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令和2年7月豪雨から1年。あの時、本当は言ってほしかったこと。

熊本地震をきっかけに、複数回の災害ボランティアだけ関わりが、いつのまにか「熊本」という場所が私自身のサードプレイスのような感覚になっていき、ご縁が重なって一般社団法人BRIDGE KUMAMOTOの理事になった田中美咲です。

自然災害・防災・気候変動を学び、活動しはじめてあっという間に10年が経ちました。国内外色々な災害現場に伺い、目にし、耳にしてきたけれど、それでもこんなにも「わからない」という言葉を使った災害はなく、「奇跡だ」と感じた回数も、想像の域を超えていました。


世界初かもしれない、パンデミックと災害のダブルパンチ

2016年に発災した熊本地震の傷跡がまだ癒えぬ中、2020年に未曾有の豪雨被害にあった熊本。そしてあのときは、ワクチンも対処法もわからない混淆としていた新型コロナウイルス感染症が世界中で蔓延していた頃でもあります。

当時は、自治体からも感染症対策のため、県外からのボランティアは入らないようにと指示が出され、被災県内の有志でなんとかしなければならない…ということだけは、わかっていました。これまで日本での災害支援・復旧復興支援は、被災県外や海外からボランティアが日々数千人・数万人被災地に入り支援をすることが多く、それによって人手を賄っていたものの、今回はその手がとれなくなりました。

世界的にも参考にできる事例のない、「2度の自然災害」と「パンデミック」という災害のダブルパンチ。災害ボランティアのプロフェッショナルたちも、お互い相談しながら支援活動を進めていっていたのを見ていました。どの人にとっても、未知の領域で、試行錯誤しながら毎日を過ごしていたのが2020年の夏ごろです。

そんな、2020年7月4日、令和2年7月豪雨からもうすぐ1年。
あれから1年の月日を経た被災された地域に再び伺わせてもらいました。

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(この記事を書かせていただいた田中美咲です)

静かな街と、美しい川、そして彩る草木

まず伺ったのは、熊本県・人吉市。

熊本唯一の国宝である青井阿蘇神社があり、球磨川沿いの温泉と川下りで有名なエリア。2020年7月3日明け方から降り始めた雨は、7月4日午前3時過ぎ頃より急激に降水量が増加し、避難指示が発令されたものの、球磨川やその支流で氾濫が生じ、氾濫流による建物・橋梁の破壊・流失、そして浸水による被害が広がりました

1年前に人吉市に来た時は、道を歩けば左右に連なっていた、泥にまみれた家具や衣服の山々。

それらはもうほとんどがなくなり、今は、ドアや窓ガラスがなくなった家や、家具が取り出されて一つの空間になった家、天井や壁が剥ぎ撮られ、泥だしがされてきれいになった家がたくさんありました。そして水害の傷跡がみえる、手付かずの家や木々も。

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(泥が掻き出され、洗浄・消毒をしている家)


そんなことお構いなしに美しく咲く花や葉も。

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豪雨のことよりも、夜の飲み会の方が気になってた

人吉市に伺ったとき、丁寧で細やかな支援で評判の一般社団法人Make Happyというボランティアの方々がお家の洗浄をされていて、その家に住われていた方とも偶然お会いできたので、当時のお話を伺いました。

あの時は何事か分からなくて、雨のことよりも夜の飲み会開催するか気になってた

その方曰く、雨はひどかったものの、ここまで大変なことになるとは想像もしていなかったそう。むしろ、雨がどうなるかということよりも、その日友人たちと約束をしていた晩の飲み会が開催するかどうかの方が気になったとのことで、その場にいたみんなで「リアルだなー(笑)」と笑い混じりに話しました。

その場にいた全員が、わかっていました。

こうして笑って話せるようになるまで、本当に想像を絶するようなことがあったこと。それでもなお、立ち上がったその姿にその場の全員が、心から尊敬していること。自分たち一人一人だけではここまでこられなかったこと。

そんな空気で溢れていました。

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そして、いつ頃その被害の大きさに気づいたのか伺ったところ、その方は、徐々に徐々に雨の降り方が異常だと感じ、朝4時ごろまで寝ずに起きたまま、念のため荷物を車に詰めて逃げる準備はしていたそう。

そして、朝6時ごろに自宅の周辺をみてまわった時に「避難しろ!」と言われ、あっけらかんとしながらも、ざっと自宅の床上浸水するくらいだろうと想定して、大切なものを2階に持っていったそうなのですが、2階から降りたときにはもう庭は川だったそうです。

これまで私たちが経験してきた避難訓練や、ニュース・テレビドラマや語り部によって語られる過去の災害や被災体験は、どこか災害発生時や直後の「混乱」を言い伝えられることが多く、一番刺激の強い部分だけを切り取って伝えられがちですが(もちろん一番記憶に残る部分ではあるとおもうけれど)、あくまで日常生活の延長線に自然はあり、自然災害は潜んでいるのだと、改めて思いました。

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(川氾濫によって、木が川の流れに合わせて横に倒れている)

ハザードマップは有効だった。でも信じず、判断してよかった。

各自治体が、災害の種別ごとに被害想定を地図に落とし込んだ「ハザードマップ」。これまでの災害でもその有効性は報じられてきたものの、今回の熊本豪雨においても、自治体から事前に出されていた浸水被害・洪水ハザードマップは、比較的正確に予測されていました

ハザードマップを見て、避難していれば。
自治体からの警告を信じて暮らす場所を選んでいたら。
事前にちゃんと見ておけば。

東日本大震災の時も、広島の土砂災害の時も、どの災害でも何度も何度も同じようなことを耳にしました。「あのとき、ああしておけばよかった」と。

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(赤く染まったところは浸水が想定地域。実際も同じ場所が浸水した)

もちろん、自治体が出すハザードマップはあくまで「予測」ではあるけれど、見ておくに越したことはないですし、緊急時に「迷う時間」を少しでも減らすことで、生きる選択肢を増やすことができるのだと思います。そしてそんなこと言われても、ここで生まれ育った人にとって、暮らす場所を変えることや生きていく街を変えることなんてできないし、それは大きなお世話だと言われることの方が多いのだけど…。

自治体が指定していた避難場所は、やばいだろうとおもってもっと高いところに逃げた。あのまま逃げていたらだめだったとおもう

人吉市で出会った方は、実際に避難する際に、ハザードマップで指定された「避難場所は高さが足りない」と即座に自分で判断し、より高さのある場所に避難したそうです。そしてそのまま信じて避難していたら浸水被害を受けていたと後から知ったとのこと。

この一件だけでも、「ハザードマップは有効」「自分で判断して避難した」という、同じ情報・状況でありながら両極端におもえるその判断を、あの1日一瞬で経験したこの方が、いまこうして目の前で私たちと話していることが奇跡そのものであると感じざるをえませんでした

そして自然とともに生きる私たちにとって、先人の知恵や培った情報から学び、自分で判断して行動していく。それは誰のせいにもできない、もっとも荷が重くて、もっとも大切なことの繰り返しなのだとおもいました。

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(浸水した泥がそのまま固まり乾燥している)

近くにいるほど、わからなくなる

被災したエリアの人吉市にいた本人でさえ、被害のことよりも飲み会のことが気になったように、「近くにいるほどわからなくなる」ということがよくあります。

当時わたしは、東京にいて、テレビのニュースを見て熊本が大変なことになっているぞ!と、不安になり熊本にいるBRIDGE KUMAMOTOの仲間たちに急遽連絡を取りました。それでも局所的な被害であったこともあってか、あまりピンときていないようで、徐々に被害の大きさが明らかになり始めたときに「これはほんとうにやばいぞ」とわかってきたと聞いています。

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私が目の前でみているニュースや、Twitterで流れてくる画像は、爆発でも起きたんじゃないかと思うほどの被害なのに、facebookメッセージでやりとりする熊本にいる仲間からはいつもと同じように返信がある。その、どこか時空の歪み…のような、その状況が理解しきれず、改めて聞くと熊本の中でも全く被災していないところと大きく被災したところと天気も状況も全く異なっていたそう。だからこそ、「大丈夫だろう」と思っていたと聞きました。

近くにいるほど、情報はリアルで、全貌がわからなくなる。
遠くにいるほど、情報が散漫で、全貌しかわからない。

これは自然災害だけでなく、いろいろなことで言えるのかもしれません。そして本当に近い人ほど声をあげる余裕がなかったり、渦中に外に向けて発信することができないでいることもしばしば。

私たちは、今自分がどこにいて、どれだけその情報と距離があるのかを知り、思考停止せずに情報を見つけていくことが重要なのかもしれません。


ゆっくり、焦らんで

熊本豪雨から1年が経ち、熊本豪雨の被災された場所を周らせていただく中で一番心に残ったのは、出会う人みんなが「ゆっくり、焦らず、自分のペースでやる」ということを大切にしていたこと。

復旧・復興はできる限り早く進むにこしたことはない。しかし、焦って判断をしてしまったり、頑張りすぎて苦しくなってしまう人がたくさんいることを知っているからこそ、焦らないで長く長く関わっていくことを大切にされていました。

これは被災された方も、ボランティアにきていた方も、
そしてBRIDGE KUMAMOTOのメンバーもそう。

発災直後と比べるとボランティアも減り、高齢化・過疎化している地域では後から生まれる課題を対処する人がいなくなっていく。緊急対応もありがたいけれど、長く助けてくれる人の存在もとても大切。

ゆっくりでいい、最後まで面倒みるから焦らんで。
そう言って欲しかった。

この言葉がずっと耳から離れません。




令和2年7月豪雨で被災されたみなさまには、お悔やみを申し上げるとともに、この豪雨で亡くなられた方に、ご冥福をお祈り申し上げます。

そして今もなお活動を続ける災害ボランティアの皆様に心からの敬意と、感謝の意を表します。

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Photo:Dai Hashimoto
(https://www.instagram.com/7.8d_/)
Writing:田中美咲
(BRIDGE KUMAMOTO理事 / morning after cutting my hair,Inc 代表)

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