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つぶやきなんて何が楽しいねん

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

つぶやきって楽しいですよね。

いきなり表題を全否定するようですが、
私もよく note でつぶやきを投稿してます。

記事よりも手軽にスパッと出せるので、
会社の昼休みなんかや
プライベートのふとしたときに
つぶやいてますね。

ただ これはごく最近、
ここ2か月くらいになったからのこと。

それまでは X(旧 Twitter)なんか見てても
「つぶやきなんて何が楽しいねん」
と冷たい目で見ていました。

今回はそんな話。


発信するということ

今は個人が世の中へ発信することは
ごく当たり前の時代になってますね。
それこそ21世紀生まれのナウなヤングは
息を吐くように発信しているのかもしれない。

ところが昭和生まれの中年(?)
(私は健診でバリウムを飲んだら
 中年の仲間入りだと思っている)
の私にとっては、世の中に発信するなんて
自分とは結びつかないことだった。

しかも流行り始めた当時は
問題行動の投稿が炎上して
「バカッター」なんて
揶揄されることもあったから、
それも相まって発信するということ
そのものが理解できなかった。
(普通のつぶやきはニュースにもならないしね)

もともと私は
「雉も鳴かずば撃たれまい」
「雄弁は銀、沈黙は金」
みたいな価値観で生きてきたから、
仕事ならともかくプライベートで
わざわざ自分から発信する
理由が分からなかった。

実際にやってみた

その価値観が大きく変わる転機となったのが
2023年の年末。

私はある理由から、note をはじめることにした。
それも読むためではなく、
自分が投稿するために、である。

最初は SNS 自体に
馴染みがなかったこともあり
数日に1回レベルの投稿だったが、
徐々に慣れてくると
連日投稿するようになった。

これは note の仕組みに
乗せられたこともある。
毎日投稿続けていると
「今日で〇日連続投稿です」
なんて表示が出るし、
バッジなんかもくれる。

きょうび馬だって
目の前に人参を吊り下げても
走り出すことはなかろうに、私は
「せっかく続いてるし、
 途切れさせるのももったいないよなぁ…」
なんて考えて、
ちょっとダルくても投稿しようと
頑張りたくなってしまう。

そんな折に本業の仕事が山場を迎えて、
長期出張と残業で心身ともにクタクタ…
とてもホテルに戻って、
1本書こうとは思えない…

そこで初めて「つぶやき」なるものを
やってみようと考えたのだ。

べ、別につぶやきが楽しいわけじゃ…

なるほど、記事を書くのに比べると
非常に手軽で便利ではないか!

そもそもがクタクタで
長文を書きたくないときなのだ、
140字の制限なんて
何のデメリットにもなりはしない。

まだまだスマホで記事の見出し画像も
満足に作れない私にとっては、
見出し画像がなければ
PC を開く必要もない。

私は単純だから
(辛うじて単細胞生物ではない)、
一度 味を占めてしまえば あとは早い。
今では、立派に(?)
つぶやき機能を使いこなしている。

X(旧 Twitter)ではダメなのか

ただ、はたと考えた。

「つぶやき」に関していえば、
X でもいいんだよな

…と。

もしかしたら、今の私の感覚で
note を含めた SNS を一切やってない状態に
リセットしたら、X を選択したかもしれない。
(つぶやきだけでも、発信はできるわけだし)

でも、私の発信は note から始まった。
それは
「(文字数の制限なく)文章を書いて伝えたい」
という思いがあったから、
X や Instagram は選択しなかった。

また、note を知ったきっかけが
「がっちりマンデー」だったから
「やりようによっては収益化もできる」
という点も魅力だった。
(今はできてないが)

結局のところ、私は
note という発信の場がスタートだった。
そして、note にも「つぶやき」機能がある。

別に世界中に何万人という
フォロワーが欲しいわけじゃないから
(そりゃ多ければ嬉しいのだけれども)
note とは別に発信の場を設ける理由が
単純にないのだ。

note は十分に楽しいし、
今は他の SNS に注力する余裕もないし。
(未来永劫、他の SNS をしないとは言わない)

やってみて、はじめて分かる

世界中でたくさんの人が
楽しんでやっている SNS

私がたどり着いた結論も、みんなと同じ
「発信って楽しい」だ。
世界にとっては、何の新鮮味もないだろう。

ただ、個人レベルでは
「みんなが『楽しい』と
 言っているのは知っている」

「自分でやってみて楽しいと分かる」
ことは大きく異なる。

やはり 何事も自分でやってみないと、
本当の意味での理解はできない。

「つぶやき」「発信」というものを通して、
そんなことをしみじみと感じたのであった。

お読みいただき、ありがとうございました。

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