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Looking into Oneself ② 自分自身を見てみる。

前回のおさらい

私は身体でもなく、身体を所有しているのでもない。この身体に一番近い存在だから管理を任されている立場。
じゃぁ、「私」ってなんだろう 

◆主体と客体の二元論

自分=主体
それ以外=客体。実態が無いもの(時間や銀河、素粒子などもぜんぶ)

主体と客体の線引きは何か
一般的には「身体」で区別してる。となると、身体の真皮が境界線。その内側が自分。けど、身体=私 ではない。あまりに密接だから同一化して勘違いしてる。とはいえ、私=全体 という知識をそのまま日常に持ち込んでも混乱するから、便宜上での区別という感じ。「身体=私自身ではない」というスペースを理解したうえで、この身体の管理者としてこの身体に居る

◆「知識」「意識」という言葉について

ヴェーダーンタの勉強では、「認識し続けている状態」を「知識」という。
一般的に「知識」には”知ってること””勉強して得たもの”とされていて、混乱するから「意識」という言葉を使うようになった。でも、「意識」も、一般的には”意識がある・ない””~を意識している”と使われるので、「意識」でも混乱が渋滞してるのが現状。。
同様に、「スピリチュアル」もちょっと胡散臭いというか手垢がつきすぎた感がある。そういったことを指して、『言葉が使い果たされている』。

何かを認識し続けている存在が「私」である。その認識は私が認識していて、それを『知識(意識)が共通している』という。身体ではない私。認識そのものではない私。認識を認識しているのが私。だから、「私」は「意識」。わかったよーなわからんような・・ 次回に続く

◆ワーク:目を閉じて「認識」をやってみよう

・聴こえてくる音。香り。服の感触 etc.
認識(意識)は移ろっていく。けど、それを感知する、不変の部分が「私」。私=身体・意識 ではないけど、身体や意識(ここでいう「意識」は一般的な「意識」ではない)をもちながら、この世界を経験していくのが「私」。

◆『ガラスの仮面』と、「認識」に意識を向けていくワーク

憑依型女優の北島マヤは、『奇跡の人』ヘレンケラー役を掴むために、視覚・聴覚を封じて生活を始める。数日を経て嗅覚や触覚を研ぎ澄まされていき、「認識」が変わっていく。
ふだんの自分が重宝している知覚をそぎ落とした結果、別の認識が生まれ、結果、自分という人格からも距離をとることに成功するエピソード

◆『セーラームーンCosmos』で、「私」って何かを考えてみた

味方も敵もALLセーラー戦士というカオスな内容で、25年前はほぼ意味が分からなかった観念的な章。かいつまんでいうと。セーラー戦士=スターシード(宝石みたいなの)が核となっていて、人間としての身体や意識は「はかない幻」。
・ヴェーダーンタに照らすと、スターシード=「私」
・スターシードは銀河のコルドロン(全体)から生まれる。ヴェーダーンタでいうと、コルドロン=イーシュワラ
イーシュワラからすべてが生まれる。存在するあらゆるものが「ひとつ」
・『セーラームーン』では、味方も敵も善も悪も光も影も、コルドロンから生まれた兄弟星。つまり、つながった存在であるという真実が最後に明らかになる
・戦いを終わらせるには、コルドロンごと消すしかない!でも、そうしたらいつか銀河が終わってしまう・・
・でも、このコルドロンを消しても別のコルドロンが生まれる可能性がある、コルドロンそのものが無限の存在なのでは(たしかにイーシュワラは消すことができる存在ではない・・)
・セーラームーンは、コルドロンを存続させ、善も悪もすべて受け入れ、背負っていく未来を選択する
・ところで、味方のセーラー戦士はほぼ全滅でスターシードのみになってしまってた
・スターシードから、新たに生まれ直すか、これまでの身体をもって同じ人間の女の子として戻っていくかの選択
・セーラームーンは、うつろいゆくもの・いつか消えるものであると理解しつつも、後者を選ぶ 

「お前が信じてているのは儚い幻ばかり」という台詞の「幻」が、スターシードではなく、「身体と人格を持った仲間」を指している。「真実はイーシュワラ=劇中でいうコルドロンやスターシード」と知ったうえで真実を受け入れて、うさぎちゃんは「原初の海」=全体に還るのではなく、「自分の身体と知覚する世界」を選ぶという話。
(というのをセーラームーンシリーズ開始30年目にして今日思い至った・・・これ、小学生向けの作品だったよね・・)

◆ヴェーダーンタを、千春で腹落ちさせてみる

今日の勉強会での「認識」(意識・知識)は、現時点のこと。過去の印象的なそれが、今のそれを捉え直したりすることもあるのでは

・千春は、高1の文化祭前夜に急遽全校生徒の前で歌うことになったものの、途中で電灯が全部落ち、暗闇の静寂の中、自分の声とギター一本の音が自身にも空間にも響いていく体験をした。歌い終わるやびっくりするほどの喝采をもらったことが、人前で歌った初体験と歌手人生のスタートとして鮮烈な感覚になったと話している。
・羽生結弦選手も、「9歳の自分が最強だった」。その9歳の自分に鼓舞され引っ張られてスケートを続けてきた。22年北京五輪で前人未到の大技クワッドアクセルに挑んだものの転倒。ただし不可能とも言われた大技が、世界で初めて認定された。
>なぜ夢の大技にこだわったのか。羽生には常に対話する相手がいた。
>「僕の心の中にいる9歳の自分がいて、あいつが跳べって、ずっと言ってたんですよ。ずっと、お前へたくそだなって言われながら練習していた」
>「最後にそいつと、そいつの手をとって一緒に登ったなっていう感触があった」


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