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“Day After Day / Bad Finger”

[RADIO DAYZ] 1971 あの頃ラジオから流れていた懐かしい名曲を紹介します。

バッド・フィンガーは1961年にイングランドのリバプールで結成されたロックバンド。当初はThe Iveysというバンド名で活動していましたが、ポール・マッカートニーの推薦により1969年にアップル・レコードと契約するにあたり、バンド名をバッド・フィンガーと改名します。

デビューアルバム『Magic Christian Music』が1969年にリリースされます。代表曲となる「Come and Get It」は、ポール・マッカートニーの作で、映画「マジック・クリスチャン」のために書かれました。

1970年にセカンド・アルバム『ノー・ダイス』をリリース。その中から「嵐の恋」がシングル・カットされてBillboard Hot 100の8位になります。後の1972年にはハリー・ニルソンに、1994年にはマライア・キャリーによって大ヒットする「ウィズアウト・ユー」は、このアルバムに収録されています。

バンドの人気が上昇するにつれ、アップル関係の多くのセッションに参加するようになります。ジョージ・ハリスンの『オール・シングス・マスト・パス』、リンゴ・スターのシングル「明日への願い」ではバック・ボーカルとして参加。またメンバーの中には、ジョン・レノンのアルバム『イマジン』でプレイしています。そしてメンバー全員が1971年8月にバックアップ・ミュージシャンとしてジョージ・ハリスンの「バングラデシュのコンサート」に参加します。

そのような中で、バンドは1971年1月よりジェフ・エメリックのプロデュースによりレコーディングを開始し、同年5月にはジョージ・ハリスンもプロジェクトに参加しますが、バングラデシュ・プロジェクトで多忙になり途中で離脱。更に最終的にエメリックも外されて、トッド・ラングレンがプロデュースを引き継ぎ、苦難の末に、アルバム『ストレート・アップ』は同年12月にリリースされます。

このアルバムの制作過程についてのインビューがありました。詳細はこちらをご覧ください。

アルバムとしては全英アルバムチャート入りを果たせませんでしたが、シングル「デイ・アフター・デイ」は全英シングルチャートで10位になり、3作目のトップ10ヒットとなりました。アメリカではアルバムがBillboard 200で31位を記録し、シングル「デイ・アフター・デイ」はBillboard Hot 100で4位になります。これだけヒットすれば、極東の日本のラジオ局でもパワープレイされる訳ですね。

ラジオから流れてきたこの曲は、当時の私の記憶に強く残っています。ジョージ・ハリスンがスライドギター、レオン・ラッセルがピアノで参加しています。このスライドはジョージだったんだ…。

I remember finding out about you
Every day, my mind is all around you
Looking out from my lonely room
Day after day
Bring it home, baby, make it soon
I give my love to you

日々あなたのことを思う愛の歌だということで (簡単すぎてすみません^^;;)。

その後のバンドは壮絶な経歴を辿ることになります。まずは契約しているアップルレコードがビートルズの解散により経営が悪化。新作のレコーディングとレーベル移籍問題で大手メジャーとトラブルとなります。確かにバンドとは関係無いと思いますが、アップルは経営をめぐり泥沼の訴訟合戦になっていた記憶があります。更にはバンドメンバーの脱退だけでなく自殺も相次ぎ、1975年にはとうとう活動休止に追いこまれます。

そして残されたメンバー同士も対立する中で、何度か再結成が試みられるものの、そんなゴタゴタの中でうまくいくはずもありません。しかし今でも、元メンバーのバンド名には「バッド・フィンガー」の文字が残っているそうです。

切なく歌う「Day After Day」の二人は、こんな未来を予想していたでしょうか。


ラジオに夢中になっていた頃の思い出をこちらで語っています。

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