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古墳を愛し、古墳に生きて早48年
これまでたくさんの古墳を観てきました

それはとても、孤独な作業でした

私の住む北海道には古墳がありません
そんな土地で育ったものですから
近畿に行った時、近くに遠くに
林があればそれは古墳だ、なんて
ひっくり返るほどの衝撃でした

普通に地元の子どもたちが
古墳を踏み潰しているのです

おわわあわわと
その悪しき子どもたちを追い払い
今なき権力者たちに
弔いの言葉をかけました

近畿や北九州のあたりを延々と歩き
古墳を見上げ
またはくぐり抜け
西暦200年から600年へ思いはせる

邪馬台国はどちらのものか

この旅は
これまでの人生で
経験したことのない
底なしの孤独でした

友と呼べる者などいなかった

なにせ古墳が好きだ
君と古墳を観てまわりたい
などと言ってくれる
友に会ったことがないからです

私はいつでも、独りなのです

小さい頃
誰が教えたわけでもないのに
邪馬台国に憧れ
古墳時代の服装をシーツで真似て
布団の中に潜り込み
気持ちだけ埋葬者になってました

当時は、誰もが古墳を
愛しているものだと
考えていたのですが

そんな思いは
小学生の時に容易く裏切られました

学童たちは指を立て
ドラクエの呪文を叫ぶくせに
卑弥呼の鬼術は不気味だというのです

人とは愚かななものだと
子どもながらに思いました

古墳?
ダサい、ただの墓だぞ

やだ、山ちゃん
卑弥呼とか、暗すぎる

当時の中国人は他の国や代表者に
卑字(ひじ)を与え
自分のしもべだ、従属国だとする
慣わしがあったのです

卑弥呼は、まさにその卑字
女王でありながら
卑弥呼の卑は、いやしいと書くのは
そういうことだったのです

ちなみに、邪馬台国もそう
邪(よこしま)な国とバカにされたわけです

本来は、ヒノミコ
日の巫女の略なのです

女王のことをヒノミコヒノミコと
呼んでいたので
中国人がその響きに
卑字を与えただけの話です

さて、話を戻して

この日の巫女
日の神の遣いであるヒミコが
暗すぎる、とは
この同級生はなんて無知で
愚かな存在なんだろうと思いました

この日から
彼を非常に卑しく感じるように
なったのでした

そして

私が青年期になると
どうして私は
こんなに古墳を愛さなければならないのか

触れてはいけないような
私の根幹的な部分に疑問を呈したのです

何度も何度も問うのですが
心の中から答えは返らず
もしや呪われてるんじゃないかと
恐ろしくなった時もありました

そこから、私の旅が始まったのです
これは自ら観て感じて
何らかの答えを探すしかない

それからというもの
文献をあさり
近畿や北九州へ何度も何度も足を運び
自分なりの答えを模索したのでした

ある夕暮れ時
奈良に向かって
電車に揺られていた時

少し小高いあたりを通過しました

すると
自分のまなこまでもが茜に染まるほどの
奈良盆地が目に飛び込んできたのです

な、な、な、なんと美しい!

あまりの美しい光景に
開いたまなこが、瞬きを忘れ
水晶体が干からびてしまいそうになりました

がしかし

美しい、それだけではなかったのです

この景色を観て
独り涙を潤ませているのには
切ない思いがまじっているからだと
気づいてしまいました

奈良で嫌な思いなどしたことないのに

独り旅が、実のところ
心底、寂しすぎたのでしょうか

これはどう言ったことでしょう
初めての感覚を発見して
嬉しくなりました

この感覚をデジャブ

もしくはノスタルジー

というのでしょうか

かつての自分が
ここに住んでいたような
この地を踏みつけていたような
錯覚に陥ったのです

私の独り旅は

まだ途中

もしかしたら
答えが見つからないように
独りを邁進している気もします

終わってしまわないように

動いていることが
浪漫だと思っているからです

誰も分かってくれない
この孤独を
私は望郷と名づけることにしたのでした

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