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銀杏と四人目

「…………えて、先に行け!」
 教室のドアの前に立つと、中から声が聞こえてきた。思わず立ち止まる。こんな朝早くから誰かいるなんてことは私の高校生活において、あり得ないことだった。
 その経験則をもって、この秋晴れに身を任せて、鼻歌交じりに、家で楽しむための銀杏を拾いながら登校したのに。
 誰かいるなんて話は聞いていない。
 それでも中の様子が気になって、音を立てないように、ドアをそろりと開ける。
 教室内の様子が少し伺えるくらいに留めて、隙間から覗く。
「いや……違うな……もっとこう、迫真の演技じゃないと……行け!俺の屍を超えて、先に行けぇ!うーん……俺の、俺の屍を超えて、さ、さきにいけっ……お、こっちの方が苦戦してる感じ出る……」
 なにやら一人でぶつぶつ言いながら練習している。

 あれは確か、袋井さん。背は小さくて前髪の長い彼女は、鶴崎さんと弓削さんと、三人組でいつもつるんでいる。
 普段どんな話をしているのかは知らないが、本当にいつも三人でいる。だから袋井さんが一人でいるのを見るのはどこか不思議な感覚だった。
 レア、と言った方が近いだろうか。
 どこかパパラッチにでもなったような気持ちで、しばらく白熱の演技を模索する袋井さんを見ていた。
 というか、単純に教室に入るのを憚られているような気分になっているだけなのだが。

「おい」
 なるほど~これがパパラッチの気持ちなんだ~なるほど~なるほど~などと考えていたら、突然後ろから声をかけられた。
「うひょ!」
 突然の声かけに驚いて、奇妙な声をあげてしまった。
「入るなら入れ。邪魔で仕方がねえ」
 鶴崎さんだった。
「やっほー!三崎さん早起きだね!」
 鶴崎さんの背中からぴょこんと弓削さんも姿を表した。ボブが似合っている。
「うい~、おはようさん」
 大柄の鶴崎さんは、驚いて奇声をあげた私を無視するように教室のドアを開けた。
「喰らえ!これが俺の!フルパっ……って、あぁ。お鶴ちゃんおはようだね。ユゲンゲンも一緒か。君たちは仲良しだね」
「誰がお鶴ちゃんだよ。初耳だそんなババアみたいなあだ名」
「フクちゃんおはよ!ユゲンゲンってドイツ語みたいでかっこいいね!」
 まずい、良くも悪くも悪目立ちする三人組と私ひとりなんて荷が重すぎる。
 そもそも一緒にいるところを見られたくない、
 ここで「やぁ、私はミッキーだよ!今までのは見させてもらった!」とか言いながら入室できるような人間だったら、そもそもパパラッチ紛いなことはしていない。

 誰がミッキーだよ。

 とにもかくにも、そう考えた私は、目の前で開かれたドアから距離をとるように後ずさりする。
「あれ?ミッキー入ってこないの?」
 ユゲンゲンこと弓削さんが、私に声をかけた。
 なぜ想像上の私ですら少し躊躇したそのあだ名を知っているんだ。
 距離の縮め方が速すぎる。縮地か?
「あぁ、そういえば居たな。なにしてんだよ。反復横跳び始める前みたいな姿勢になってんぞ」
「そうだぞ。それに、ずっと見ていたのだろう?」
 気付かれていた……?
「袋井、お前何してたの?」
「オーディションを夢見て課題役の練習をしている役者志望の真似事をしてた。今日は目覚めがよかったからね」
「行動原理崩壊してんのか」
「夢見る対象はオーディションなんだ……」
「小ボスにボロボロにされるも、主人公たちを前に進めようとするモブ兵士だ」
「せめて中ボス前であれよ。そもそも実力不足なだけじゃねえか」
「だからさっき『喰らえ!これが俺の!フルパっ』って言ってたんだね!その先どうなるの?」
 ユゲンゲンは興味津々なようだった。
 声真似は似ていない。
「丁度あそこで終わりだったんだよ。フルパワーを出す直前に瞬殺される役だからね」
「無常すぎる」
「現実だからね」
「今後一切お前の頭の中の話を現実と称するな。次やったら銀杏ぶち込むからな」
「ふ……どこにだい?」
「尺骨と橈骨の隙間にねじ込んでやるよ」
「え!ずるいよぉお鶴。じゃあ私は脛骨と腓骨の間にするね!」
 この人たちは袋井さんの四肢になんの恨みがあるんだろう。
 そういえば今日は生物のテストの日だったか。
「パパラッチの気分はどうだった?」
 突然袋井さんが、現実逃避気味に今日の時間割を思い浮かべていた私を見て言った。
 つられるように鶴崎さんと弓削さんもこちらを向く。

 三人組の圧を感じた。私だって友達がいないわけではないけれど、それでも仲良し三人組のテリトリーのような、境界線が張られているような、結界じみたそれを感じた。

「いや、パパラッチなんて……そんな」
「なんだ、パパラッチを夢見るカメラマン志望の真似をしているのかと思っていたのに。見られ始めてから、こう、演技もノッてきたしな」
「誰もかれもお前じゃねぇんだから」
「パパラッチ夢見てカメラマン志望する人なんているのかな」
「弓削、引っ張られるな」
「パパラッチってたま〇っちみたいで可愛いよね!」
「ふっ……我々が世話をしているように見えて、やつらから見られているということだな」
 嫌すぎる。
「でもお世話しないと死んじゃうから。そこはこっちが優位だよね」
「服着せてほしければ言うことを聞け、とか」
「パパ裸ッチ……ママ裸ッチもいるのかなぁ……」
「ママ裸ッチのチチ(乳)裸ッチ……」
「ここからの季節寒そう……フクちゃん、パパ裸ッチたちに服を着させてあげて!私可哀想で見ていられないよ!」

 どんどんと嫌な方向に話が進んでいく。
 隣で頭を抱えていた鶴崎さんが、こちらを見た。
「おい、三崎っつったか。お前のせいでこいつらがノッてきちまった。責任とれよ」
 鶴崎さんが私に向かって歩いてくる。
 後ずさろうにも、廊下の横幅は狭いのだ。すぐに反対側の壁に背中がぶつかった。
 私の腕を掴むと、強引に教室に引きずり込む。
 背中の後ろで、ドアがぴしゃりと音を立てて閉まるのが聞こえた。
 
 私たち以外だれもいない教室で、尋問が始まった。
 私は普段生徒が座る側に一人ポツンと座っている。
 三人組は左から鶴崎さん、袋井さん、弓削さんの順番で教卓側に座っている。

 圧迫面接かよ。

「で、パパラッチ三崎、お前はこんな朝早くから何していたんだ?」
「その……銀杏を……」
「なんと!刺客はこんなところにも!」
「よかったねパミッキー、これで私たちも……仲間だよ」
 銀杏拾っていただけで仲間認定されるとは思わなんだ。
 パパラッチ三崎ってお笑い芸人みたいな呼び名もやめてほしいし、略してパミッキーって呼ぶのもやめてほしい。
「じじくせぇやつだな」
「ババアだって銀杏くらい食べるよ、ねぇパッキー?」
「え?パッキー?あ、いや……私が食べる用で……」
「へぇ、銀杏って街に落ちてるやつでも食べられんのか」
「じゃあ今から家庭科室にでも行って食べようよ!」
「下処理必要なんで……」
「なんだよ、使えねぇな」
 理不尽だ……。
 そもそも私はなんで尋問されているのだろうか……お父さんが悪いということにしよう。去年私に銀杏を食べさせて、その美味しさの虜にさせたお父さんを恨もう。
 ていうか鶴崎さんもノリノリである。
 非常識人の見本市だ。
「じゃあ、我々はこれから銀杏拾いを日課にしよう。秋らしいことをしたかったところでね。実は私がさっきまでやっていたのも芸術の一環だったのだ」
「芸術に謝れ」
「言うではないか、芸術の秋と」
「写真も確かに芸術だもんね……パッキーは秋に貪欲だね! あ、パッキーはアッキーに……?」
「『?』じゃねぇんだよ。途中でやめるなら口にだすな」
 私のあだ名はパッキーで定着したらしい。
 そしてそれは弓削さんの中で「私がパパラッチである」という方程式が完成したことを意味するのだろう。
 虚でしかない。
「じゃあ、明日もこの時間な」
 鶴崎さんは急に立ち上がると、教卓側に置いていた机を片付け始めてそう言った。
「え…明日って……」
「そりゃそうだろ。お前が教えてくれなきゃ。誰も銀杏拾いのプロはいねぇんだから」
 そもそも私もプロではねぇんだよ。
「では諸君。明日は今日と同じ時間に校門前に集合だ」
 
 思っていたよりも長く話していたのか、律儀に三人が机を元に戻したあたりで他の生徒もちらほら登校してきた。
 
 こうして、私はこの三人組に囚われた。
 長く続けば、それはそれで楽しそうだと、心の片隅では思ってしまっている。
 
 そして一限の生物テストは散々だった。
 三人組は、私よりも低い点数を取っていた。
 

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