coba hiroko takaoka
きっかけは3.11 東日本大震災 はじめての電気工事はアクシデントの連続... テンダー署"わが家電力"が私の参考書です。 太陽光パネル3枚の暮らしお伝えしていきます。ご質問などお気軽にお寄せ下さいね。
パーマカルチャーの創始者ビル・モリソンの言葉。 "私たちが実現させなければならない最大の変化は消費から生産である。例えそれがどれだけ小規模であれ自分の庭から始める" ビル・モリソンの思想がここでの暮らしの軸になっています。 ”暮らしの創造” それが私の平和運動です。 以前は大きな変革を望んでいましたが、小さな暮らしから始めることだと気付きました。 いつの日かその小さな平和が波及していくことを願いながら。 自然や動物の力を借りながらここで成り立つ暮らしを綴っていきます。 コメントや質問お寄せくださいね。
犬が吠えるので外に出ると、こっそりと薪を並べるご夫婦がいた。 「薪のお礼に露天風呂に入っていきませんか?」 「あー気持ちよかったー」と帰って行きました。 それは焚き火の季節でした。 自給的な暮らしの中で感じる豊かさや自由さを同志に向け綴っていきます。 何かのお役に立てればこの上なく幸せです、コメントや質問お寄せくださいね。
薪料理、薪風呂、薪暖 薪の暮らし6年 家族の日常を綴っていきます。
30代の頃からずっと考えていたことがあります。 日々の働きで、無償の働きで食べていくには、、、ということ。 今まで答えが見つからなかったから、とりあえず好きなことを仕事にして生活してきました。 先日、メルカリから学んだことがあります。 娘がタッチ全巻欲しいというので、 持ってる本をメルカリで売ってタッチ購入したらーと提案。 欲を出すとなかなか売れませんねー タッチ欲だけを残し金額を下げたら、即売! 当たり前と言えば当たり前な話なんですが、 子どもとメルカリを通して今まで見
朝の日課であるヤギの草とりをしていた時 ”いつも通りっていいなー”ってふと想った 土日は心が持ってかれるので週始めは元に戻すとこからのスタート だけど、今日はいつも通りの時間に作業していることに気づいて… きっと冷水シャワーが効いてるんだ 2年前、心の底から願った 神という存在がいるなら 発狂寸前のわたしを救ってくださいって! ほんと苦しくて抜け出したくてヨガの門を叩いた 今まで何でも人のせいにしていた自分に気づかされて 自分を変えたい、変わりたいってそれしかないって思っ
結構前から 電力が夕方まで保たなくなって 夕方からは携帯充電❌照明❌ 的な生活を送っていた。 樹木が大きくなり太陽光パネルに影がかかってるのかなーと思ってたけど、発電量の少ない冬が終わっても変わらないのでバッテリーを疑う。 案の定そうだったけど、 バッテリー×6個は重いし、 ケーブル全部外さないといけないし、7年前の記憶なんてないし… でも暑くなってきて、 扇風機がないと子どもらが ブーブー言いはじめたから 交換しました!先日!!! あー怖かった。 無知ほど怖いものはな
夏 アツくて傾斜がキツくて 循環といいう暮らしから逃げたくなる… 全て手放して逃げるのは簡単なんです! 結構得意です! でもまたこの暮らしを始めたいと思った時 また1から始められる自信はありません だからやっぱり簡単には逃げれないし この暮らしを守っていきたい 最近思うのは モンスターのように伸びたセイダカアワダチ草も 見方を変えれば、目をぼやけさせれば 美しい森に見えたりする 稲なのか草なのか分からない田んぼも 見方によっては生命力を感じられる 田んぼに見えたりする
夏の暑さもお盆まで〜 今朝やっと薪を焚べ ご飯炊いてコーヒーを淹れました! 薪火が身体の中でエネルギーとなり 力が湧いてきます!! とはいうものの… 今年の夏はくたばりましたー 朝早くから照りつける陽射しに 歩くだけで汗がでてきて その度に 水を浴び、服を変えて… 洗濯するのももったいなくて 裸でいられるなら裸でいたいというか裸でした〜 避暑地が必要だと感じた今夏 できればこの土地に避暑できる建物を造りたい… アースバッグは涼しいですか? 去年までは湿度を取るために 夏
土地を探している時は大して面積のことは考えなかった というかどう考えていいかわからなかったから、 とりあえず住んでみてから!って今があるけど、、、 1500坪は広い!!! 平坦な土地ならそうでもないのかもしれないけど 段々畑の土地はめちゃめちゃ広く思える! 毎日草刈りしてて、 自分の土地とはいえ不耕作地を肩代わりしている気分になってくる それくらい手が行き届いていない 動物たちはのびのびと〜そして最期は土に葬むることができ 学校できるくらいの土地だから、子どもらの家1,2軒
生きることだけ考えてきましたが、 もし死んだら… みかんの木を植えてもらおうかなー 直ぐヤギに食べられてしまうかもしれないけど それも土の栄養になればいいかなー 突然にすいません みなさんは考えることありますか? ここの土地に移り7年、 街との違いは沢山ありますが 良く感じるのは、 80代の方たちがとても元気だと言うこと 朝早くから陽が暮れるまで軽トラを足がわりに大地と向き合い働いている。 そんな姿を見ているとこちらまで力が湧いてきます。 田んぼの季節は、 朝陽を浴びながら
"もう長靴脱いでよかばい" ヤギとニワトリを戻した後に息子がかけてくれた言葉 陽も暮れて、 外作業を終え長靴からサンダルに履き替える時が 1日の中で1番幸せだと私が言ったからだ。 その日は、 息子が久しぶりに薪しごとを手伝ってくれた。 前は一緒にやると余計に時間がかかってたけど、 いつもの半分の時間で終わった。 完全に助けられた。 浮いた時間をいつもなら作業に回してたけど今日は遊ぶことに。 お菓子買いに行って2人で映画を観た。 先日、 娘の目の恩人であるメガネ屋さん
昨日から決めていた。 明日は労わる日、 完成した鶏小屋のことを文にしようって。 去年の春、 青い卵アローカナの雛が孵り、 オス3羽メス2羽と判明し先代と合わせ合計8羽となった。 オスはトサカや羽根も立派で、日の出前からお互い競い合うように鳴き、メスを追っかけ回す成鶏へと成長した。 段々と個体差も出てきて、体の小さなメスに負担がかかるようになってきたので小屋を別にすることにした。 近所迷惑もあり大分離れた小さな小屋へ。 狭い小屋で暮らす体の大きなオスが忍びなく、 餌やりに
彷徨い彷徨う 思考に振り回され思考を止められず、 苦しくて気が狂いそうで… どうしたら抜け出せるのか、 本やヨガに支えられる日々をここ数年過ごしていました。(今は復活してます!) つい先日、一月十一日 結婚20周年を家族でお祝いしました。 夫から何が食べたいと聞かれたので "寿司!"と答え、 それならば私はカレーでいこう! ………あれ? 確か20年前の結婚式の日、 夫が寿司、私がカレーを其々が其々に作り 友人達におもてなしをした… 身の程知らずの新郎新婦は勿論てんてこ舞いで
カバープランツ "ヒメイワダレ草" 暑くなってきた もう一段増やすために朝から竹を切る ゼーハーゼーハーと息も切れてくる 苦しくも光を求めひたすら進む 果樹を植えたいから竹を切る 竹を切るの大変だから果樹を植える ヒメイワダレ草を広げたいから他の草を刈る。 紫蘇が好きだからエゴマを刈る。 この土地で循環する暮らしを創造する ゴールを夢見ながら 楽園
8段ある段々に暮らすことは、 平野よりも自然の恵みを受け取れると感じています。 日差しは届き、木々が重なることなく育ち、木陰から涼風が得られ、水はけもよく作物も育ちやすいという環境が傾斜地にはあります。 でも私たちの家は傾斜という地形に沿って家も建っています。 これはなかなかないし、ないからこそ自分らで進むしかなく大きな課題、挑戦でもあります。 この家の屋根は斜めですが、基礎部分は段々の地形に合わせ4段に区間されていて、建物内は平屋建てが4つある感じです。 外から戻っても
1977年、私は人口200万人都市である名古屋市で生まれました。 父はいわゆる集団就職の時代に長崎県大村から名古屋に上京した人です。 私は3人兄弟の末っ子で1番上の姉とは8歳離れていて、父が上京した頃の記憶はありませんが、仕送りを毎月10万円(ほぼ全給料)送っていたと聞いたことがあります。 そういう時代だったんですねー 中学生まで住んでた市営住宅は今思い出すと結構すごいとこで、 真ん中に広場と管理棟があって、それを囲むように13階建ての建物が10棟!そびえ立っていて、私達家
子どもと絵本を読んでいると 少数民族の暮らしを垣間見ることができますね 私たちも少しのもので生きていけるのでは… 2011年3月11日ニュースから流れてくる津波の映像 原子力発電所の爆発、放射線区域、汚染物質、 除染作業員… 震災後、沢山の人が何かを感じ何かを変えてきたと思います。 私も小さな力ではあるけれど自分にできること… それがオフグリッドへの道でした。