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ハロウィンと娘

 娘が何やら企んでいるらしい。秋の季節が深まり、そして浮つく世間。夜は長くなり、冷たい風は首筋を撫でるようになった。

 そう、今日はハロウィン。

 子供が、子供らしく、それも男女問わず、好き放題できるそんな季節。
 私の実家が多くの布を取り扱っているという理由もあるのだろう。年を経るごとに、娘のハロウィンへの気持ちは強くなっていく。
 そうは言っても、結局は仮装して騒ぎたいだけなのだろうけれど。
 でも、その輝かしい青春に対して、どうしても眩さを感じてしまう。
 私は、ハロウィンとは縁遠い子だったから。
 
 子を持って初めて、こんなにもこの国においてハロウィンが浸透していることを知った。
 幼稚園でも、小学校でも催し物があった。
 中学生になると流石に無くなったが、今度は個人たちで楽しむようになった。
 そして、娘は高校生になっていた。
 なおのこと、個人で楽しむようになった。小学生の頃までは「お母さん、トリックオアトリート!」などと、バレバレのかくれんぼののちに叫んでくれたのに。
 なるほど、これが子離れか、と思う。女子高に通っている娘だけれど、おそらく夜になったら他校の男子生徒たちとパーティーが開かれるのだろう。
 私が学生の頃も、同じようなことは起きていた。
 ただ単純に、私がそのイベントに興味が無かっただけで。
 だから、そんな世界については、もう娘の方が詳しいのだろう。そんなことに、変な気持ちは起きない。
 好きなように生きてくれればいい。私はそう思う。心配ではあるが、酸いも甘いも知ってこその人生だろう。
 あの人は許さないだろうなぁ、と思わず頬がほころんでしまう。

「ふふ、お母さんなんか嬉しそうじゃん」
「あら、そんな凛々子も朝早くから鼻歌交じりに何やら準備しているじゃないの」
「ハロウィンだからね」
「仮装して遊ぶわけだ」
「むしろそれ以外何して遊ぶの?」
 心底不思議そうな顔をして、私を見て、続ける。
「だって、今のご時世色んな家回って『トリックオアトリート!』とか言っても通報されるだけでしょ」
「あらやだ現実的。誰に似たのかしら」
「いい年して旅人しているお父さんに似ていると思って?」
「私に似たとしたらもう少し地味なはずなんだけど」
「良かったじゃん。だったら間違いなく私はお母さんとお父さんの子だよ」

 普段持って行くものとは違う、大きなボストンバッグに何やら衣装のようなものをしまっていく。
「随分な大荷物じゃないの」
「私だけの分じゃないからね」
「最近夜更かしかと思っていたけど、他のお友達の分まで作っていたの?」
「うーん、お友達って言えるのかは分からないけど」
 どうにも歯切れが悪い。
「最近知り合った、小さな男の子がいてね」
「小さな男の子」
「そう。最初は誰かの弟かと思ったんだけど、そういうわけでもなくて。最近この辺りに転校してきたけど、小学校に友達居ないんだって」
 それにしても、高校生の中にひとり小学生が居る状況はなかなかに想像に難い話だった。
「どこでその子と知り合ったの?」
「気付いたらいたのよ」
「気付いたらってあんた……」
 我が娘ながら、無頓着さに呆れる。
 間違いなくこの娘は、あの人に似たのだろう。
「どうにも、身体が弱いらしいんだよね」
 ふと、表情に陰りを落として凛々子はそう言った。
「それはその子が自分で?」
「いや、その子のお母さん。最初は私たちに混ざって遊んでいたことに心配していたみたいなんだけどね」
「それは心配するでしょうね」
「で、まぁ、ほら、そういうときに駆り出されるのは私なワケで」
 なるほど、そういうところは私に似たようだ。
「『ご心配おかけして申し訳ございません。ただ、独りで寂しそうにしていたので』って言ったら、お母さん泣き出しちゃって」
 ふむ。泣きだされては確かに我が娘でも困るだろう。
「で、事情を聞いてみたら、その子は生まれつき身体が弱くて、転校先でも馴染めなくて、それでも海が好きで、毎日のように学校にも行かずに海を眺めている、ってことだったわけよ。それで、たまたま私たちが、『夏も終わりだー!』って花火をしていたところに現れた、ってことなんだわ」
 ふむふむ、面白くなってきた。一人の親としては不謹慎だけれど、でもその子だって私の娘がついているくらいだから大丈夫だろう。
 相手のお母さんは不安かもしれないが、それでも、凛々子たちに頼んだのだ。

『息子と遊んであげてくれ』と。

 身体の弱い子供を抱えて、旦那の転勤の都合で引っ越しをしているのだ。
 そんな境遇を気の毒に思う反面、あの人が自由人で助かったとも思う。
 少なくとも、妻子を連れまわすようなことはしない。
 良くも悪くも自分至上主義。それでもたまに帰ってくると凛々子相手に父親面するのが面白くて、だから私たちは家族をやれている。

「まぁ、そんなところよ」
 娘は長話が苦手だった。ちなみにあの人も苦手。似るもんだなぁ、と思う。
「じゃあ、まぁここは母親らしく『その子を存分に楽しませなさい』とでも言っておこうかしら」
「ふふ、なにそれ」
「なんならウチに連れてきてもいいわよ」
「えー、そしたらお酒飲めないじゃん」
「あら意外とそういうところ気遣うのね」
「一応ねー」
 顔を合わせているくせにいけしゃあしゃあとした娘である。
 玄関に向かう娘に声をかける。
「まぁいいわ。飲むならバレないように。あと、その少年をないがしろにしないように」
「わかってるよー」
 いい加減鬱陶しくなってきたかな、という語尾の伸ばし方である。こうなってしまうともう話半分にしか聞いていない。
「で、いつ帰ってくる予定?」
「朝にはならないんじゃないかな。その子送らなきゃいけないし」
「そもそもその子連れて、あんた達は酒飲んで、いったいどんなハロウィン過ごすのよ」
「まだ決めてない。なんか面倒だから考えてないや。とりあえず美紀が従兄の酒屋からお酒はくすねてくれるらしいんだけどね」
「そういえば最近美紀ちゃんのところも行ってないわね」
「美紀が言ってたよ。『叔父さんが蘭さんが来るの楽しみにしてる』って」
「あらやだ、まだ捨てたもんでもないかしら」
「べー、お父さん帰ってきたら言いつけてやろ」
「良いわよ、そしたらあなたが飲み歩いてるって言いつけてあげるわ」
「おっけー、お互いの秘密にしよう」
 珍しく娘の眼が泳いでいる。
 あんな父親だけれども怖いのだろうか。自由人の情けない男なんだけどなぁ。

「冗談よ」
「笑えないよ」
「冗談って言ったのは私が美紀ちゃんの叔父さんに会いに行くことが、よ」
「え!ずるくない?」
「何も?これでも貞淑な妻なので」
「娘の飲酒を見逃す母親のどこが貞淑なのよ」
「そういう抜け目のなさは私に似たわね」
 凛々子はローファーのつま先でトントンと地面をたたくと、玄関のドアに手をかけた。
 そして言う。
「勘弁してよ。これ以上あなたたちに似るのは困る」

 凛々子は微笑みを湛えて、玄関から出て行った。
 見送るその背中は今まで以上に頼もしく見える。


 流れた子は、凛々子の弟になるはずの子だった。それでも、凛々子は、しっかりと世話好きの女の子に成長している。
 産まれるはずだった弟の存在を、あたかも知っているかのように、彼女は成長している。
 そして、そのことに気付いて、私は嬉しくも悲しくもなるのだ。
 まるで産まれてきてくれたかのように、姉のような責任感を持って育ってくれた凛々子。
 そんな凛々子に、実の弟を与えることができなかったという事実。
「そんなことを嘆いても仕方ないじゃないか。仕方ないよ。我々のもとへと産まれる前にヘソを曲げてしまったのだ。それは我々がまだ至らない証拠かもしれない。そんな単純なものでもないかもしれない。ただ、我々は今ある凛々子を愛すればば良いのだ。幸福にまみれた、そんな愛される子供に育てればよいのだ。だとすれば、亮介も、また我々のもとに来てくれるだろう」
 あの人はそう言って、泣き崩れる私の肩を抱いた。目の前にはきょとんとした顔の凛々子。
 何も理解していないと思ったけれど、おそらく知っていたのだろう。

 喪失の悲しみを。

 だから、その少年にも、いつも通り接することができる。
 大きなカバンを持って駆けていく娘の姿を眺めながら、私の口もとは緩んでいた。

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