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模範的な生活

「生徒手帳」とは主に身分証明に使われるものであるが、ひとたび開いてみれば実にさまざまなことが記されている。校歌・応援歌の歌詞、校訓、年中行事、緊急連絡先、そして何よりそれぞれの学校におけるきまり、すなわち「校則」が、大抵どこの学校のものであっても記されていることだろう。
君たちは自身が普段携帯している「生徒手帳」を最初から最後まできちんと目を通しただろうか?私は道行く学生たち全員に問いたい。
「この高校、校則が緩いから選んだんだよね」と言っているコギャルも、「貴校の校訓に感銘を受けて志望しました」と真面目に面接を受ける受験生であっても、自身の学校の校則を初めから最後まで諳んじることができる者はおそらくいないであろう。
前置きが長くなった。かくいう私もつい先日までは自分の学校の校則については実に無頓着であった。そう、先日までは。


始業のチャイムが鳴ると、担任の梶山先生は教室へとやって来て私の顔を一瞥するなり、
「相田くん。ちょっと廊下へ」
と、実に複雑そうな顔で僕を廊下へと呼び出した。そして、
「相田くんは今日は欠席の日ですよ」
とまるで第三者に告げるかのように、私が今日欠席である旨を、あろうことか本人である私に伝えたのであった。
「でも先生?私はこうして今日も今日とて元気に登校しているじゃありませんか?何をもって本日私が欠席であると、そう断定なさるのですか?」
私はすかさずそう言った。私は「疑問は素直に教師にぶつける」ということを学校生活のモットーにしているのだ。
「だって、保護者の方から今朝連絡があったのよ。電話で。」
またうちの母親か。勘弁してほしいものだ。
母親。普段私は母親のことをキミカと呼んでいるのだが、キミカはいつも子どもじみた悪戯ばかりするのだ。この前も、私が友人から借りてきた漫画全57巻のカバーを、私が読む前に全て滅茶苦茶にかけ替えられた。しかもどの巻をどの巻のカバーにかけ替えるかは、Excelで乱数を作成して決定するという徹底ぶりだ。仲間になったはずのキャラクターが、次の巻で既に死んだ者として処理されていることに気づいた私がキミカを問い質すと、
「タランティーノみたいでしょ。あなたも自分の頭の中で時系列を組み立てる練習をしなさい」と開き直る始末であった。
今回もおそらくキミカが私を困らせようとして欠席の連絡を入れたのだろう。まったく、身内の私を困らせるのはまだしも、他人である先生を巻き込む悪戯は今後勘弁願いたい。
「ああそれは、意図は全くもって不明ですが、おそらく母の嘘です。撤回します。相田ススムは本日出席です」
「それはできませんよ」
先生の返事は意外なものだった。
「なぜです?本人である私が出席だと言っているのに?」
「あなた、もしかして、うちの校則を知らないの?」
私はすぐさま胸ポケットから生徒手帳を取り出し、(私は、「常に携帯しておくように」という先生からの言いつけを守る模範的な人間なのだ)4ページめからはじまる「南中学校生徒心得」を読み始めた。先生を目の前にそっちのけで読み物に耽るのは失礼と思いつつ、事態は急を要する。
あった。11ページめ。「第I章 校内生活」「第7節 その他」より「(いろいろな届)」12〜13。

欠席をする時は、始業前に、電話でその理由を保護者に連絡してもらう。

遅刻・早退・忌引きなどは、保護者に連絡してもらう。

これか。「保護者に連絡してもらう」しかも「電話で」と明記されているということはすなわち、撤回もその方法以外は受け付けないということか。今回ばかりはしょうもない悪戯だと侮っていたが、法の穴を突くような悪戯を考えてくるとは、さすが我が母親である。
「つまり、母の口から『欠席』の連絡が"電話で"撤回されない限り、私は欠席扱いというわけですか」
「そういうことになりますね」
そう返す先生の様子は実に冷淡だった。
母はもうこの時間であれば仕事に出てしまっていて昼休みまで連絡はつかない。しかし、このままみすみす欠席扱いで家に帰るのも私としては不本意である。
なぜなら今日の給食はカレーライスなのだから。私の人生におけるこの中学校の存在意義の8割を担っているのがこの「給食のカレー」だ。今日はこれを食べずして帰宅するわけにはいかない。
そうか。思い出した。先日、「うちの学校のカレーは本当に美味しいんだよね。今後の人生でもあれほど美味しいカレーとは出会えないかもしれない」などと、私はキミカに対してほざいてはいなかっただろうか。しかも、あろうことかキミカの作ったカレーライスを食べながら。あのときの腹いせに、キミカは今日私に給食のカレーライスを食べさせまいと、このような悪戯を決行したということか。

しかしここで負けを認めては、本校の校則の下生活している生徒の1人として立つ瀬がない。「校則」は生徒を守るためにある、とよく言うではないか。たかが田舎の中年女性に論理でこねくり回されてたまるものか。私は手に持った生徒手帳ページを繰った。私の立場を守ってくれる校則がきっとあるはずだ。

灯台下暗しとはよく言ったもので、私にとっての切り札は、キミカの目をつけた校則のすぐ上に書かれていた。

「先生、私は帰りませんよ」
「あなた、校則に楯突くと言うの?」
「いえ、その逆ですよ」
「???」
「私は"校則によって帰ることが出来ないのです"」
そう言って私は先生に校則の1ページを見せつけた。

第I章 校内生活 第7節 その他(外出)8
「登校してから下校までは、原則として校外へ出てはいけない。外出が必要なときには、先生に申し出て許可を受けてから外出する。」

「一度登校してしまった生徒は、自身が先生に申し出をして受理されない限り、下校までは外出できないと書かれています。私は外出の申し出をしていないので、先生の一存で私を校外へ追い出すことはできませんね」
先生は非常に複雑そうな顔をしながら
「ですけど、欠席は欠席ですからね!」そう言って教室へと戻っていった。

キミカの悪戯へは一矢報いたものの、欠席であることは変わりがないようなので、私は午前中の授業をサボタージュせざるを得なかった。一方で、校則により校外へ出ることもできないので、図書室へ行ったり、保健室へ行ったり、用務員さんの手伝いをして、廊下の電灯を取り替えたりして過ごした。
そしていよいよ、給食の時間がやってきた。「欠席扱いの者には給食を食べる権利が与えられない」と書かれた校則はない。給食についての校則はこうだ。

第I章 校内生活 第5節 給食
食事は、「いただきます」の合図ではじめ「ごちそうさま」の合図で終わる。

#小説 #短編 #校則




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