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はじめまして✨バイリンガルの娘を育てたわたしのストーリー①

Asakoバイリンガル子育て です。今日からnoteをスタートしました。
現在19歳になる一人娘はバイリンガルとして育ち、現在アメリカアイビーリーグの大学で充実した大学生活を送っています。

18年間のバイリンガル子育てを終えて、我が家が手探りで行ってきたバイリンガル子育て~アメリカ難関大学入学までの道筋をシェアしてゆけたらと思います。

まずは簡単な私の自己紹介から💛 

東京都出身 のびのびとした東京多摩地区の田舎で育ち、音楽高校⇒音楽大学に進み、中学高校教員免許を取得しましたが大学時代に初めて行ったハワイ、アメリカ西海岸の自由な雰囲気に魅了され、海外への強い憧れから大手商社に就職。

当時はボディコンを着て六本木に繰り出したり、週2-3合コンをしたりと、バブル期をまさに経験した世代です。

海外のDisco。実際バブル期の日本のディスコはもっとギラギラ系

今でこそ、商社と言えば英語ができて当たり前ですが、活きた英語に触れることのないまま入社できた時代(新人女子社員はお嫁さん候補と言われていました)。

容赦なくデスクにかかってくる電話を取ると、ほぼ英語のみでちんぷんかんぷん。周りに誰もいないときは、その電話を思わずガチャーンと切ってしまうこと多々有り(上司に報告もせず)💦 英語コンプレックスは日に日に増す一方。

そんな環境の下、自分が情けなく居心地も悪くなり、中国チームに移動を申し出て見事英語環境から脱出💨今度はデスクにいる間じゅう中国語漬けの毎日となりました。
でも今度こそは!という思いで会社の中国語クラスで猛特訓、簡単な日常会話はこなせるまでになりました。

そんな中でも、英語コンプレックスが払拭できないことがやはりいつも気がかりに。気づけば28歳を過ぎていました。

30歳で結婚!というゴールを決めていた私は、”今しかない!” と思い立ち 突然6年間勤務した商社を退社、28歳の夏にアメリカボストンへ当時趣味で習っていたフラワーアレンジを学ぶため(本当は英語学習が目的)フラワースクールへ1年間の留学に出ました。

美しいボストンの街並み

ボストンでの留学生活についてはまたおいおい書いてゆきますが、この留学で私は将来子供が生まれたら絶対にバイリンガルとして育てる!と強く決心をすることになります。

まだ結婚相手もいないのに💦 子供が生まれるかもわからないのに、「絶対にやりとげたいこと」としてわが子をバイリンガルにすると心に誓ったのでした。⇒理由はまた別途書いてゆきます。

あっという間に約1年間の留学が終了し、日本に帰りたくなさすぎて大号泣しながら帰国。また絶対にアメリカに戻ると決めて留学資金を貯めるため再度商社に戻るも、夫と知り合いそのまま結婚することに👰💒。 

そして夫の転勤に伴い沖縄にて新婚生活をスタートさせることになりました。

沖縄は毎日がリゾート気分で本当に最高でした♬

沖縄で私は、英会話講師の仕事をスタート。自宅で社会人に英語を教えていました。休みの日には生徒さんを連れて米軍基地内のアメリカの行事に参加したり、基地内に住む友人宅で生徒さんと一緒にアメリカで大流行だったスクラップブッキングのクラスを受講したりと本場の生きた英語を取り入れた英会話クラスは大人気となりました。

最終的には生徒さんほぼ全員をアメリカへ短期ステイさせることにも成功。

充実の沖縄ライフを送っていましたが、在住5年目に主人に東京への帰任辞令が出てまたまた大号泣の末、大好きな沖縄を後にし東京へ戻ります。この時私、妊娠8か月。そして東京で無事娘を出産、親子三人での生活をスタートさせました。今から19年前のことです(なんて早い)。思い返すとアッと言う間ですね。 

この後、我が家はグアム島へ引っ越しをすることになるのですが、この続きはまた次回!

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