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秋風とあの子

 学生時代を思い出す。幾度となくこうして終電を逃して歩いたものだ。

 姉はよくタクシーで帰ってきていたらしいが、当時は考えられなかった。社会人になるとそんなに懐というものは潤うのだろうか、なんて考えていた。

 潤った。それはもう潤いに潤った。使おうと思えば割と使えるくらいの収入は得ている。

 使う時間が無いだけだ。

 今日だってタクシーで帰ろうと思ったら帰れた。むしろそんなに痛くはない。
 でも明日は久しぶりの休みだから、私は今こうして真夜中の目黒通りと歩いている。
 
 夏が終わり、秋が来た。先週までは夏の残り香が薫る日差しがあったのに、今週は凍えるように寒い風が吹きすさぶ。

 夏よ終われ、と呪詛を吐いていた私だったのに、今ではそんな気持ちもどこへやら。

 そもそも三十路前の身体に、この冷たい風は堪える。よくあんな短いスカートで日常を過ごしていたものだ。そして記憶が大学生時代から高校生時代へと移り変わっていく。

 田舎出身の私は、秋といえば金色に輝く田んぼと、急に高くなる空と、虫の音の大合唱と、美しく実るブドウ。

 あとは帰りのバス停で出会ったあの子。

「寒いね」なんて言いながら、「そうだね」としか返って来ない会話。胸を躍らせていたあの頃。

 あの子は元気にしているだろうか。風の噂では、両親が離婚して、お母さんについていく形であの街を出たらしいけれど。

 今の時代は羨ましい。中学生だって、下手すれば小学生だってインターネットの世界で繋がれるのだから。
 おそらく名前を打ち込めば出てくるのだろう。どうだろうか。そもそもそういうのをマメに更新するような子でもない気がした。

 そうだ。あの日、あの秋の夕暮れに、私は初めて缶コーヒーというものを飲んだのだ。

 今では会社でカフェイン中毒者と呼ばれるくらいにはブラックコーヒーを摂取している私だが、あの日に初めて飲んだ。

 あの子が、買っていたから。
 
 あの子は、朝早くから学校に来ていたようなので、登校中に会うことはなかった。

 ただ、よく帰りにバス停で一緒になった。

 同じ学校に通っていて、隣のクラスで、顔と名前が一致するだけの、あの子。

 頻繁に顔を合わせていても、どこか遠くを見ているような眼をしていて、その先に何が待ち受けていたのか、私には知る由も無かった。 

 会話も少なく、私から切り出しても、だいたい「そうだね」や「うん」としか返って来なかった。

 初めて話したのはいつだっただろうか。当時は勇気を振り絞ったはずなのに、季節をうまく思い出せない。多分初夏だろう。

 権之助坂を下り、大鳥神社の前の信号に捕まる。高校生の頃を思い出し、あの短いスカートを振り返ると、なおさら風が強まった気がした。

 神社。あの街には県内では少しばかり有名な神社があった。小高い山の麓にあって、その山を越えるとすぐに海が見える。そんな場所にある神社。

 夏祭りの印象は、家の近くの神社の方が強いけれど、あの神社を思い出すと、私は苦しくなる。

 あのエリアに住んでいて、日頃やることの無い田舎の高校生ならば、必ず一回はデート先で行くことになる神社。
 高校生の頃、あの神社でデートをしたことがある。

 私が気に入っていたのはバス停のあの子で、私を好いてくれていたのは別の子だった。

 明らかにデート慣れしていないその子は、私を神社に連れ出して、特に何事もなく、ただ神社内を歩き、近くのロープウェイに乗って、そして一日が終わった。

 あのロープウェイ内にほとばしる緊張感は、忘れない。

 向こうが明らかに緊張していたのだ。
 心地よさとは無縁の沈黙。それを認めたくないのか泳ぐ視線。
 普段、あの子の遠い目線の先を追っている私には苦痛すぎたあの時間。

 だからこそ苦しくなる。

 私の前に居たあのデートの子と、バス停であの子の横に居た私が被ってしまう。

 秋風に揺られながら、時折薫る踏みつけられた銀杏に顔をしかめて歩く。
 酔い覚ましの為に歩いていたはずなのに、何故か私の右手には缶チューハイが握られていた。
 高校生の頃の苦い思い出を頭から消し去りたくて、コンビニで買ってしまった。酔い覚ましという行為と、それに伴う飲酒行為。

 プラマイゼロだろう。

 大学生時代は、よくこうして意味もなく歩いていた。缶チューハイを片手に夜風にあたりながら。

 真面目な高校生だったから、アルコールと共に思い起こされるのは大学生の記憶。
 ゼミの講義終わりに、お酒を飲んで、よく今日みたいに歩いて帰った。終電を逃すまいとは考えていなかったのだと思う。
 というか、今でもその意識は弱い。
 そもそもこの季節に、歩いて帰るのが好きだったのだろう。あまり意識的ではないが。

 そうやって思い出してみると、案外大学生の頃の記憶は断片的だった。
 バス停のあの子のような強烈に記憶に植え付けられるような人は居なかった。

 そして秋風にのって私は高校生の頃に戻される。
 この取り留めのなさは、おそらくアルコールのせいだ。歩いている感覚から分かる。

 思考がまともに働いていない。アルコールにより火照る顔や身体と、寒さに引き締められる頭のアンバランスさをどこかで感じながら、無意識的に足を運んでいる。

 こうなってしまうと、もう何も考えられない。思い出されるのはバス停のあの子で、あの子の顔が浮かぶ。声が脳内に響く。懐かしく響く。

 こんな声をしていただろうか。そんなことすらどうでもいい。ほどよく泥酔に近い私にとっては、縋る相手はあの子しかいないのだ。揺らぐ記憶にふらつく足元。漏れる溜め息と遠のく距離。広がる景色に浮かぶあの子。

 その横にいる私。

 遠くを眺める眼。

 あの視線の先に映るのは、私でありたかった。そんなことばかりが頭を支配する。

 アルコールに踊らされ、その心地よさに酔う私は、もうあの街には似合わなくなってしまっているだろう。

 あの子の横に立っていた私はいなくなってしまった。

 仕事に追われ、大学生の頃の記憶も朧気で、懐は潤ってもこうして一人で歩いている。

 肌を突き刺す風が、肌から潤いを失わせる。突き刺されているような感覚がある。

 そんな状況でも浮かぶのはあの子の後ろ姿。

 あまりにも足元が覚束なくてその場で腰かける。

 丁度、目の前に目黒郵便局があった。

 住所も知らないあの子。バスに乗ってどこに帰るのかも知らない。今どこに居るのかも知らない。
 そういえばあの子が、誰かと一緒にいる姿を見たことがない。校内で見かけたときも一人。バス停でも私が横に立つまでも一人。

 ずっと一人。

 私と同じ。
 
 ふきすさぶ風に凍えそうになりつつ、それでも私は動けないでいる。右手の缶チューハイはもう既に空で、それでも秋の夜長に似つかわしい朝焼けの遅れ。

 気付いたら一時間も座りっぱなしでいた。
 眠っていたのだろう。身体が冷え切っている。
 寒さに頬をはたかれても、立ち上がれない。
 目の前の空が白むのをずっと眺めているつもりなのだろうか。私には分からない。

 明け白む空を拝むには、この街の空は狭すぎる。

 通りを走る車が増えてきた。そういえばさっきからトラックは通っていた気がする。
 酔っ払いの私には、音も景色もインプットされていなくて、だから今やっと気付いた。
 空は暗いままでも時間は確実に過ぎている。

 潤う懐に反比例するようにかさつく肌と傷む髪。

 そのことから目を背けるように、私は空を眺めることをやめて、立ち上がる。

 目の前にはバス停。「東98 等々力行き」と書いてある。
 明日、というか日付的には今日はせっかくの休みなのだ。
 懐が少し乾いても、反比例して私を潤わせてくれるだろう。
 あの子の横に立てる人間に戻る活動を、今日から始めよう。

 私は始発のバスを待つことを決意して、そう思った。

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