マガジンのカバー画像

こころ

116
他エッセイより、より内面を掘り下げて書いたものたちです。
運営しているクリエイター

記事一覧

わたしがキャリアウーマンにならなくても、世界は回る。

わたしの感じる「つらい」と、ひとが感じている「つらい」は同じではないのかもしれない。 わたしは仕事が続かない。 新卒の会社は心身を壊して1年で辞めた。そのあとの仕事も、長くて2年半。短いものは数か月でギブアップした。一方で夫は、前の会社に4年勤め、現在の職場では勤続5年目に入った。わたしが生まれてこのかた1度も経験したことがない、勤続年数。 でも夫は、わたしのように長い文章を日常的に書くことは無い。「今日は1000字の案件を1時間くらいで書いたよ」と報告すると、「俺には

Twitterをやめた夜。

昨日の深夜、Twitterのアカウントを削除した。 ここ最近の自分は、SNSに振り回されすぎていて、もはや生活のほぼ全てがSNSを中心に回っていた。それに心底疲れた。 ブログかnoteを書いて、TwitterとFacebookにシェアをする。そしてそのあとは、ひたすらいいねや、シェアの数が気になる。 そもそもわたしのTwitterフォロワー数は17人で、その数ではいいねやシェアなんて知れている。それがわかっていても、なにもリアクションがない自分のツイートを見続けるのはし

「きゅー…」と落ち込む日

おはようございます。 昨日の夜、ふとしたことで「きゅー…」と落ち込んでしまい、なかなか浮上できず胃が痛かった。わたしはどうも、楽観的に生きることが下手で、少しの事ですぐに「きゅー…」と苦しくなる。 いろんな経験をすれば、タフになれるかな?と10代、20代はあえてしんどい環境へどんどん飛び込んだ。その経験は多少わたしを強くしてくれたけど、根本的なところはあまり変わらなかったように思う。 生きていれば、誰でもそんな日がある。 なにもかもうまくいかない気がして、眠れない。

「疲れる」ということへの躊躇

今日のわたしはまさにこの漫画状態でした。 ひよこさんの漫画、大好きです! 結局、昨日の疲れを引きずっていました。 すぐに疲れから調子を崩してしまう。あらゆることを試したり、漢方飲んだりしてみたけど「めっちゃ丈夫!」にはついぞなれなかった。 そして、「疲れる」て言うことも、ちょっと抵抗があったりする。 わたしが、以前のようにフルタイムの会社員ならば躊躇なく「疲れた!疲れた!」と言っていたと思う。 拘束時間も通勤時間も長く、ストレスフルだったから。 でもいまは、フリ

自分の感情に余計なものをくっつけない。

昨日の夜、「明日にはスッキリしてる」と呟いて眠った。 起きたら、少し浮上した気がする。 昨日まで本当に何もやりたくなくて、からだも重くて、「この状態が一生続いたらどうしよう…」とまで思っていた。 夕方家族が帰宅して、バタバタと晩御飯を作りながらふと浮かんだことがある。それは、 自分の感情に余計なものをつけない という言葉。 わたしの場合は、 「何もしたくない。だから私はダメなんだ」 「やる気がでない、そんな私はダメなんだ」 こういう感じで、「自分の感情や状況」

自分を「すり減らさない」生き方を。

先日ペンネームを本名に戻した。 それがきっかけになったのか、今のテーマらしきものがようやく見えてきた。それが、「自分をすり減らさない生き方を」だ。 わたしは長年、自分をすり減らす生き方をしてきた。じゃあ、「すり減らす生き方」って一体どんな生き方? <自分をすり減らす(ボロボロにする)方法5選> 衣食住を大切にしない。 疲れたのに休まない。 周りからの評価=自分の価値だと考える。 自分より他人を優先する。 自分のコップがからっぽなのに、相手に分け与えようとする。 長年自

朝の通勤電車で読みたい詩集とエッセイを紹介します。

おはようございます。 新卒の会社へ毎日死にそうな気持で通勤していたとき、ぎゅうぎゅうの満員電車の中でお守りのように開いていた本たちがあります。 銀色夏生さん「詩集 すみわたる夜空のような」 よしもとばななさん「人生の旅をゆく」「バナタイム」 どの本もページ数も多くなく、軽くて、人だらけの電車の中でもそっと開きやすい。そして、何度も何度も読みたくなる。不思議な魅力がありました。 そこには、社会に全く馴染めず苦しく感じている自分を否定する言葉はなく、かといって熱い言葉で鼓舞

今日は表情をオフにする日。

近所のスタバからおはようございます。 いつも同じ席で頭を抱えながらガシガシ書いているわたしは、すっかり店員さんたちに覚えられちょっとした会話が癒しになっている(いつもカフェミストミルク多め、無脂肪へ変更)。 さて、タイトルの件。最近自分が「どっと疲れる前」にしている「あること」に気づいた。今日はそのことについて。 ーー この国はおそらく、にこにこと笑顔でいることが良しとされている。家庭でも、職場でも、接客業でも。諸外国では日本と違い、店員さんも愛想がなかったり、ぶすっと

「自分への愛情が増した」はじめての音声配信。

昨日、初めて音声配信をしました。 つたないながらも形になり、ひとりでテンションダダ上がり!夫と母にnoteのURLを送り付け、「聴いて聴いて~!!」とお願いしました。はははは。 思い切って始めたことで、自分に対する愛情が増した気がします。 ーー やりたいことを、やらせてあげる。ラジオはずっとやってみたいことでした。昔からしゃべることが大好きで、小さい頃から母が、「ありさの結婚相手は、ありさの話をとにかくきいてくれる人じゃないとあかんね」と言っていたほど。 でも、ラジオ

女(34歳子持ち)ようやく「お金」への呪いを投げ捨てる。

煮詰まったらカバンにタブレットとスマホを詰め込んで、近所のスタバへ出かける。飲み物を頼んで、Wi-Fiを接続して、タブレットと向き合うと「…よし」スイッチが入る。 ーー 「お茶なんか家でも飲めるのに。あんたはほんまに無駄遣いや」 昔から母によく言われて、いつの間にか外でお茶をすること=ダメなこと、になっていた。金銭的に苦しかった実家を、あの手この手で苦労して立て直したのは嫁である母で、昔はわたしのお金の使い方ひとつひとつにダメ出しばかりしていた。 母としては「金銭的に

色々あって…の「色々」の部分が知りたいの。

「色々」って便利な言葉だ。 「どうしたん?なんかしんどそうやけど…」 「あ~ちょっと色々あってな」 こう答えれば、だいたいの人は「色々」の部分には触れてこないし、 「色々なことがあったけど今は幸せです!!」 と書けば、あんなことやこんなことには触れずに結果だけをどどん!!と見せることができる。 でもわたしは思うのだ。 その、「色々あって」の色々な部分を教えてくれよ…!!と。 ーー 昨日は、夫にお小遣いをちょうだいとお願いした話を書いた。 こういう記事って、別

あてもなく、ぼんやりした時間を自分にあげよう。

広い野原をひとりで歩いている。 まわりには気持ちのいい空気と、どこまでも広がる景色。 なのにいつの間にか、焦って走り出してしまった。 まわりを見る余裕もなく。 ふと、足をとめてみよう。 座って、空をぼんやり見上げよう。 そうだ、なにも焦ることなんてなかった。 深呼吸して、しばらくゆっくり過ごそう。 あてもなくぼんやりした時間を、自分にあげよう。 * 昨夜、「そろそろ寝るか…」と食卓に飾ってあるお花を眺めていたら浮かんできた言葉たち。 正直、こういうポエム調の

隙あらば寝たかった2018年が終わります

28日に書いたnoteで今年は最終と思っていたのですが、息子が寝たのでごそごそパソコンを取り出しました。大晦日、息子が起きたら年越しそばや~。(息子はうどん)。 昨日の深夜、今年使っていたノートや手帳を見返していました。 自分がどんなことを感じていたのか、もちろんここにはそれがたんまり残っているわけですが、やはり自分しか読まない場所には更に赤裸々なものが残っているもので。 わたしの2018年は、 ・新しいこと(保育園など) ・体調不良(ほんとしょっちゅう倒れてた) ・

何も目標を掲げない2019年のはじまり。

2019年は何も目標を持たないことにした。 歩く 走る 歌う そして書く しなやかに、ゆるゆると。 優しく。 人にも自分にも、甘く。 これまで新年は、「また1年かけて何か結果を残さないといけない。とうとう始まってしまった…」と苦しいものだった。でも今年は、そういうプレッシャーから開放された気がする。 * 元旦に1年のテーマ(あり方)だけ浮かんだので書きとめた。 おそらく多くのひとは、もっと具体的な目標を掲げて1年をスタートすると思う。わたしも長年そうしてきた。