシアの近衛としてお話にならない。いつ何時、彼女の身に何が起こるかわからないのだ。
 サミュエルは、窓辺の鉢植えに水をやろうとして、ふと、机に置かれた見知らぬ封筒の存在に気がついた。
 こんなもの、部屋を出るときにあっただろうか。
 サミュエルは、内心訝しみながらも、白い封筒に手を伸ばした。
「招待状……?」
 手紙の内容は、簡潔だった。本日十五時に茶会を催すから、必ず出席してほしい。たった、それだけである。見慣れたルシアの字で書かれたそれに、サミュエルは驚きを禁じ得なかった。
 ルシアのお茶会といえば、ささやかながら、毎日供をしている。言わば日常の一コマのようなものだ。
 それを、わざわざ非番の日に、女王手ずから招待状まで下さるとは、珍しいこともあったものだ。
 時計の針は、もう十四時をわずかに回ってしまっている。
 サミュエルは、礼を失さないように、念入りに身支度を整えると、足早に指定された中庭へと足を向けた。
 
 
 
 ルシア唯一の憩いの場とも言える中庭は、春の花々に囲まれて、艶やかに色付いていた。毎日来ているとはいえ、その美しさは、儚く日々移り変わる。
「サミュエル、こちらよ。」
 遠巻きにバーニーとベンを従えたルシアは、いつものガーデンテーブルの傍らで、艶然と微笑んでいた。
 その笑顔は、春の陽光より眩しく、どんな花々もその美しさには敵わない。
「ルシア様、お招きに与り光栄です。しかし、急にどうなさったのです?」
 サミュエルは、控えていたエドワードが引いてくれた椅子に腰掛けると、妙に浮き足立つ女王に問いかけた。
「やだ、サミュエルったら。今日が何の日か覚えていないの?」
 ルシアの悪戯っぽい笑みに、サミュエルは頭を巡らせた。今日は、非番という以外、特に変わった日ではなかったように思う。
 エドワードが注いでくれた紅茶は、マスカテルフレーバーが華やかな、ダージリンティーだった。机の上には、三段のティースタンドが中央に鎮座しており、サンドウィッチに始まり、スコーンや小柄ながらも美しいケーキが並んでいる。いつものささやかなティータイムとは、明らかに様子が異なる。
「申し訳ありません、ルシア様。私には、わざわざご招待頂いた心当たりがさっぱり……。」
「あら、じゃあ、サプライズは成功かしら?」
 ルシアは、亜麻色の瞳を、優しく細めた。
「サプライズ?」
 確かに、十二分に驚いてはいるが、何のことだろうか。
「お誕生日おめでとう、サミュエル。前にエドワードと二人で、星空を見せてくれたでしょう? だから、細やかだけど、お祝いも兼ねて、二人でお茶をするのもいいかなあなんて思ったのよ。」
 ルシアは、晴れ渡る蒼穹よりも澄んだ笑顔で、サミュエルの瞳を覗き込んだ。
 心臓が、どきりと跳ねる。
 サミュエルは、ルシアにそれを気取られぬように、柔らかな笑顔を作って見せた。
「お心遣い感謝します、ルシア様。ルシア様に祝っていただけるとは、今日は特別な日になりそうです。」
「ふふ、喜んでもらえたなら、私も嬉しいわ。」
 頬を上気させて目を細めるルシアに、サミュエルは、精一杯の笑みを返した。
 この想いは例え墓まで持って行くとしても、今日という日が、特別であることには変わりはない。
「兄様、おめでとう。」
「エディもありがとう。」
「さ、今日のサミュエルは主賓なんだから、ゆっくり楽しんで頂戴。
 例えば、日常の一コマの延長線上にある夢だとしても、この胸の熱を、忘れることが出来ないだろう。
 春のさんざめく光は、三人の上に、優しく降り注いだ。


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