見出し画像

新卒採用編その7 自己PR

自主性、コミュニケーションスキル、調整力、レジリエンス、論理性…。
自己PRは新卒のESや面接では最もありふれた設問でありながら、実に漠然としています。世の就活生たちがその回答に四苦八苦し、挙句就活アドバイザーモドキの軽薄で短絡的なテクニックに貶められる気持ちも大いに理解できます。

企業の目線から見る自己PRはその人の実力、能力の評価のための設問で、それ以上でも以下でもありません。
ただ、表面的なステータスに囚われず、その人自身の実力を評価するにはどうしたらいいでしょうか。そして求職者はどうしたら効果的に自己PRを構成できるのでしょうか。
中途採用であれば事業に直接関連する具体的なアウトプット=実績を評価することになります。もし具体的な実績があれば端的にそれを書けば良いだけの話ですが、就業経験がない学生はそのかわりにマインド、つまり自己分析結果の表現と読み替えて構成せざるを得ないでしょう。

自己分析となるとやはりどこまで行っても志向の問題だと考えます。
少なくとも自由な選択肢に溢れた学生時代で自己PRとできるような長所は、そういうことが好きだと思っていることの裏返しなのです。逆に好きでもないことをアピールされても説得力に欠けるというか、好きになってから話して欲しいものだと思います。
どこまで行っても結局、得意なことは好きなことなのです。

突然話は逸れますが、私は、いわゆる体育会系の方々が少し苦手です。
「体育会系」なんて主語が大き過ぎますし、多分に偏見を含みます。これは主張ではありません。もちろん普段そのことを口にすることはありませんが、どうしてもある種の方々に苦手意識を持ってしまっています。
理由を挙げるなら、彼らが往々にして、先輩後輩の上下関係という権威主義的で全体主義的なイデオロギーに依存し、また不経済な根性論を美談として中断を極端に嫌って合理性を蔑ろにする傾向が強く、さらに多くの場合それを自覚しながらもアイデンティティとして疑問を持つこともなく悉く客観性を無視しているからです。
「先輩の言うことには黙って従う、オレがそうだったんだからオマエもそうしろ。どんなに理不尽でも最後まで根性で諦めない。それがオレだ!文句あるか!」あるに決まってるだろ!仕事の邪魔だよ!というわけです。
完全に根拠のない個人の主観ですし、もちろんそうでない方も大勢いらっしゃると思いますし、どちらかというと、私のような「体育会系観」こそ過去の遺物で偏見に満ちている自覚があります。
さらに、そうした価値観を仕事の邪魔だと思っているのは現在のVUCAと言われるような事業環境がサーバント型のリーダーシップを要求していると解釈している私のパーソナリティが故です。あるいは時代がもっと変わって(有り得ないと思いますが)1980年代までの経済成長期に戻るようなことがあれば、一点賭けの組織ポートフォリオが有効になり、権威主義は逆に必要になるかもしれません。
尤も、企業に必要なのは従業員のバラエティですから、仮に私の偏見が的をいていたとしても全く不要な価値観と断ずることもできません。
なので、苦手意識が選考の際に影響しないように意識していました。
スポーツの実績を自己PRとする方はすくなくありません。スポーツをしていることと「体育会系」であることは私の中では符号しませんし、有効なパーソナリティと考えられますから、その時点では特に偏見なく、予め私の中のフィルターを調節することもありません。
ただ、極端な話、単に
「野球がんばりました!ナントカ大会にでました!」
と言われても、野球チームの面接ではないので、
「それで?どうせゴリゴリの体育会系なんでしょ?うちはいらないよ」
と言いたくなる私の心理は無理からぬことと知っていただきたい。
(本当に「それがどうした?」と言ったら圧迫面接。実際は「その経験を弊社でどう活かしたいと考えますか?」と質問します。誤解なきよう。)

これまた当たり前ですが、いくら実績があってもそれが直接事業に関係がない限り、その関連性は自分で見つけるしかありません。自分で見つけてアピールしなければ時に勝手にこちら側で解釈します。するとミスマッチの温床になりかねません。なので事実を提示すると同時に、解釈を相手のパーソナリティに委ねず、きちんと自分で説明してください。

チームスポーツにおけるプレイヤーの俯瞰性や調整力を、会社組織で必要な能力になぞらえて強調することは妥当な視点だと思います。おそらく多くの面接官から好感を持たれると思います。(私は協調性という言葉がとても権威主義的に感じられてあまり使いたくありませんのであえて調整力と言っています。)
一方コミュニケーションスキルというとどうでしょう、これは賛否あっていいと思いますが、会社組織では今やテキストコミュニケーションこそ重視されます。試合中や練習中にスマホでチャットできるようなスポーツでない限り、きちんと自分で説明しないと、文章読まずに空気読むタイプだな、と勝手な解釈をされて却って悪手になりかねません。

何が言いたいかというと、志向の問題とはいえ、結局企業の欲しいスキルだと解釈できなければ評価されないということです。なのでやはり、企業の事業内容に留意する必要があります。つまり相手に合わせてアピールを変えるということですね。

ただ、相手に媚びへつらう必要は全くありません。
媚びへつらったお化粧を入社後に持続できるなら構いませんが、無理をし続けている状態はいわゆるレジリエンスが低い状態です。ほんの少し環境が変わると対応できなくなる可能性が高く、企業としてはユーティリティに疑問を持たざるを得ません。入社後にしんどい思いをするのは本人のためにも会社のためにもならないのです。
そうならないためにお化粧はあくまで自分のためにしてください。自分のためのお化粧とはすなわち自分が好きなこと、正しいと思うことです。嘘やでっち上げではなく、自分が理想とする姿です。それなら無理せず続けられると思います。仮に自分のためのお化粧でどこにも雇われなかったら、前も書きましたが素直に就職留年することをおすすめします。

ここまできて、勘の良い方は、それじゃあ志望動機とおんなじじゃないか、と気付かれると思います。

今回も、志望動機の信頼できる一例を
「①あなたはこうです、②自分はこうです、③だからいいと思いました。」
というものだと仮定します。
自己PRは①と③には直接言及しないだけで、②を抜粋するというものと言い換えても差し支えありません。なんなら、志望動機では②を最小限に抑え、自己PRとの合わせ技で構成したっていいと思います。

だけどわざわざ二種類も設問があって、同じことを書いても幅の狭さが目立つだけでメリットはありません。いつかの回で企業がバラエティとユーティリティを求めていることに言及しましたが、ここで一点賭けはやはりハイリスクです。

つまり、自分が好きだ、譲れない、正しいと思うもののうち、2つ以上を2つの設問にまたがって表現すればいいということになります。
前回は私大文系であっても8つやそこらはネタがあるだろうと書きましたが、サークルや部活、アルバイト、趣味も含めれば両手で収まりきらないくらいのネタがあるはずです。
前回の記事の締めにも、ざっと思いついた書きたいネタが20くらいあると書きましたが、しがない会社員の私でさえ人事ネタだけで20いくんですから、パーソナリティを表すネタ探しなんか簡単です。普段から思ってることを箇条書きにでもしてみてください。
要は自分の書きたいことを書けば良いだけですし、2つ3つも書けばたいがいどれかは相手に共感してもらえるし、どれかは独特だと思われるかもしれません。もし一つ一つがありふれたものであったとしても、その組み合わせはあなただけのものです。10のパーソナリティがあったとして3つを書くとしたらそれだけで720通りの組み合わせがあるのですから。

それを就活アドバイザーモドキは、就活は競争だ!得点を稼げ!これこそが必勝法だ!だから喧嘩で闘争だ!などと、720通りのうちのたった2、3通りの型にみなさんを貶め、他と同じようなESに収束させ、その人固有の、企業が求めるパーソナリティを覆い隠してしまいます。
なにも私は個性こそ企業に必要で、他人と違えば何でもいいとは言っていません。就活に悩むくらいなら面白そうな講義に顔を出し、面白そうな本や映画を観て、旅行にいって友達と語らったり趣味に勤しんだりして、心の引き出しを増やした方がよほど建設的だと言いたいのです。
何度も言いますが企業は従業員にバラエティとユーティリティを求めています。どうかアドバイザーモドキの甘言に惑わされないでください。日本の労働市場を貶めているのは場当たり的なテクニックで社会や経済に視野狭窄を引き起こす彼らの言葉です。とまでは言いませんが、私は悩める若者を食い物にするような連中を快く思っていません。

もちろん採用する企業側にも問題があり、そういった場当たり的な技術を見抜けなくてはなりません。
ただ、毎年新卒採用を担当していると、なんとなくトレンドが見えてきます。バイアスにもなりかねないため意識はしないようにしていますが、採用担当は結構気付きます。

時に「私の強みは〇〇力(聞いたことないオリジナルワード)です。」というのが連続したことがあります。
時代によってのトレンドということでもないのかもしれませんが、何故かその時そう仰る方が続きました。自分なりの説明はされていましたが、悉く調整力や統率力、柔軟性といった一般的な表現に言い換えることができ、面接でも「そういう解釈でいいですか?」と本人に確認していました。そういう確認は大事ですが、しばしば解釈のすり合わせに終始し、そのもっと奥を聞く時間を削られたに過ぎず、なんかもう正直邪魔くさかったです。
ならはじめからそう言えよ、違うんならちゃんと説明しろよ、と。気を衒うこと自体が悪いのではなく、伝わりづらい表現をするわりに、その必然性が全くなかったということです。
そうした、どこかで覚えてきたであろう浅はかなレトリックは、自分の大切な主張を赤の他人の解釈に委ねるばかりか、論理性に乏しく自分を客観視できていないとさえ解釈されてしまうことでもあります。結局、私に残った印象は往々にしてコミュニケーションの非効率性とその人の自己分析不足でした。


そして例え言葉を尽くしたとしても、誤解が生じ、理解されないことはあると思います。もし多くの人に理解されないあなたの信念があるのならそれはあなたの言葉が足りないだけですが、一方でどうしても勘の鈍い面接官はいますし、それは仕方ないことです。
それでも、一つのパーソナリティだけで臨む一本勝負でなければそのリスクも却ってチャンスに変わります。
「あそこはよくわからなかったけど、あそこは共感できたな。価値観の違う人というより自分の持っていない部分を持っている人に思える。だったらむしろ是非ウチに欲しいな」といった具合です。3つも書けば全滅の憂き目にあうこともないでしょうから。

とにかくもしあなたが、就活に悩み自己PRに詰まっているなら、こんな便所の落書きなんか読まず、いろんなことを勉強していろんなものを見て、いろんなことを考えて好きなことや面白いことをひとつでも多く見つけてください。そしてそれが人に伝わるよう、しっかり自分なりに咀嚼し、言葉を尽くしてください。


前回間をあけると言いましたがごめんなさい嘘でした。今回も書き殴りの落書きなので、特に断りなくあとから加筆修正します。

次回は少し別のテーマにも触れてみたいと思います。
それではおやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?